ねずみのチューザー61 窓枠へ映し出された宵闇に一瞥をくれながら、のどかな心持ちを抑制している自分が微笑ましく思えてくる。座席に腰を降ろした気安さは、すぐに焦げついてしまいそうな怖れを含んでいて、これからの展望をゆっくりとした瞬きのうちに巡らし、年少時に覚えたプラモデルの製作にでもとりかかろうとする気忙しい手つきを呼び寄せた。残りのファンタを一息で飲みほすと、カメラがまわり始めた役者みたいな気分になり、車中を調べる仕草を意識しだしたんだ。そうだな、実際どこかに隠された穴から僕の一挙一動は筒抜けになっていることだろう。 込み入った運転席はあとまわしにして、後部から丹念に探り始めれば、四人掛けの座席をはぐるとそこが細長い冷凍冷蔵庫であるのを認め、生野菜こそ数は少なかったものの、ソーセージやら瓶詰やらがたくさん収められていた。飲料の種類も様々だったけど、どうもアルコールは見当たらない。ことさら感慨にひたるまでもなく、食品をつぶさに数え上げるよりも、他の仕掛けや装置の発見を急いだ。 極めて慎重に、大切な落とし物に集中したような過程は、おそらく君にとって時計の針を見送っている面持ちに等しいだろうから、結果だけを報告しておくよ。 いくつかの車窓の下にはコンパクトな保冷庫が埋め込まれているのは前に話した通りだし、ある席を移動させると簡易ながら電気調理台に様変わりした。それから床の一部から覗ける様態からかなり精密な装置がうかがわれ、やはり単純にガソリンで走る車種ではないのが確認された。赤や緑を主に点滅しながら複雑に絡み合っている基板を見れば、宇宙船にでも乗っている不思議な思いにとらわれる。銃器も一切出てこなかった。もっとも外側からは点検してないので車内に限ったことだねどね。運転席の左後ろに一台のノートパソコンを見つけた。14インチだな、この大きさは。早速起動させてみるとネット環境へも接続可能で、つまりそのお陰でこうして君に長文を送れる次第なのさ。君のアドレスは何故か記憶されていたので、まったく奇異なことだが唯一の聞き手はそこで決定されてしまったわけさ。最初に断っておいた通り、返信はいらない、理由はいたって簡単、僕には時間がない。気がふれたんじゃないかって訝られても仕方のない、これまでの経緯はモノローグで貫いたほうがいいに決まっている。 運転台には当たりまえのようにハンドルがあったりするけど、細々としたスイッチには名称がなく、まったくお手上げ状態だったので、不用意に触れるのは避け、とにかくエンジンの掛け方を調べたけれど、どこがキーなのかも判明されない。照明は自在に操れるようになったから、発車を焦らずバスに籠城でもする気概を喜びへと誘い、ここまでの顛末を書き綴ってきた。 あれから、どれだけ陽が昇り沈んだろう。追手は現われなかったけど、日に一度必ずヘリコプターが頭上に接近する音を聞かされた。そのうち慣れっこになったと言いたいところだが、兵糧責めにあっているみたいな心細さは確かに芽を出していたし、食料の尽きるまえに電源が切れてしまう懸念も生じ、段々と車内の空気が息苦しくなってきたんだ。 無論まどろみだけに終始した最初の一夜が明けたあと、すぐに親衛隊とチューザーの亡骸を確認するために山道を駆けていったけど、予期していた通りにその姿は消えてしまっていた。したたり落ちた血糊も敵対したキツネの面々も同様に始めから何事もなかったふうに、すべての痕跡は山々の霊気にのみ込まれてしまい、透明な静寂だけが幽かに微笑している。ああいうときこそ、ひとは心底震え上がるものだよ。 咄嗟に襲った戦慄は倍くらいの早さで僕をバスに引き帰させた。信頼や疑念、奇妙にして優雅でもあった過去の出来事に想い馳せることもなく、この身に差し迫ってくるのは惜別や悲哀の情も近寄らせない、冷たく青白い鬼火だけだった。 今まで幾分かは論理的に思考を働かせたつもりだったけど、案外そう信じ込んできたまでのことで、現実にはいかにして妄念を正当化しようかと努めてきたに過ぎない。チューザーとの了解があったとはいえ、このバスへの到達が一縷の希望に繋がっている信憑もないまま、逃走を演じた役柄に意味などなかった。 泣きごとめいた言い草をくり返しているのは、このあと想像もしていなかった事態に直面したからんだ。空無に生きる宿命を負ったものが僅かな抵抗をしめしたあげく、突きつけられたのはどんな鋭利な刃物よりも痛ましい、内心の声だった。 以前、タルコフスキーの映画がまるで天啓のように映されていたモニターに画像が現われ、目が釘付けになった途端、全身から血液が引いてゆくのがわかった。光の粒子でしかない画像となって滲みでた人物はまだ一言も発してはいない。が、親しみには距離があり、かといって慈愛を示しているまなざしをどこか香らさせている様子は、紛れもない死神そのものだった。 僕にはすぐにその人物が誰であるのか分かったよ。データX1の提供者さ。認識したのと彼が言葉を投げかけたのは気色いいほど素晴らしい間合いだった。 「やあ、その顔つきからして私の正体を名乗るまでもないようだね。気分はどうかなんて尋ねるのも野暮だから止めておく。まだミューラー大佐を占領している分身に対して、まずは敬意を払おう。それと自分で言うのもなんだが、決して悪い気はしていない。もちろん、これは個人的な意見だが」 提供者は以外と堂々とした喋り方をする。そりゃ、比較する方が間違っているけど、適切な判断を可能にするのは分析力より、現場の情況がもたらす胸中に溜まった澱だよ。負い目だけが誇りである僕はおどおどしていようが正直でいいと、自分に敬意を抱いた。 「この映像の発信は半ば役職を越えたものだと伝えたい」 その先も流暢に説明を加えそうなところ、僕はあえてこう言い返してやったんだ。 「あんたは僕なんだろう、つまり僕がどう足掻こうともかなわない。ちょうど金魚鉢から出れないように」 「そうむきにならなくてもいいさ。でもそこまで観念しているのなら、これから話すことに耳を傾けてくれるかな」 |
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