ねずみのチューザー42 計画通りに運んだとほくそ笑むのが正しいのだろうけれど、しっくりと来なかったのは、いや、しっくりなんて言い方はどうこうあれ好ましくない、とにかく覚束ないままおくものこころに接触し、設問に即してない形ではあったが、攻落へと至ったことを素直に喜べなかったのは事実だった。 理由は分かっているようで、分からない。物差しを当ててみたものの先っぽがどうにも霞んでしまう、そんな不的確さにこころの安定は揺れていた。それはおぞましい感じでなく、もっと微細で曖昧な雰囲気がしなだれかかったおくもにまとわりついていたから、ほこりを振りはらう手先きに似た軽さで、底辺に沈んだ重しに触れらなかったのかも知れない。沈みゆくものが欺瞞という名の装置であるのも覚悟していたけど、僕の方がまごついているからには、思ったよりたやすくこの場面を演じられた安堵によって、空白がさらけだされたみたいだ。 空白を埋める算段まで描いてなかったので、同じく抜け殻になってしまったおくもを心持ち強く抱きしめるのが関の山だったよ。意向が伝わった時点で本当は直ぐさまにでも突破口が開かれるはずだったし、予断は許されない疾走のみが最後の方法だったから、軽微であれ感慨などに耽っている間などなく、そして詳述する代わりに無言で手を取り、目から異彩を放てば、あとはもう鮮明な逃避行へと一直線に結ばれる。だが、そんな憂慮は拭われてしまった。 両腕に預けられらた置物のようなからだは刹那に流されなかったのか、しなやかさを呼び戻し、まるで僕を先導する勢いで語気も優雅に、 「旦那様、やはり桜をみたくなりました。ですからこうしているのはおしまいでございます。さあ、まいりましょう」 と、姿勢を正しながら潤いたたえた瞳が輝きだし、豹変するのはなめらかな箇所をなぞる軽快さの証し、そう言いたげな様子がこぼれ出していたんだ。天真の笑みに薄ら寒いものを覚えたが、数える間もなく、それは怯懦によりもたらされた冷ややかな戸惑い、冷徹な意志が試される武者震いが背中合わせになっていると考えて間違いなかっただろう。 情念がこうも見事に開花するとは想像もしてなかったので、すっと立ち上がったときには互いの顔が向き合い空気を切っているような感覚を得て、おくもと共に上空へ舞う幻視さえよぎった。しかも乾いた口もとからはうらはらに熱気を孕んだ吐息が、ちょうど氷点下の地で吐かれる白煙みたいに拡散し、雪女の風姿も脳裡に浮かばせては異様なまでに士気が高揚してくる。一方では零落した欲情が名残りを惜しみ、ここで唇を重ねるわけにはいかないと自問している。余情に引きずられたままだったが、抱擁を確かめ合うことはなく、突破口を突き抜けるまでは色香は別種の彩に変貌し、鳥肌が全身へ吹きだした瞬間を自戒の念になぞらえ、なまめかしい様相を封印した。そしておくもが発した道行きの言葉が最後のみやびと思いなした。 「どこへ行くというのさ」 少しばかり引きつってはいたけど、あらかじめ決められた台詞として口を突いて出た。おくもに委ねられている情況は反転する文様と等しく、僕のひかりが織りなしたんだ。そう自責するのが義務なのだと言い聞かし、邪念を打ち消した。 「かねてより探索されていたところでございます。そこには旦那様が求めていた徴がきっと見いだされましょう。このような立場になった限り、わたしは一身を捨て去る覚悟、これから待ち受けているのは決して容易な道すじではありません。どうぞ、しかと気持ちを引き締めお進み下さい」 「ああ、わかったよ。でも、おくもさん、君を巻き込んでしまって申し訳ない、、、」 ほとんど自動的に吐かれた弁明が如何に虚しく、汚れているのかを痛感しながら、もう後戻りが出来ない緊迫に身を投げ入れている実際を肯定していた。だから、それ以上深謝の言葉は見つからないわけではなく、見つけようとしない虚偽のうえに一方的な沈黙を被せるしかなかった。 おくもはすべてを見通しているようなので、せめて、君だけを危険にさらしたりしない共にゆこうと喉から出かけたとき、 「お気遣いは無用でございます。わたしが選びとったのですから。旦那様の自由は、わたしの自由でもあるわけです」 そう言い含むよう応えたんだ。悲壮感など微塵もうかがわせない淡白な口ぶりに僕は本当に無言で対するしかなかった。そうしてふたりは以前かくれんぼの際に開け放たれたままのふすまを通り抜け、右や左に折れながらまったく感心するほど均一な座敷の奥へと呑みこまれていった。 美しくだまされたい、という願いは閉ざされた一枚一枚のふすまにおくもが手をかける度に、まるで深い谷底に落下してしまうような戦慄を催させて、増々純度を高めていく。おくもの背と僕の距離は、まさに道さき案内人を彷彿させる間合いだった。屋敷内だから外よりは狭まっているのだろうけど、活力が一見抑制された女性らしい歩幅は、単調に進んでゆく機械人形を想起させ、一縷の望みとかけてきた一切陰謀説を馥郁とした香りで裏切ってくれてたんだ。 おくもが機械なら油も必要だろう、狂い始めたネジや歯車に注入するための。ほのかに匂うそんな香りに僕は陶然としてしまったわけさ。 |
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