ねずみのチューザー4 みかん狩りだよ。銀山みかん園っていえばそれしかないからね。ちょうど秋日和だったし、あの辺の山深くもない、なだらかに山地が勾配している眺めはのどかでいいもんだ。と、いっても小学生の頃に一回きり親に連れられた記憶があるだけなんだけど、ある事件をいまでも生々しく思い浮かべることが出来る。こんな無人バスじゃなくぎっしり家族づれでつまったにぎやかな雰囲気でさ、くねりにくねった国道を揺られて行きながら、子供ながらにはやる気持ちを抑えているみたいな、どこか醒めた旅愁のようなものへ生意気にもひたりつつ、車酔いが混交していたのを覚えているよ。きっと乾いた秋風と柔らかな陽が窓の外にどこまでも流れゆくのが心地よかったんだろう。 みかん園に到着したらよく晴れわたった青空の下は案外ひんやりしていて、鬱蒼としげる濃い緑から懸命に顔をのぞかせてるみかん達がまた無性に可愛くてね、ここに一枚の写真があって、そのときのスナップでさ、だいぶ色あせた写真なんだけどみかん色の野球帽をかぶって目を細めているの。いやあ、陽射しがまぶしかったんじゃない、あの頃の僕はどの写真みても情けなくなるくらい薄目をしている、何故かね。照れくさかったのかな、たぶんそんなとこだろう。でもみかん色の帽子には我ながら微笑んでしまう。何か気合いというかやるき満々な気もあったから、意識してかどうかは知らないけど色合いを調整してたんだな。 そうそう、そんなことより事件さ。大げさに聞こえるようだけど、子供にとっても大人にとってもあれは事件だった。他のバスからもぞろぞろと乗客が降りてきたんだ。そのなかのひとり、中年の男性だった。頭髪がかなり薄かったから。その後頭部にピンポン玉ほどの石つぶてが命中するのを間近で目撃した。ごつんとか音はしなかったけど、ぶつけられた当人はうしろを振り返る余裕もないまま、とはいいながらいきなり頭をかかえたわけじゃなくて一瞬なにが起こったのか判断出来ないような様態だったよ。男性も家族づれらしくてさ、奥さんとちいさな子供があとから駆け寄ったのを見届けながら、そんな悪事を働いた犯人をしっかり確認した。だってまだ片方の手に小石が握られ、命中先をじっと見つめているんだから。邪心があるのかないのか、その犯人はいたいけな児だったからことの次第を把握していないだろうし、その表情にとまどいもおそれもなかったところを見ると、攻撃心は宿してなかったと思う。その児にも当然だけど親がいてさ、まわりが声をあげると気がついたみたいで、まだ手にしたものをまのあたりにし気の毒なくらい狼狽しちゃって、相手の家族に謝るやら児を叱りつけるやらで、君にも大体想像できるだろう、そんな場面。男性の薄髪の間から血はにじんでいるし、犯人を叱責するまえに痛さでしゃがみこんでしまい、見ていた僕もすがすがしい気分が一転して、どこかから石が飛んでくるのではなんて不安に襲われてしまったよ。 空覚えではない、そのあとさ、石をぶつけられ血をにじませた不幸な男性は寛大なのか、そんな幕開けをきっぱり否定したかったのか、だってそうだろ、せっかく行楽場所に来た矢先そんな不運に見舞われた胸中は察してみてあまりある。しかも故意でないことが明瞭すぎるくらいなわけだから、一切の文句を言うどころかさしたる感情も現さないでその場から早々に立ち去ったんだ。その家族の反応は残念ながら思い出せない。寛容すぎる無言の退去にもどかしさを感じながらも、自分にも降り掛かってくるんじゃないかって怖れがにじみ出しはじめ胸がどきどきしていた。いまから思えば、叱責なき姿が逆にあらぬ不安を募らせたんだよ。野方図なまま取り残された空白みたいものが、高い空まで浮上していくようだとね。で、事件はおしまって言いたいとこだけれど、そうは問屋がおろさない。リアルな記憶はここまで、これからはまたまた奇想天外な成りゆきに話を戻さなくては。 そんなみかん園にどうしてチューザーはわざわざバスを走らせるのかなって考えてみた。あの情景が鮮烈だったんでその先のことをさっぱり思い出せないんだ。みかん色の野球帽の下に汗をうっすらかきながら夢中でみかん畑を駆けたのか、お昼はどんなふうだったのか、多分おにぎりだったのだろうが、写真では三匹のこぶたの絵が書かれた水筒なんかぶら下げているけど、いまひとつピンとこないなあ。まさかチューザーはそんな失われた思い出を甦らせるために運転しているわけでもあるまい。あれからみかん園を特別懐かしがったこともないし、いくらぞっとした事件だっからといってトラウマにまで到ってないからさ。 すでに不思議の国にはまりこんでいるのに、あれこれ詮索したみても仕方がないかって開き直りもあって、思考をめぐらせるのも適当に気がつけばいつもの癖だね、走りゆくあとに焦点をあわせるでもなく、ぼんやりと窓の向こうを眺めていると、緊迫した意識が大気に拡散していくようで、こうして移動しながら風景を見やるっていうのは一種の麻痺に近い感覚で実に落ち着く。自力で草原を軽やかに駆ける動物や、空中を自在に飛翔する鳥たちとはまた異なる速度感じゃないかな。運転手はさておいて手も足も、羽ははえてないけども、それらをまったく駆使することなくただ座ったままで享受出来るなんて素晴らしいと思わないかい。空が晴れようが、曇ろうが、雨荒らしであろうが、のんきであろうと思えばどこまでものんきでいられる。はがねとガラスの内側に居座りながら夢を見ているんだよ。流れ去る時間をふんだんに堪能しつつ。 |
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