ねずみのチューザー46


ろうそくの火が大きく揺らいだのは僕が反射的に後ずさりしたせいだった。そうじゃないよ、闇姫の哀切な拒絶におののいたのではなくて、蟻塚みたいなところからいきなり妖婆が飛び出してきたからなんだ。すぐにそれが処刑人であることが見てとれたので、闇姫の言葉は一気に凄みを増したわけさ。
あの世から甦ってきたみたいに逆立った白髪の迫力といったら、その手に振りかざした鎖鎌もさることながら、魔物が湧いて出たと震わせる怪異を十全に見せつけていた。闇姫の姿は傾いたろうそくの加減で視界から消え、あとは眼前に迫りくる殺人鬼の形相だけが生き生きと現われている。歯並びのいびつなのが、いかにも牙をむいているふうにも思えたあたり、ほとんど金縛り状態だったのを物語っているよな。戦慄のさなかは以外と冷静な装いで、直視するものの特徴をつかまえているんだ。不意に躍り出た、いや、闇姫の宣告通りにか、とにかく僕らのまえに映っている妖婆が老夫婦の片割れ、ばあであるのも判然としていた。
鬼の形相にだって面影はある。逆に面影が残されているからこそ脅威になるんじゃないだろうか。
白さは夜目に鮮烈であり、蓬髪をふり乱しつつ荒ぶる姿態はそれだけでも一級品なのに、神経を縮ませたうえ、鎖鎌で狙われた日にはまったく完璧な処刑の執行となる。あんな鋭い刃で肉が削られたなら一巻の終わりだ。悠長にそんなこと考えている暇がないと思い知らされたのは、僕の頬をかすめるようにして鎌が飛んゆきおくも襲ったからだよ。標的はまず仲間内からだった。だが、おくもだってそれなりに仕込まれているのだろう、情け容赦ない刃を間一髪でかわすと、
「旦那様、わたしは灯りを絶やしませんからご自分のは吹き消して下さい」
そう、地底まで響きわたる声を張り上げた。それはおくもが的になっている間に逃げろと言っているわけだ。ためらっている猶予なんかなかったけど、妖婆に向かって挑発しているとも聞こえたから、ろうそくの火を隠すことも、一目散に駆け出すことも叶わず、寸暇を待たず新たな一撃がおくもに加えられるのを黙ったまま見守ってしまった。
「なにをしているのです。早く火を、、、」眉間に寄せたしわがことの性急さを訴えている。おくもは次の攻撃も回避してみせると、掌から少しはみだすくらいの鈍い色した鋼を懐中より取り出し反撃に転じた。左にろうそくを握ったままの応戦だったが、相手の隙を突いた効果があったようで、妖婆は甲高い奇声をあげ鎌を持つ腕をかばう弱みを見せた。
「今のうちです、あの畳返しの階段まで急いで下さい」
地下といっても大した距離を進んだのでもなく、この灯りがあればどうにかあの入り口まで引き戻れような気がする。そしておくもの手を引き、命からがらの脱出劇が展開された。が、妖婆に軽傷しか追わせてないのは、ジャラジャラと地面を擦っている鎖の音があとに続くのが耳に刺さるからで、階段付近まで詰められた際にはうまくかわせる可能性が少なくなっているのが予想出来る。
攻撃こそが最大の防御なんだ、そう意を決し後方へ振り向き様に僕は秘密兵器でもって不穏な影に突撃した。いつか君に話しておいただろう、武器は調達済みだってね。それは屋敷内に転がっている石ころだった。銀山みかん園に赴いたとき思い返した、薄い頭髪に命中した石つぶての一件。あの無邪気で残酷な子供こそ実は僕だったのではないかと思いこみ、学生時代は野球に熱中し投手としていい線まで行けてたのでは、そう信じ人気のないのを見計らって、木の幹に印した箇所を目標として石投げを密かに行なっていたのさ。あまり根をつめると目立ってしまうから、コントロールの正確さだけに専念したんだ。仮想敵の目や眉間に集中するよう狙い定めていた。
ようやく役に立つときが来たか、感慨に耽るより早く、僕は拾い集めた適当な大きさの石ころを追手めがけ乱発射していた。何発かが眉間や目のあたりに命中した手ごたえを感じたよ。妖婆は顔面を手で押さえてしゃがみこんでしまったから。そして躊躇なく、ソフトボールくらいのやつをなるだけまえに出て脳天めがけ叩きつけてやった。
倒れこみ白髪に気味悪く血が滲みだしたところを、今度は両手でつかめる大きさの岩石でもってグシャリと骨が砕ける音を確認するまで数回振り落とし、しわくちゃで筋ばった手先きが痙攣するのを見届けてからおくもに言ったんだ。
「第一の刺客は退治したぞ。次は順番からいってじいとの対戦だな。おくもさん、この床下にはあの階段しか出入り口はないのかい。僕の勘ではじいは座敷に出たところで急襲を仕掛けてくると思う。他に抜け道があるならそっちを選びたいよ」
「残念ながらわたしはここに来たのは二回目なのです。入り口はあそこだけしか知りません」
これには僕も肩透かしを喰った。
「じゃあ、妖婆に続いてどんな怪人に変貌したじいが構えているのだろう」
「確かけっこう大きな斧を持って首をはねるのを得意としている、そう聞いた覚えがあります」
何てことだ、それじゃ畳に顔を出した途端にバッサリ斬り落とされてしまいというのか。床下での死闘にじいは耳を澄ましていたに違いない。脱出の術が相当な危険に阻まれているのを知るのは正直辛かった。畳のうえで生きていられる実感がどんどん遠のいてゆく。今一度、闇姫のもとに下り懇願してでも、逃走路を聞き出すのが最良の手段ではないか。おくものろうそくから火種をもらい踵を返したとき、
「無理でございます。闇姫様はさきほどはっきり言われたではありませんか。抜け道などうかがうより、わたしたちが踏み入れた道のりに戻りましょう。旦那様の石つぶてとわたしの手裏剣で切り抜けなくてはいけません。一刻もここにとどまってはならないのです。尋常な場所ではない、確かそう申されたのをお忘れでございますか」
おくもの面には笑みがあった。
「そうだな、力を合わせて挑んでみるか。僕は集中砲撃で撹乱してみるから、なんとか手裏剣を急所に打ち込んでおくれ」
階段近くまで来たとき案の定、頭上に殺気をともなった足踏みが伝わってきた。それが片割れを血染めにされた復讐心に脈打つ鼓動で増幅されているのだとすれば、、、僕は全身から血の気がひいてくのを止めることが出来なかった。