ねずみのチューザー6


とんだみかん狩りだった。あっ、勘違いしないでほしい。薮から棒に離婚状を鼻先へつきつけられたんで辟易したわけでなく、僕が記憶喪失者であり、なおかつ付随する疾患というか意識のありようが狂気の部類に属している可能性が濃厚な自覚に落胆したわけなんだ。異次元なり黄泉の国でもけっこうなんだけどさ、過去の清算を迫られるのが旅の始まりっていうのも哀れな話しじゃない。どうせならスッパリと中身がからっぽになった状態で行きたかったね。チューザーは通行手形なんだとか意味ありげに釈明しているが、どうしてもああした修羅を再体験(たぶん僕はバツイチみたいだ)しなくてはいけなかったのだろうか。まあ地獄だって閻魔さまから罪業の数々を思い知らされるそうだから避けては通れないし、旅立つにあたって列車なり飛行機なり切符がなくては確かにどうにもならないからな、とかなんか少々いじけた感じをおさえながら、とにかくもう突風みたいに過ぎていったんだかって胸へ言い聞かせたりしていた。過去を持たないからこそ、かつての残像が秋の空から照りつけられ、そこには幽霊のように境界から抜け出てくる染みが浮かびあがるんだ。もっともあの剣幕は幽霊が醸し出す儚さとか遺恨など吹き飛ばしてしまう勢いだったけど。ただふたりの幼子、唐突だったんで顔立ちまで見届ける余裕なくて、、、ああ、あの子らは実の娘だったんだろうなって感傷的になってりもして、旅の切符は紙切れだがなにやら鉛みたいな重みで息苦しくなった。なかなか理解してもらえないだろうなあ、現実からあっという間に引き裂かれ隠れ里に連れてこられたのか、はたまたこれらはすべて陰謀であって僕だけが意識操作されてるのか、どちらにせよ正確な判断のくだしようがないのだから、まるでそこが巣であるようにポケットへちゃっかり収まった人語をあやつるねずみがこうして存在している限り、やっぱり狂気に包まれた空気を吸っているんだよな。
でもそこなんだ。君が僕の話しをいぶかり小首を傾げるどころか眉間のしわが邪気をはらんでしまう以上に、おそらく僕の感情はあのとき強烈にたかぶりつつも反比例するごとく冷静な意識がめぐってきていた。具体的に言うと、バスが横転してから数時間しか経過してないにもかかわらず、すでに現状を引き受けている薄皮餅のようなまとまりが出来上がっていて、はじめチューザーに礼儀ただしく接しられた際のもの言い、つまり「なにゆえにねずみの分際で無人バスなど運転していたのか、またどこへ向かおうとしていたのか、なにより人語を解するすべを奇怪に感じられるであろうが、、、うんぬん」に対等な心持ちで臨んでいけると実感したわけさ。だから、バツイチで二児の父である身を振り返ることも必要なく、再体験を済ませてしまったからには、なんかほんと形式上の習わしを終えた気分になってしまった。
その晴れやかまでとはいかないけど、形よく膨らんだ風船ガムがしぼんだときのような充実感に、こっちからあえて狂気とやらをポンプで吹き込んでやれば、、、どうかなあ、同じ吸い込むにしても吸わされているのとでは若干違った意義が芽をのぞかせはしないかい。そうなると「今度は攻める側だ」って気力がもたげてくるし、俄然能天気に踊る加減もシニカルに運んでゆけそうだ。
ここからの筋は見えてくるだろう。そうだよ、僕こそ異次元を自在にさまよい歩く意識人、遠慮はいらない、チューザーに向かって猛然たる質問攻めを浴びせたのさ。で、どうしたかって。最初になるだけ要点をしぼって書くっていったの覚えているね。チューザーは小栗虫太郎を引き合いに出したりしてるけど大丈夫、多少の横道もあるだろうが本末転倒まではいくらなんでも。
ところで僕が弁明を求めたいことはすでにチューザーが要約していて、自ずと霧が晴れて見通しがよくなるのはこの空気に包まれた実感がもう約束してくれている。「はじめに言葉ありき」さ。目から涙が吹き出るくらいこすってみても、ほっぺから血がしたたり落ちるほどつねってみても、耳をかっぽじるまでもなく、このねずみはすでに人の言葉を喋っているんだ。とりあえずそれが迷惑であるとも思われないから、だって実際は唯一の話し相手だしね。その件に関しては原因究明より現状肯定に止揚しておいて、問題は旅とやらには聞こえがいいけれど、またまた不愉快な行程をめぐるんじゃないかって怖れがなりよりで、運転も自動だし乗り心地も悪くなかったから、ずばり次の行き先と目的を明瞭にしなさいって。
すると「はい、これよりは銀山みかん園から山中深くバスは進んでまいります。そこである人物と合流する手筈でございます」しゃあしゃあこう答えるじゃないか。
「誰だい、その人物って」まったく嫌な予感がよぎるもんだから執拗に問いつめたところ、いやはや、君には大変申し訳ないがはたまた混迷と逸脱が発生したようだ。舌先の乾かないうちから要点が曖昧になってしまうけど、チューザーの奴はこんなふうに詰問の刃をかわしてしまったよ。
「ミューラー大佐探索にとって重要な方であります。もげもげ太と申す、卍党の流れをひく忍びの者でございます」
「卍党だって!まさか、あの仮面の忍者赤影の敵忍のか」
「さようです。お会いになればきっと意気投合されることと信じております」
開いた口がふさがらないってのはこういうのだろう。ねずみをしめあげる気勢はもののわずかでしかなく見事反対にしてやられた。色々知恵をしぼったつもりがこの結果じゃ、まだまだ先は遠いかもな。窓の外に張り付いた山々は紅葉を向かえていたけど、視線は焦点定まらずにいたところ、運転席の横上に設置されたスクリーンが点滅しだした。泣けてくるねえ。バッハのマタイ受難曲に導かれ映しだされたのは、タルコフスキー監督の「サクリファイス」だった。