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貞子の休日11


「何処へ行くの」富江は尋ねる「赤いバーさ、ゲームオーバーを確認しないと、それと残された秘密を」「でも今日は日曜で定休よ、開いてないわよ」「否、開いてるさ。ストーリーは決まってるんだ」「まだそんな事言って、さっき、殺されかけたのも、貞子さんが助けてくれたのも筋書きなの、力が働いて切り開いたんじゃないの、それに貴方も恐怖を感じてたんじゃない」「僕だってホラー映画見て怖がるし、小説読んで感動して泣くこともあるよ、今にわかるさ」
階段を降りながら富江はどうしても腑に落ちなかった。今夜の一連の想像を絶する事件の数々、それに決定されたと言い張るが、物語が破綻しているかもと疑問を持つみつおの矛盾した態度。しかし、そんな内省を深める事なく世界は応答した。階段下あたりに絶命した加也子の死体が消えていた。血痕も見当たらない。みつおはまるで自然現象だと言う風体で顔色ひとつ変えずに口にも出さない。
「さあ、仕上げの前にもう一度、店の中に入ろう」「えっ、何か忘れものでもあるの」「落とし物さ」
店内に再度、足を運んだ富江を待っていたのは、照明ライトやケーブル線、数台のカメラに集音マイク、その先で演じられてる自分も含めたあの先程までの和やかな合コンの光景、それらを取り巻く撮影班らしきスタッフの姿だった。
「これってもしかして、映画」「そうみたいだね、貞子さん張り切りすぎて、時空に歪みが出来たんだ。演じる者は憑意を深めるにしたがい虚像が実像にすり替わるのように、もうどっちが実体なのか判断出来ない。貞子さんは大物女優だからね、僕のような無名の俳優ではない。彼女や加也子さんを取り入れたある特異な意思は少し甘かった、はみ出してしまったんだよ、だから裂け目が生じた。この撮影場面は実際には今夜、僕らが体験した事とは別次元さ、決して時間を遡ったわけじゃない、決して時間は取り戻せないだ。でも似たような時間なのはこれを見ればわかるだろ、この後、3階で撮影が始まるよ。ストーリー自体は決まっているからね」「でも」「でもそうさ、言いたいことはわかる、あそこにいる富江さんに貴女が近づけばどうなるかって事だろ、何も起こらない。僕らはここでは空気みたいなもんだ、あるいは亡霊かな、叫ぼうが叩いてみようが相手には伝わらない」「じゃ、みんな死んだり殺されたりはしなかったわけね、ドラマだったのね」「ここではね。さっまでの事は僕にもわからない、知っていることしか知らない」
「この後にここを出て3階に行けばどうなってるの、殺された人は死んでるし、貞子さんの店長は抱き合ってる」「おそらく誰もいないよ、もうさっきまでの世界じゃないから」「だったらそのさっきまでは何だったっていうの、まやかし、夢、妄想」「どれも違うな、おそらく事実だったんだよ、もう終わったけどね、書かれた文字は自分で新たに書き変える事は出来ない、書き加える事も、それが出来るのは僕らじゃない、だから僕は僕じゃないんだよ。前にも話した事あるよ、数日前だけど、正確に演じることしかないって。そして富江さん、貴女は貴女ではないって」「それはここでの話しでしょ」「何処に行こうが代わりはない、嘘くさいようだけど、嘘が事実さ、だからこそしっかりと腰を据えるべきだと前も言ったんだ。冷めたからといって一気に飲み干す紅茶、あきらめの方が面白みがない。いいんだよ劇場だと思えばいい、思いっきり演じれば気分も転じて事実となるさ、さあ出よう、赤いバーに向かうんだ」「みつと言う名の人いる」「行けばわかるよ」

夜は、赤いドアーをライティングしている。みつおの言ったように日曜なのに営業していた。「なぜ赤いバーが今日やってるって知ってたの」「ストーリーは決まってるからだよ、もう何遍も同じセリフを言わせないで欲しいなあ、さあドアーを開いて」
「いらっしゃいませ、木下さん、いえ、富江さんどうも、今日はお一人ですか。」マスターはいる。「いえ、みつおさんも」カウンターには先客が3人席についている。二人は時々、見かける梅男さんという人だった、そして連れらしき坊主頭のにこやかな男性。そして、もう一人のお客は、あの居酒屋で消え去った板石掲子さん。
「みつおさん、これって」富江は振返ってみたが、みつおの姿はどこにもなかった。