ねずみのチューザー3


「運転免許ですか、ご察しのように自動運転で走行しておりますのでご安心ください。どうです、乗り心地のほどは。ところでこの無人バスでございますが、実のところあなたさまをお迎えにあがった次第なのでして、唐突にそう知らされてもただ狼狽されることと承知のうえなのですけど、幻覚へとさまよってしまわれるのは遺憾でありますので、この際はっきりと申しあげたほうがこれからの成りゆきもご理解いただけるのでは、僭越ながらそうお含みくだされましたら幸いでございます。いかなるゆえんでかのような方策にいたったかはのちのちお分かりになられるかと存じますので、まずはそれがしの任務を披瀝いたしましょう。あなたさまは以前よりよく悪夢にさいなまれていると自他ともに認めてらっしゃいますのを、それがしかねてより精通しておりまして、いえいえ、その手段は少々こみいっていますので省略させてもらいますが、とにかく就寝中あまりいい夢見がまれでときには金縛りなぞの憂き目にあわれているのは間違いないところでしょう」
「たしかに毎晩夢は見るけどそれほど苦痛ではないな、最近のホラー映画のマンネリよりかはバラエティに富んでいるような気がしないわけでもないからそれなりに鑑賞しているよ。だが金縛りはまだまだ慣れない。それがどうして任務と関係あるって言うの」
このバスがお迎えなんてあまりの言い草にたまげるより、それこそ悪い夢のなかにいるんじゃないかという気持ちがして、おもわず脱力感を覚えてしまった。冗談ならいい加減にしてくれって意識もよぎっていったよ。だからといって虫左のひどくかしこまったもの言いに反発したいわけでなく、もう自動運転のバスに揺られてしまった身、ここはその任務とやらっていうえらく重々しそうな謂われでも聞かしてもらおうじゃないか、そう思ったんだ。
「あなたさまは認識されておられるかと存じますけど、ときおり夢に一匹のねこが登場しないでしょうか。黄色いねこです。軍帽をかぶっているはずです。それがしはかの御仁、すなわちミューラー大佐を探っているのでございます」
僕はここで始めて驚きに支配された。それまでがまるで絵空事だったんじゃないかってくらいにね。
「ミューラー大佐は夢なんかに出てきたことないよ。だって僕の飼いねこじゃないか。もっともビニール製のおもちゃだけど。なんなら見せてあげていいよ」
「失礼ながらそれは考え違いでございます。あなたさまがお持ちのものはいわば影、実体は別な世界に棲息しているのです。なぜならそのおもちゃでさえ、どのような経路で幼児期よりお手もとに届けられたかご存知ないはずです」
「あたりまえだよ、経路なんて大げさなもの通ってないっていうの。親が買ってくれたから家にあったんだ」
「ほう、そういたしますとご両親からその言質はいただいておられると申されますか」
「随分と話しがふくらんできたなあ。そんなこと聞いてみたためしもないし、聞きてみたいとも思ってない。それより、なぜならっていうけど影と実体なんてどうして言い切れるんだい」
だいぶ興奮しているのが自分でもわかってたんだ、もちろんばかばかしいけど妙にひっかかるじゃないか。おんぎゃあーと生まれてから、両親はじめいろんなひとからもらったり譲り受けたりしても記憶に残っていないおもちゃって一体どれくらいあったんだろうってね。実際虫左のいうミューラー大佐だけが唯一成人した今でも当時から手もとに置かれている。困惑している僕をなだめる意味なんだろうか、それとも更なる迷宮へと案内するつもりなのか、明快な返答がないまま今度はこんなことを言い出したんだ。
「あなたさまは小栗虫太郎の黒死館殺人事件を読まれたことがありますね。それがしの名、虫左の虫はあそこから一字を頂戴しているのでございます」
「ああ高校生のころに読んだよ。あの文庫本ならまだ本棚にあるはずだ。そういや再読してみたいって思っていた。太平洋戦争のさなかある兵隊がかたみはなさないで余暇を見ては耽読していたっていう、あの衒学趣味に満ちあふれた小説だろ。へえ、そうなんだ。虫の字はねずみのちゅうの当て字かと思ってたよ。で、ミューラー大佐の影の持ち主がどこでどう虫太郎と関わってくるのさ。夢落ちとかはもう食傷気味なんだ、これがまぼろしでないなら頼むからいくらか筋道をつけてくれないか」
「このバスはただいま銀山みかん園に向かって走行しております。おわかりでしょうか、めくるめく衒学は逸脱の嵐であったという軌跡を、、、筋道は大事でしょうが、寄り道も決して悪くはありません。虫太郎は虫太郎、それがしもこのあたりで変化いたしましょう。どうぞこれよりはチューザーとお呼びくださいまし」
と、まあそういうわけでおいそれと謎はとけそうもないや、ねずみのチューザーとしばらく一緒してみるしか手だてもなさそうだしね。