ねずみのチューザー39


袱紗の手触りを慈しむよう髪を撫でながら、唇をそっと重ねる。伏せられた目もとは眠た気なまま、情欲を静かに解き放とうとしている。おくもの表情は微風によりかすめられたような、うっすらとした哀しみが現われており、僕の胸は厳かな鎮魂に被われそうになったが、鏡に口づけする冷たい感触を味わう様相へと埋没して、反応を細やかに受け取ることは避けた。次第に温もりが感じられだしたのは哀しみが、別種のものに移り変わったからだと、醒めた歓びのなかへ時間を放り投げ、肉欲が穏やかに巡ってゆくのが分かった。
苔子との放埒な日々はからだにまだまだ残っていたので、おくもに対する興奮は影絵のうちに描かれる色彩となって、すぐさま躍りだしはしなかったのさ。彩りが不明瞭なぶん、技法を常に意識している節度が保たれていたと思う。おくもの着物を脱がし、瑞々しい肌を目の当たりにしながら、小ぶりの乳房を観賞し、少女の面影を宿した上半身に欲情とは異なったときめきを覚える。掌はそっと肩先へ触れるだけにとどまり、なだらかな胸を弄ぶ衝動は抑えられ、ゆっくり帯をほどいてみるもの憂さで、沈着した肉欲の流れを見届けたんだ。そんな僕の顔つきをおくもは不思議そうに眺めていた。いや、そんなふうに思い込みたいだけだったかも知れない。だってかなり悠長に構えて裸体との出会いを遅らせ、激しい交わりに展開するのかどうかさえ覚束ない態度を維持していたから。序曲だけを愛聴する短気さが、実はとても気長であるように。
濃紺の十字絣を脱いだ柔肌には格別な美しさが備わっていた。そしていよいよ茄子色の帯も巻き付く役目に暇をあたえられたとき、隠し通す使命から解放された初々しくまぶしい太ももが出現した。水気を含んだような張りは見事な肉感を漲らせている。透けるほどの白さではないが、憎々しいくらい肌の色がにじみ出て、僕を吸い付けてしまう一体感へと誘いながらも、その弾力には好意をはね返しかねない、無邪気な抵抗が潜んでいて増々悩ましさを募らせた。穏やかだった気分に変調をきたしたのは無理もなかったよ。だけども、そのあとに僕はもっと強烈な鼓動を知った。
着物の裾が完全にめくられたとき、まったく予期してなかった光景に目を奪われてしまったんだ。おくもは生成り色のパンティをはいていた。淡い色合いのせいか、はっきりした判断は数秒遅れていたと思うけど、恥毛の有無を認めることより、下着を身につけている不自然さに圧倒されてしまったよ。苔子に慣れすぎたのも一因だろうが、まさか股間を被う布がこれほどめまいをもたらすとは考えてもなかったから、やっぱり不自然といえるし、この違和感に僕はかなり戸惑ってしまい、しかも単なる驚きだけでなく、肝心なのは女体がそこですべてをさらされているよりも、つまり股の草むらが秘所を守護している加減、あるいは反対に陰部が陰部であることを強調している官能、それより遥かに僕は脳髄を揺さぶれ、手足の身震いを止められなかった。
肉に張りついているようなパンティはおくものこころと不可分なのかも知れなかったが、実際にはこころから超越したに違いない咽せかえては、視界さえもさえぎる濃い霧にかいま見る局部であり、いまここに陶然と目にしているものは女体の神髄をくぐるのれんだった。顕現を待つ心境は神々しく、そのむこうに開けるすべてを掌握している。そうだよ、脱がす瞬間は至福そのものだ。
もう帯を解くときの手つきは忘れてしまっていて、序曲の第一旋律は絶頂に達し、参拝する際にありがちな作られた無心が僕を突き動かしたのさ。ムクムクと勃起するのが痛いほど分かる。女体の地平が開かれた以上、妄念は嫌がうえにも脂汗にまみれ、熱烈な惰性とともに溶けてなくなるんだ。まばゆい太ももに顔を埋めるとき、おくもが見せた逃亡者を彷彿させる切実な、だがどこか不敵でありそうな微笑を僕は愛した。かくれんぼはまだ終わっていない。
ためらいが傷口であったなら、そんなことを思い浮かべながら股のあいだに唇を這わせ、水飴でもなめているような音を聞き取った。春先に咲き始める花の色づき、濃い桃色をした花弁、季節は移ろい真夏の太陽が燦々と降り注ぐ。蝉の声は暑苦しいけど、限りなく澄んでいる。おくもの喉の奥から次第に嗚咽がもれだす。僕は濡れた花びらから飛び立つ蝶のように、太ももの内側をまんべんなく味わい、それから雨上がりのカタツムリの精神で脇腹をさかのぼり、愛でるにとどまっていた乳房に到達する。
人差し指と中指で乳首を軽くつまんでから、両手ですべてをもみほぐした。決してちからを強めず、かといって弱すぎることなく、その盛り上がりに応える加減で柔らかなしこりを撫で尽くしたんだ。そのあとは左手を離し、再び濡れたところへと指さきを、緩慢に割れ目に沿って上下しながら少しだけ奥に忍ばせた。おくもが身をよじらせうっすらと汗ばみ始め、僕の下半身も肉に接したく上半身を起こしたとき、「わたしは避妊しております。どうぞ思いきり感じて下さいまし」喘ぎ声とは無縁であるかの口ぶりで、そう言い放った。
これまで手探りで築き上げていた臆見が瓦解する失意を覚えたけど、すぐにそれは一蹴された。おくもは明らかに虚言を吐いている。僕が断片的にかき集め、方向づけた種牛説を否定するのは無限の迷路をさまよい続けるに等しい。慎重に考えてきたつもりだ、揺るぎはなかった。
「そうなんだ、じゃあ、いくよ」
勢いよくおくもに精が注がれた。いつものことだが半分以上放出されたあたりで、冷静な思考がよみがえってくる。補欠策は穿ち過ぎだったかも知れない、僕は鋭利な自説に酔っていた、何というお人好しなんだろう。しかし、この里の住人が常軌で計れないのならば、現象は永遠につかみとれないというのか。