782 貞子の休日3 よく晴れた昼下がりの日曜、祖母に作ってもらった、CGCマークの醤油ラーメンで朝食件昼食とした山下昇は、もう一度あの眠りの中へと帰っていきたい衝動にかられた。思えば昨晩の酩酊寸前の酔っぷりも今日という日に対する、呪詛からの先制としかいいようのない殺伐たる営為であり、きっと特異点に忘我の桃源郷を見いだしたかったに違いない。外出予定があるという半ば仏性を見失う危機的状況は、引きこもりという極楽浄土からの転落を意味する。飲みたかった、そして何もかも忘れ去り、般若湯に浸り続けていたかった。しかし、彼の理性は従順な飼い犬にも似て、正確な射程を無駄なく走り去り、最終的には飼い主の元へとブーメランの如く往還する様を彷彿とさせる。酩酊にまでいたらなかったというのも、山下の明晰な判断力に衰えがない証でもあった。逡巡はあったが、最後には理性とやらが勝利をつかみ取る。これでいい、これも人生修行だ。シャワーを浴びながらそんな思考を巡らしていると、先程までの頭痛が知らぬうちに潮が引くように遠のいている。山下は自画自賛した。さて、頭を切り替えなくては。約束の時刻にはまだ十分に時間がある。やるべき事を片付けよう、そして帰ってきたらすぐに寝よう!よし、いいぞ、調子が出てきた。窓を開け寝室と隣合わせの居間に新鮮な空気を送りこむ。昨晩の洋服を窓際にハンガーで吊るし、ブラッシングをかける。灰皿の吸い殻をゴミ箱にいれ、空になったペットボトルとともにまとめて整理出来るように部屋の隅に押しやる。そしてパソコンの電源を入れメールをチェック。 「私はいま、愛人男性を探しています。愛人と言っても貴方からお金を頂こうという訳ではありません。私と定期的に会って頂く見返りに私が貴方へ報酬金をお支払いするという内容です。こういうのいまは逆援助っていうらしいですね、、、」何々ふんふん、そうかあ。、、、この〜迷惑メール!削除!削除!削除!皆殺し、皆殺し〜!マッチ一本、皆殺し〜!あれ?このフレーズ、どこかで聞いたような。あっ思い出した。そうだ、マスターとこの掲示板、掲示板と。ハイ、BBSクリック。 「全国の頚椎椎間板ヘルニアならびに腰椎椎間板ヘルニアの症状にお悩みの皆さん。わたくし、ショッカー尾鷲支部長こと最高幹部ミューラー大佐でございます。変身すると怪人ヘルニアンと化します。怪人といっても恐くありません、廃人、変人の次に位置します。人畜無害、羊の皮をかぶったヤギ、モイスチャー効果成分配合、妄道7段(発病で階級オチ)、ヘルニアと闘う会特攻隊長。是非ともわたくしのもとにご参加あれ!語ろうではないか!泣こうではないか!笑おうではないか!云々、、、、」 頭の丁度、後頭部に巨大な竜巻が発生したとでも形容すればいいのだろうか、視界は一時的とはいえ、色合いを失い、モノクロームの世界へと彩度が低下してゆく、まるで奇跡を前にした中性ヨーロッパの敬虔な信者たちのように。やがて例えようもない激情が洪水の如く押し寄せ、失神寸前の恍惚の極限へと上昇していく。両目はすでに溢れんばかりの涙の泉となり、仏性即己自身なりと耳朶にまで染渡る。耳なし芳一もこの耳朶をもってすれば、後の世まで語り継がれることもなかったであろうぞな。 さて、これより先の山下を活写する事に筆者は躊躇する。紙面の都合ということで割愛をお許しいただきたい。何せJ−ホラーですから。 貞子はあれからようやく平静をとりもどし、お化粧に専念、洋服もコーディネイト、万全の身支度で自宅を後にした。少し遠いが加也子の家まで歩いて行こう。背筋は更にまな板を立てたようにスッキリと、歩調もいつものゴツゴツ、ガクガクした不審な動作ではない。 何かが変わった。今はそれだけしか言い表せない。 堅井先輩はすでに国道の長いトンネルを抜け、今まさにこの町にさしかかろうとしていた。カーステレオからはハワード・ジョーンズが時代を越えて鳴り響いている。目指すは少し、山下家はもうすぐだ。 読者諸君、この物語の主要登場人物をざっとおさらいしてみると、男性軍とやらが、山下昇、堅井研二、長島君。女性軍とやらが、川村貞子、木下富江、なんとか加也子。もうおわかりだろうが、そう、二人欠けている。それぞれ両軍において。 筆者はここで真犯人の適中を読者に求めたりはしない、これは推理小説じゃありませんから。登場なき二人については、この先、頁をさいて新たな章を設けるつもりはない。クライマックスへとなだれ込む顔合わせ、すなわち合コンの席上に於いて役者の勢揃いと相成るわけであり、そこが戦場であることも賢明なる諸子にはもうご理解をいただけているであろう。そしてこれは戦争のお話だということも。
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