ねずみのチューザー47 両の袂に石を詰め込みすぎて利き腕が重た過ぎる、これではいけないと負担を減らし万全を期し、いよいよ恐る恐る階段下にやってきた。畳をいかに開くのか、おくもは心得ているらしいから僕はひかりへ羽ばたくようにして、とにかく座敷に駆け上がり転げこむのだ。そして第二の刺客に先制攻撃で立ち向かう。伝え聞く大きな斧とやらが瞬時にギロチンと化したときは、すでにあきらめもなにもない。おくもとは手短かに作戦を交わしただけで、階段に足をかける躊躇も惜しまれるくらい切迫した時間を互いに強要していた。そうしなければ、ふたりの呼吸は物怖じに乱れてしまう。耳をそばだてるまでもなく、小柄なつくりで温和だったじいの気配は、握りしめられた斧の重量によって圧力が加わり、それだけでない、もはや別人であることを肝に銘じなくてはならなかったんだ。 深呼吸したのだろうか、意識する必要なかった。脇をすり抜けたおくもの空気は軽く、足音忍ばせ敏速に階段を上り、その手つきも宙に浮かされた感じでポンと畳の裏を突つけば、シーソーが弾むみたいに一枚の扉は開かれ、白濁したひかりが差し込んだ。おくもが身をよじらせた横を僕は力まかせに駆け、ホームベースへ飛んでいく要領にわずかのひねりを入れ、斜めさきへと全身を投げこむ。思った以上に距離をのばせた幸運を知り感謝で歯をくいしばって処刑人の位置を確認する。いたよ、しかし僕が飛び出すのを待ち構えていたような如才ない猶予がうかがえた。 果たして一見鈍そうな斧の重しは、その破壊力を行使するまで血なま臭い雰囲気をかもしてなく、何より当のじいには殺気が感じられないし、悽愴とした顔色に朽ちることなく、これまで知った物腰を保ち続けているふうで、また一歩間違えば首を立ち斬られているはずだと、冷や汗をかかずに済んだのは、どう見てもじいには不釣り合いな斧をまるで杖がわりのよう手にしている姿だった。口もとには穏やかさが年輪みたいに記されていて、しかも眼光と呼べる威圧なんか微塵もない。 部屋の空気はすべての緊張を消し去って無味を取り戻していたよ。意表をつく処刑人の様子に一瞬気が抜けた。いけない、そのとき即座に自分の運だけが泥濘にはまっていることに気づいた。 「おくもさん、出てきてはだめだ!」 そう叫ぶまでの間はどれくらいだったろうか。じいは僕よりまずおくもを抹殺したいんだ。が、ときはすでに遅く、ひらりと身をくぐらせたおくもは寝そべった状態から、打ち合わせ通りに手裏剣を投げつけようとしていた。過ちを犯してしまったあとでは態勢を整えることは難しく、僕がまったく攻撃した形跡のない情況を覚ったおくもは、一瞬からだを堅くしてしまった。ふたりの視線は交差しかけたけれど、じいの無慈悲な笑みへと吸いこまれてしまい、鈍重な斧が振り下ろされるのを阻止することが出来なかった。 瞬きにも充たない気後れだったが、おくもの放った手裏剣よりじいの一振りに明暗は別れたんだ。僕の石つぶてなんかもまったく効果ないうちに、おくもの左肩から鮮血がほとばしった。恐ろしい速度だった。ひれ伏した格好のまま相当な損傷に耐えているのか、それとも意識を失っているのか、そばに寄って確かめることも叶わない、僕は適切な距離からひたすらじいに石を投げるしかなかった。 幾らか顔面に命中したけど、老人が秘める強靭な精神は一向に怯むことなく、また長距離走者の心音を想わす持久力で、ばあを倒された憎悪もたぎらす態度さえあらわにさせず、おくもに対する処罰だけに忠実であろうと凶器を振りかざす。ゆっくりした動きに映るのは目の錯覚かも知れない、打ち下ろされる勢いが信じられない速さであるように、この老人のわざは練達の極みなんだろう。かといって指をくわえているわけにはいかない、目の錯覚ならそれでもよかった。 上体を起こし処刑人の脇腹めがけて頭突きの態勢で突進する。獲物へ狙いを定めていた斧は垂直に空振りし、辛うじて危機はまぬがれた。ところが両手にしっかり握られた凶器は、老人のからだを反対に操っているのか、体当たりしても押さえ込めなかった隙にまたもや一撃をあたえようとしている。今度は斜に斧が飛んでくるのを察知したので、一か八か大きめの石を横面に打ちつけてよろめいたところ、すかさずより大型のものを手にして殴りかかった。打撃は鼻と口にかなりの手応えを感じ、もう一回同じところに叩きつけると、グシャリと肉もろとも砕けたのが歯であるのを知り、間もなく吹き出した血の量が激しかったのに勝機を見いだして、徹底して同所へ攻撃を続けついに仰向けに倒れたので、更に馬乗りのなって顔面が陥没するまで石を上下させたんだ。 途中で眼球が血糊に包まれとろみを持って流れてきたけど、それもかまわずすり潰すように殴打した。もう絶命していたんだろうが、斧をつかんだ骨張った手がまだ生きているみたいで、頭部だけ残しほとんど形をとどめていないのを眺めてから、手首の皮を裂き、肉を飛び散らせ、骨を砕ききってようやく凶器を肉体から切り離した。死体から鼓動が聞こえてくる幻聴を、僕の動悸と言い聞かすのに苦心したよ。そしてかけがえのない脈に向かい合う猶予を実感した。 「おくもさん、大丈夫か」 伏した様態から微かな呼吸が感じとれた。傷口にあたる着物は大きく破かれたふうに綻んでいる。どれくらいの深手か分からないが、あの一撃を受け軽傷であるはずもない。どうすればいいんだ。出血は止まらないし、意識も確かじゃなかった。 「すまない、僕のせいでこんな目にあわせてしまった」 途方に暮れるしかない惨めさで打ちのめされていたけど、おぼろげにそのさきが予測された。三番目の刺客の登場さ。もげもげ太はきっと現れるに決まっている、もう死闘なんかご免だ。彼に懇願しておくもを助けてもらおう。見殺しになんか絶対出来ない、どこへも行かないから、、、 |
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