ねずみのチューザー45 無限空間をさまよっていた床上とは異なって、闇が被うこの場所には暗黒の深みこそあるけど、意識をたぶらかそうとしている奸計はめぐらされてない、そうした直感が鉛のように沈んでゆく。たどり着くだろう奥底に既視感を覚えてしまうのも、原野が開けるといった達成からではなくて、古巣に舞い戻ったふうな苦い思いが顔を出しているからだった。 おくもが案内を買って出た時点で僕の願いはすぐそこにあった。迷路と化している座敷を突き進んで行った時間の推移、それはよくよく振り返ってみると、この地下世界に凝縮された念いをときほぐす為の心構えだったに違いない。僕が何を探っているのか、案内人は清く了承していたので、目的へと一気に突入してしまう衝撃をゆるめる必要を感じていたのだろう。踏み入れた闇に呑みこまれないことを祈りながら。 二柱の灯火が照らす床下は遠く広がっているようだったけれど、求め願う光景はそれほど距離を持っていなかった。 思い描かれた報せ、泥濘に足をとらわれてしまう予感に忠実であるよう、地面を無感動に這っているねずみの群れを見つける。本能的には居場所を嗅ぎつかれ、右往左往していたようでもあるが、僕の見知ったあの鼻先をひくつかせる愛嬌ある表情はそこに存在していない。ろうそくの灯りにさらされても別に反応を示さないのは、きっと人語を理解する種族ではないはずだと、そこにチューザーの影を認めることもなく、奥まったところに別の一群がうごめく気配を察し、あたかも砂糖に固まる蟻の姿を浮かべてしまう。 「この先なんだね」 急な斜面に滑り落ちるのを乞うているかの口調でおくもに問う。 「足もとにお気をつけ下さい。そこの地面は苔だらけです」 「わかったよ」 実際に勾配は身の安定を失わせそうに見えた。手にしたろうそくをゆっくり傾けると、まさに蟻塚を彷彿させる長細い岩なのかどうかも識別出来ない奇妙な形が火影にゆれる。ねずみらは行きつ戻りつ、次第に忙しなさを訴えかけているよう蟻塚と似た物体のまわりを這いまわっていたんだ。 「旦那様、あちらに、、、」 おくもの声は爪先立った慎重さが風化していくみたいに、蚊のなくほどしか届かない。いや、届かせなたくなかったと思えたりする。 こころのなかを渇いた疾風が駆け抜けた。目に映ったのは、細長い影に身をひそめているはかな気なひとの姿だった。青ざめた面持ちではあったけど、凄惨な雰囲気などまとってなくどちらかといえば、懐かしさが滲み出した親しみをあらわにしている。しかし、そう感じたのはまだ目を合わしていない段階なので、僕が一方的に投げかけた斟酌とも言える。震えるこころに返り咲いた気力は、遊戯の域を見捨てはしないはず、あの熱病に冒された日々を決して忘れなかった。燻り続けていたのだろうか、多分そうだと思うよ。では切り裂かれたものは何なのか。 傾斜の底にうずくまって人影を見定める為、ろうそくの位置を降ろしていく。その瞳に宿るひかりと再会する瞬間を得たいがゆえに。 僕ひとりでたどれた時間ではない、うしろからの灯りで守られている立場が狡猾な行為に思えてくる。声をすぼましてしまったのは、思い上がりの恋を悟らせたからに違いなく、反照となって染みわたる情念をすげ替えたのも、そうだよ、おくもに対する憐れみは僕が作り上げたんだ。今向き合うひとにも同様の意識が作動している。時間の帯はこうして無垢な恋を汚してみせた。そして汚れのなかに飛び込もうと固唾を飲んでいる。 「やっぱりそうだったんだ」反動により、ひと言だけが痴呆的なよだれになってこぼれた。 すると闇姫の目からは潤いを含んだひかりが送られ、僕はうなだれてしまった。瞬間に交差した目配せは様々な感情と思念を乗せて、銀河の果ての瞬きのように過ぎ去り、地面に群がるねずみは闇姫が生み落とした僕の子供だと確信したんだ。 滑るまま母体に近づきたい気持ちを抑えつけているのが、苔子と呼んでやれない無情さであるのを認めたとき、闇姫の顔は灯火で鮮明になった。苦しみと安心が同居している、よどみが似つかわしいと言いた気な微笑だった。 「主様、なにゆえ妾のもとへ参られました。かような姿を見られますのはどれほど無惨と知りましょうか。いえいえ、なにもおっしゃられなくとも一目瞭然、そこのおくもにたばかられましたのですね。ごらんのように分娩は不首尾、はなから主様に顔を合わせられる身ではありませぬが、掟を破れしものはただちに処罰を受けましょうぞ」 落ち着いた口吻ではあったが、火のごとく明瞭に意味を伝えていた。 「ちょっと待ってくれないか、おくもさんを巻き込んだのは僕なんだ。徹底してすべてを疑る視点から結ばれた場面がここなんだよ。どこかにきみが隠れているじゃないかという疑念は拭いきれなかったからだし、ここでの生活に慣れ親しんだ振りをしたのも、結局は記憶を回復させたいが一心なのさ。こうやって地下世界まで降りてきてしまったことの弁明だろうけど、きみらが謎に包まれ、沈黙を余儀なくしたから僕は抵抗したまでだ。処罰だなんてひどすぎる」 「旦那様、、、」 背中へ語りかけようとするおくもの息づかいも一緒に切断する勢いで、闇姫はこう諌めた。 「問答無用でございます。一刻も早くここから立ち去りなさいまし、妾にはそれしか申すことはありません」 最後の言葉は幾分怒気を帯びていたにもかかわらず、闇姫は憂いを名残りとしたかったのか、少しだけ頬をゆるませ深い眠りにつくような目で見つめていた。 |
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