ねずみのチューザー17


山道が舗装されてないことを今はじめて身に覚えた。それはどれくらいまえからだっただろう、通り去る風景の一こま一こまをしっかり見定めていたようで、なにもかもが虚ろにしか感じられない、あの穏やかで閉塞的なまなざしによって回想は曇らせていた。僕の意識に立ち上ってくる淡い情感は、行方を探ろうとはしない朦朧とした余熱で保られたまま一ヵ所に淀んでいる。紅葉に萌える山々が色彩をなくしてしまい、一面真っ白く雪景色へ移り変わってしまった平坦な思いに包まれていたのさ。留め置きたい気持ちは、ちいさな雪だるまとなってところどころで寂し気に日光を受けている風情だった。雪どけを待ちながらも氷の世界を愛しむ、冬の旅人のように。
現実の季節がこうして逃げさっていくことってないかい、いや、季節に限らず一日のあいだでも起伏を生み出しては、さっきまで好きだったものが次第に色あせ、何事もなかったふうに目には見えない物置にしまわれる。そして反対に忘れかけていた些細な気分が胸のなかに充たされていく。まったく自由奔放といえばそれまでだけど、僕らの体調もそれに等しく日々うつろっているから、温もりや寒気に敏感になったり鈍感になるってことはあたりまえだね。バスに伝わる振動は決して均一ではなかったけど、そのうちガタガタ道を走る違和感が薄らいできて、変拍子にのせられているような体感を心地悪く思わなくなっていた。
まどろむ意識がいつも揺籃であるとはいわないが、まどろむことによって棘のささった指先を見つめなくなり、ザラザラしたいただちは緩和され、キリキリする欲望や嫉妬が希釈させる。こころの中すべてが放念されるかといえばそうでなく、案外それまで見えてこなかった異相がくらげのように曖昧なかたちではあるけど、大気中に靄を認めるみたいにして形成し始めたんだ。
僕の脳裏から剥奪されたのは自由であったかも知れないが、気分がそれなりに自由である限り、奪われ束縛されたのでなく、そうだな、旅行中にハイジャックとかバスジャックに出会った不運を嘆きつつも旅の趣きを決して失わない、そんな生気さ。無理矢理バスに拉致されたわけでもないけど、それなら僕の方からすすんで乗車したともいえないからなあ。このあたりが明確でないのがやはり実情だよ。チューザーの奇天烈な話しを鵜呑みにしなければならない情況を了解しても、それがそのまま絶対の束縛には繋がらないと思うんだ。どうやら僕は何らかの鍵をにぎっているため少しは役に立つのだろう、もちろん彼らの言い分がまっとうであればだけど。あと相当に入り組んだ世界を浮かべてしまうんで、正直なところ面倒だと考えてもいたから、そりゃ僕だって追憶には即せないが、思考方法はあれこれめぐらせてみたよ。一般論な合理的判断に結ばれないのを自覚したのは妥当だと思う。帰納法でつきすすめてみても袋小路にゆきついてしまいそうだし、夢想とか聞こえのよいマインドコントロールにいたってはもう一切考えないほうが賢明だ。僕に可能な方便は、つまり残された道筋は現象学的還元だけだった。その行程はこれまで書いてきた通りで、必ずしも明解な答えにはたどり着いておらず、相互の主観を出来るだけ綿密に記述しようとしてきただけだから独断でしかないわけだけれども、そう、つまるところ自意識の要諦に四苦八苦して引き戻す作業なんだ。現象学は厳密な学だと創始者は述べているけど、結果的には道筋をたどる方法論でしかなく、落ち着く先も海底に下ろされる錨のように確実ではない。だけど主客二元論で割り切られる世界よりはよっぽど誠実だ。少なくとも欲望が加味していることに親しみを寄せられるから。
投錨されることが欲望なんだ。観念論や実在論がわざわざ遠ざけてきた欲望が大海に再び飛び込んでゆく。この官能さえともなう理念を見つめない限り、錨はただの重しにすぎない。さあ、君ならどうする。由緒ある製鉄所で製造された錨に絶対の確信を持ちひたすら一途であるのか、それとも由緒も本来も格別こだわりなく投げこまれた錨にこの身が溶け込んでいく刹那を愛するのか。そして愛するものが誰なのか、どこにいるのかなどとの考えを無粋と流し目だけで送れるかな。
流れゆくさ、上流から下流へ、過去から未来へ、春から夏へ、空から雨が、山から霧が、森から鴉が、夜から朝が、人から人が、、、大地と大海と大空は、君の錨を待ち望んでいる。君が望んでいるよりもっともっと深い場所で、高貴な寝台を準備して。
僕はどうするかって。決まっているじゃないか。このバスに錨は装着されていないから、停車を望むまでのこと。まえにも伝えたけど最終目的地などでなく、各駅停車みたいな気軽でいながら胸騒ぎを忘れないことだよ。
いかにも思惟をめぐらせたふうに聞こえるかも知れないが、土台妖しの世界を身震いしながらのぞきこんでしまう性格なんだ。そうそう現世ご利益じゃないけど念いは通じるもんだね。チューザーからしてみれば仔細を明かすに及ばずの方針は、僕にとっては非常に喜ばしい方向に進んでいった。もげもげ太がこう切りだしたんだ。
「これより甲賀の里へと向かいます。今後の計画などは申し訳ありませんがしばしの猶予を。実際に甲賀にて見聞されるのがよろしいかと存じます。それから予てより待ちわびられておりました様子の闇姫さまが里に戻られたと連絡が入りました」
僕は無性にうれしい反面、どことなくわびし気な幕に被われた。切望したのは事実だったけど、こうもたやすく面会がかなうなど贅沢にも拍子抜けしたように感じたんだ。あれから日にちと呼んでいいものやら、チューザーには壮大な謂われを聞かされたにしても、劇的な事件にも遭遇してなければ、身の危険に苛まれたわけでもない、時間の推移が実感できないままにもう祈願が成就されてしまう。無論わびさしより期待のほうが数段と勝ってはいたが、いざ自分ごとになって切迫してみると、捨て犬が路頭に迷うやいなや直ぐさま優しい飼い主に拾われたみたいな運が良すぎる進行には、戸惑いがあった。いずれこの微妙な綾は別の意味で知らされるのだけど、そのときは胸騒ぎまで発展しない、気軽さだけに手応えを覚えない驕りで燻られていた。