ねずみのチューザー16 覚えているかなあ。はじめてチューザーからねこの謂われをしらされたとき驚きのことだけど。記憶の端からすんなりと形状が示されるように確か黄色いビニールのおもちゃが飛び出てきた。まるで魔法にでもかけられのたか、催眠術によって実在しないものが捻出されたのか、どっちでも同じなんだ。だって幼年期に沈める思い出とか、確実にたぐり寄せられるものなんかじゃない。それはまだまだ産湯につかっていて、人肌の加減を味わう言葉さえも覚束なく、疑心を産み出す努力も教えられない、無垢な光線に照らされた湯気のような意識だった。 少なくとも僕は後年までその黄色いねこをガラス張りの飾り棚にしまっておいたから、湯気に包まれようが光線は瞬く間にやってきて、ひとつの確信を残しておけたけど無垢なのかどうかはわからない。 いや、後年の意識まで催眠効果で植えつけられたとまでは邪推しないよ。そんなにねじ曲げてみたところであまりよい意味はなさそうだし。軍帽はまえに一度だけ話したよね。チューザーはその事情をのみ込んいるみたいだったが、おぼろげなままにあえて説明しておいたんだけれど、それにしてもよくミューラーに軍帽を被せたことまで読みとっていたと感心したんだ。そうだろう、帰納法から導いたにせよ最低限、僕の幼年時代を垣間みていなくては言えないし、まさか夢のなかにとか口にしていたが、共有夢なんてのも超能力か神通力みたいで中々信じがたい。となれば、やっぱり催眠方とかになってしまう。映画なんかでもあるじゃない、スパイが拷問の末に薬物を投与されて自白するって方法。考えたくもない結果だけど、合理的につめてゆくとその線が一番濃厚かも知れないよな。ただし、僕は意地でもそんな線を認めたくない、そうじゃないか、そんなもの認めてしまえばすべてが白昼夢に堕ちてしまう。墓穴も空洞も自分で見いだすから醍醐味があるんだ。たとえすでに掘られていようとも。だったら最初から中途半端にせず、脳内を思いきりかきまぜられてロボットにでもなってしまったほうがましだよ。でも彼らはそんな荒々しい手段は使ってないようだから、こうして君にメールなんか書き送れるんだろう。 きっと冷血な優しさなんかもあるに違いない。どこまで疑り深いのかって、大事だからだよ、信じることはとても大切だが、色々と懐疑してみるのも必要なことだと思うからさ。軍帽から少々それてしまったけど、どうこうあれ、チューザーは僕の原風景みたいなものをどこかでのぞき見ている。いいさ、どうせ僕は合理主義者にはむいてないみたいだし、だまされるなら美しくだまされたいもんだ。 ねずみの歴史から僕の心情に飛躍してしまったけど、実際においてもミューラーの軍帽にさしかかったとき、ついにチューザーの講談にあいの手を入れ、いま言ったような会話にすべっていったのさ。同じ意味あいを問うたわけ。どんな反応したか想像できるかい。また一本とられたよ、彼はこう答えた。 「この世は条理にてひもとけるものだけ存在するのでございませぬ。また、条理とやらも宙に浮いた白雲でありましょう。なるほど、ミューラー大佐の帽子なぞ、よくよく鑑みますれば、まずあなたさまの光景が先んじておりまして、それがしが実在を説く秘密結社総統の風貌こそ、とってつけた仮面のごとき戯れ、万にひとつの偶然と怪しまれてごもっとも」 「じゃあ、この際だからどうしてすぐに僕が黄色いねこをもっていたのか、種明かししてもらいたいな」 「あなたさまがまだ幼き頃、ああしたビニール製の玩具は子供のもつ家庭では珍しくはござりませんでした。が、ある程度の年齢になりますとあれほど慈しみ、そうでございます。よだれを浴びせるのが日課であった幼き月日は、雨上がりの陽射しで無碍にて蒸発してゆく浅き水たまり、記憶の回路こそ、のちの標識、、、」 「わかったよ、僕にはミューラーの思い出なんかないってことだね。飾り棚に眠っていたことすら忘れさっていた。しかし、あの軍帽には確かな記憶がある」 「そうでございましょう」 「知っていたのかい。小学の中頃かな、GIジョーって男子版着せ替え人形が発売されてみんな夢中になったこと。アメリカ軍の陸海空の軍服が大半の割合だったなか、ドイツ兵、なかでも親衛隊の制服がひと際格好よく映ったこと。怪獣とか宇宙人とかの絵空事からはじめて離れたような気持ちを抱き、人形のなかに生ける躍動を感じとったこと。もうよだれなんかで汚したりしない、しかし手先は執拗なほどに精巧にあつらえられた軍服の生地やボタンをなぞり、もう一体欲しいと切実と願っては結局かなわなかったことを」 子供が子供であり続けるのが不純であるかのように、やがてはその愛玩物に目もくれなくなった頃、一夏の昆虫の死をいたむかのように庭のすみへと埋葬する儀式の延長だろうか、僕はあれほど端正に仕立てられていた着せ替え人形の破れはてた姿さえ思い浮かべられないまま、唯一ゴムでかたどられていた軍帽だけをそっと手にした。土中へと埋めるわけにもいかない。思案もなにもない、飾り棚のなかで時間を失っている黄色いねこのあたまに被せてあげたのだった。 「あのとき、あなたさまは葬儀と再生をつかさどったのでございます」チューザーの声色はまるで僧侶の引導を想起させる余韻があった。 合理主義うんぬんはもちろん脇に置いといてもこれではまったく答えにはなっていない。だが、僕はとても気持ちが引き締まる感じがしたんだ。そうだろう、もっと秘密はあるんだろうね。チューザーからミューラー大佐にまつわる真相(幼児期のほう)を聞きただそうとしたけれども、どうやらまだまだ陽は昇りきってないように思われた。 |
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