大いなる正午12


梨銀路は素早い洞察力で、モニターに映されている、左に番号がふられ「神」だの「予言者」「名無し」といった適当な名前のもと、短いものから長文、わけのわからない図形みたいな記号が、大量に記載されている内容を把握していった。画面上を縦に動作するスクロールといった術語めいた言葉も早速、銀路自身が鈴子に命じている。
機械が不得意といったところで、元は中学の数学教師なんだ、ワープロだって使ってた。自分がネット事情を避けているのは、過剰な情報に惑わせれたくないという意識を強く抱いているからで、画然として自らに最も適応する事実以外は、紙くずのように捨て去ればいい、あふれかえる世界の問題や事件などに目移りしていれば、それだけで人生を費やして終わらせるようなものじゃないか、本当に必要なものだけ、この目と耳と感覚でしっかりとつかみ取ればよいのだ、揺るぎのない確信というものは実際そこからしか得ることは出来ない。
だから小口の金融屋の方向を貫きながら、親しみやすい定食屋で生計を立ててきた。都市部には通じない手法だろうが、己にはこの生き方が実に的確であり、天職だと信じている。教師時代から学んだことは、学習とは蓄積でない、応用するために編み出された実践法であるということなんだ、、、
そんな意気込みを秘めながらランチメニューの野菜カレーを豪快に食べ干すと、一心にその書き込みとやらを睨みながら読み進んで行った。
どれくらい時間が経っただろう、優に3時間は過ぎていた、銀路の指示のまま、様々なサイトへとページを繰る鈴子は、元来の性格でさすがに長居しすぎの気兼ねを感じてきて、何度も店主が位置するカウンターの方へと申し訳なさそうな視線を送った。それにそろそろ千打の店の営業もある、普段は銀路に対し決して問われない限りは発言や意見を述べない鈴子であったが、気兼ねそのものより、自分にとってのこの安らぎの場が、煤けた煙の侵入でどこかしら汚れてしまう感触。それは実体として悪意なり危害なりが直線的に逼迫してくる嫌悪でなく、誰にも覗き見られることない個所が周知となる小鳥の巣に似た保護心のようなものだった。今晩も体を開かされ恥じらいに隠されたものが暴かれるかも知れない、だからこそ、そんな自分だけの最後の隠れ蓑を大事にしたかった、、、素直な行為といえ、ここグリムへ銀路を連れて来たのは、やはり過ちだったと思う。例え感情へあらわにせずとも衝動として気持は形となる。
「旦那さん、そろそろ帰らないと時間が、それにネットでしたら、今は携帯の新機種でも見れますから」思わぬ意見が、鈴子の小声で踊り出ていった。
すると、銀路は敏感に反応を示した目つきで、腕時計を見つめた「そやなあ、えらい熱中してしもた、腹も又減ってきたがな、おい大将、お好み焼きないかあ、ご飯もつけて欲しいやけど、鈴子もどうや」
いつもなら控えめに朱を見せる鈴子の顔色は、はじめて憤怒に上気したかに思われた。見かねたとばかりに店主はこう言った。「すいません、うちはお好み焼き屋ではありません、どうか他で召し上がって来て下さい」
静かだか、語尾にかすかな震えをにじませた丁重な拒絶の意思が通じたのか「そうか、ほな、ぼちぼち帰るか、おおきに大将、又、寄らせてもらうさかいに」
穴があれば消え入りたいくらい身を萎縮させながら、鈴子はすいませんと店主に一礼すると、「どうぞ又、お待ちしてます、ありがとうございました」と白い歯さえ見せて応えてくれたのだった。

銀路は時間経過を忘却する質の人間ではない、時は金なりを信条とする超現実派の計算高い男である、千打食堂への帰途、こう鈴子に言った。
「なあ、さっきいうてた、新しい機種の携帯ってどんなもんやろ、いやな、わいはネットちゅうもん見てみてな没頭してしもた、パソコンまで必要ないわ、携帯で見れるんやったら、それ買うともう。えらい勉強になったんや、狭い了見が一気に拡大して、大きゅう羽ばたいていった」
それを聞いた、鈴子が心の中でどんなに安堵の吐息をもらしたかは想像出来よう。それに先ほどはグリムで銀路に対して始めて怒りの感情と呼べるようなものを胸に宿した。それは表立ってはいない、水面下で人知れず棲息する珊瑚の光合成を思わせるもの、共生する藻類の息吹であった。鈴子自身の念頭にはまだ到達していない底知れない情念の萌芽。
銀路の暴君的な言葉が続いた「何か興奮してきたがな、携帯の前におめこや、はよ帰っておめこしよな」