大いなる正午9 変則ギアーの装備もない無骨な運搬用自転車のペダルの回転は、傾斜のある道沿いに差しかかったあたりで、にわかにその重みを脚全体に訴えかけてきた。同時に胸中の真ん中には、大きな懸念がどっしりと岩石の積荷となってわだかっまっている。 果たしてどんな顔をして、集っているであろう森田梅男の肉親や親族らに接すればよいのだろうか。 陽射しはじりじりと花野西安の頭部へと照りつける。坂道をゆっくりと上がっていく自転車にまたがった自分の影が、左右へとためらいを見せるように揺れていた。 その角を曲がれば、梅男の家が見えてくる。額から頬のかけての汗の流れを意識した刹那、又ひとつの思惟が擦過していった。葬儀の家へと赴くのに喪服を着用してない、自分の白の麻地のズボンに白シャツ姿、、、 いくら的確な行動に促されたつもりでも、さすがにこの気配りのなさには我ながら閉口してしまい、脚の動きが停止してしまった。引き返して親父の黒服を借りて来よう、、、そう思い自転車を反転させようとした目の流れが、ちょうど垣根の角の先を見通すようにして、梅男の家の門口に達した。 この辺りでは、大きな庭を持つ重厚な瓦屋根の造りであった。西安はじっと目を凝らした、門構えのその日常的な佇まいに対して、、、どうもおかしいではないか、どこにも喪中の雰囲気が感じられない上、人の出入りの気配もまったくない、、、これは、、、一体、、、 西安は視線の先に、夏日を浴びて静かに鎮座しているその家へ注がれ、無意識的にそこへ向かっていこうとしていた。気がつけば玄関を真正面にして自転車から下りている。左手の庭には道場らしき建物も見える。その向こうの電柱から油蝉のひりつく鳴き声が聞こえて来た。 意を決して森田家を訪問した西安は、そこで彼の両親に始めて挨拶をした。「あのう、花野という者です。以前、梅男さんとは懇意にさせていただきました、この度は誠にご愁傷様で、何と言いましたらよいのやら、、、」 平素の物腰より一段と低姿勢で温柔な言葉使いをもって臨んだことで、彼らも丁重な応対を示してくれた。 因縁の映画「青い影」に関して言いようのない複雑な心境を、素直な気持で現した上でひたすら謝罪に頭を下げる西安に対して、森田家では深い理解を示してくれていた、目の前の男が俳優として一線で活躍していることを知っていたし、そのきっかけが男色を取り入れた際物的な作品での評価だったことも熟知している、それは高野山から戻った梅男にある日、聞かされた、その時に花野という人間を恨んではいない、すべては己のいたらなさによる結果であって、今では過ぎ去ったものでしかないと切々と語っていたという。 西安は冷房がほどよく行き届いた客間で額からの汗が引いていくのを覚えるかわりに、両目から熱いものが、したたり落ちて来るのを禁じ得なかった。感情が大きく波打ち、そして霊前にと思いが早まる中、飛び上がってしまうくらいのまったく予想だになかった事実を聞かされ、強烈なめまいを覚えたのだった。 「息子の消息がわからんのです。銃で撃たれて絶命したと噂で聞きましたが、ならばその亡骸があるはず、どこにもありゃあせん、、、警察に問い合わせても捜査中の一点張りで、判明次第に必ず報告するというばかり」父親は噛みしめるようにそう語った。 「そもそも、梅男さんはどういったわけで、あの公園に行ったのです」西安は少し興奮してきた。 「さあ、何も言わんで行きました。出かけたことさえ私らも知らんのです。聞けば他にも死人が出たとか、世間では昔の特高警察みたいな輩が、そこら中に弾圧をかけて事件を隠蔽しようとしてるらしい、新聞記事にも出とらんでしょうが、都会からテレビ局が取材に来てたらしいが、やはり何の報道もなされておりません。内には強迫めいた電話もあるんです、静かにしてないと命の保証はないなどと物騒なことを言ってくる」 「森田さん、これはやはりとんでもない陰謀が隠されてるんじゃないでしょうか、いくらなんでも不自然すぎる。何か異形な事変が勃発したに違いありません、もはやこの町だけの問題じゃない、もっともっと大きな力が働いていると思います」 ことの計り知れなさにあらためておののき、体が萎縮するのを覚えた。不安に揺らぐ森田家に長居してはと、西安は自分の名刺を差し出して、再訪と情報提供を両親に誓い、悪意を孕んでいるかに思える鋭い陽光の下へと帰っていった。 |
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