ねずみのチューザー37 屋敷にこもったきり憮然と苔子を待ち続ける風情で、庭先おろかこの敷地内さえ興味本位ならずも調べてみる挙動をこれまであらわにしなかったのは、やはり開き直りなのかも知れない。 いきさつを語りだしてみたものの、いまひとつ切迫した危機感をあぶりだしているふうに君には見えるだろうか。原因は僕の記憶がなにより一番だと考えられるけど、不可解な現象に対する反応の鈍さがもっと問われるべきではないか。架空の女忍に好意をすりつけ、曖昧な対象へと意識をくぐらせていたったのは、籠絡を僕から乞い願ったと見なされても仕方のない態度だよな。 囚われの身なのだと嘆くよりも、浮遊した意思を預けてあると言い換えたほうが不安や怖れは減少されるし、仮釈放みたいな自由がもたらされ、萎縮した我が身と四六時中向き合わなくても済みそうだった。熱烈な信仰を捨てなかった隠れキリシタンじゃあるまいし、当然ながら本当の自由なんて微塵も得ることなど出来ない。僕は奇怪な接遇に甘んじる代わり、自ずと幽閉の規律をまっとうしていた。そう、許されたこころの自由がひろがりゆくほど、この身を目に見えない荒縄で縛りつけていたんだ。だから、寝起きする座敷より出てみるのは圧迫をともなう苦痛だった。かといって決然とした解放への希求があったわけでもなく、所詮は隠れ里から逃れなれない、異境の涙に流れるしかない、そんな諦観にしっかり骨抜きにされていたから、別に拷問を受けているでもなし、怪し気な重力と健全な斥力がうまい具合に計られ今日まできた。もっとも何が健全かは自明に述べられるんじゃなく、あくまで怪異にのみ込まれた餌食が覚える想念だけどもね。 で、まあそうした葛藤がいよいよ僕の背を押し、隠れ里でかくれんぼという二重構造の回路を見いだす珍事に展開した。もげ太やじいばあを懐柔するには今更の感が強すぎる、細かく言わなくても分かるだろう。そうなるとあとはおくもしか残らない。苔子が帰ってくるまでにはとりあえず、屋敷中を調査し可能な限りの情報を探しだす。僕だけで隠密に行なうのは絶対に無理だ。昨日までふぬけ状態だった奴がいきなり部屋や庭をうろつきだしたら、間違いなくすぐ警戒される。おくもには最大の用心がいるな、苔子やねずみはあきらかに身近な監視として彼女を屋敷に寄越したんだ。だが、一番僕に近いことで不用意な行動が案外客観性を損なわす、つまり天井裏から盗み見しているねずみのような視線の配分を削る効果が期待される。おくもが優秀な女忍であるのは疑う余地はないが、何も絶望的になることはない。 僕は自分でも得体の知れない力が奥底からみなぎってくるのが分かり、単なる特攻精神だけでない、僕が何か未知なるものを握っているに違いない、そんな確信がはっきり芽生えたからなんだ。この件はまえにも話したよな、前置きはもうこれくらいにしておこう。 さて、かくれんぼを開始するにあたって、念頭に叩きこまなければならない要点を反芻してみると、自然不自然の見識は場合によってはあだになる、子供のように無邪気に振る舞えばいい。退屈しのぎだ、憂さ晴らしだといった面持ちこそ最善の構えなんだ。次に監視はさておき、注意すべきはおくもとの会話であり、更に神経を研ぎすましておくのが盗聴への対策だよ。この防衛術に関しては腹案があるのでいずれ実演におかれた時点で話すことになるから省略させてもらうとして、おくもには早い段階で僕の意向を悟らせておき、なるだけ綿密な探索を決行したいと願っているから、あえて無防備な挙動に出るつもりさ。 そうじゃないと限られた時間で屋敷の見取り図は描けないし、外部への逃走も出遅れてしまうだろう。最後にもっとも重要な事柄を示す。僕の不穏な行動に察知したじいとかばあはいち早く連絡網を使うと考えられるが、そのまえに有効に探査が進行しているとは明言し難い、出来るだけ穏便な手段を選びたいところだけど、これはつまり戦争だ。非情な攻撃も遂行する覚悟でいる。武器はすでに調達してある、以外なものが役立つのさ、これも後々話すよ。さて、あとはもげ太も含めた自称忍者らとの最悪の決戦だ。あの婚儀に参列したきつねの面々も加わったら僕は完全に包囲されてしまうだろう。いかにして突破口を切り開くか、そのさきは残念ながらわからない。 かくれんぼから包囲まではとりあえず遊戯だろう。だから取り急いではいけない。二重構造をそうたやすく横断してしまっては元も子もない。折角閃いた回路なんだ、まずはおくも攻落の仕掛けからゆっくりとご覧にいれよう。一気に要点だけを絞って聞かせたので、気忙しく感じたかも知れないけど、この里に流れる時間はそれはそれはゆったりとした優雅なうつろいであり、僕が想定した攻防などよくよく鑑みればおとぎ話となってしまい、なごやかなものに思えてしまう。 おくもの裸体にだってまだ触れていない、そして僕自身の何かにもまったく気づいていない、時間は短いようで長いのか、それとも反対なのか。 こころの準備は一応整ったので、おくもに切り出した。といっても我ながら拍子抜けするくらいの頼りなさが声色に出てしまい、遠足にでも行くような、もしくは海水浴に誘うような喋り方だった。 おくもにしてもきょとんとした目で僕を眺め返していた。そしてこう言ったのさ。 「面白そうでございます。旦那様もさぞかし退屈でしょうから。承知しました。では鬼の番はどちらから始めましょうか」 僕はこの屈託のない口ぶりを忘れることはないだろう。 |
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