ねずみのチューザー15


彼の語るところはおおよそ理解したつもりだった。何度も繰り返すけど、目前のねずみがこうやって分別ある毅然とした口ぶりで過去を、例えそれが陥穽におとしめる企てであっても、今はひたすらその言葉を受け止めるしかない。どんな計略が僕を待ち受けているのかなど、肝を冷やしながら向かい合うよりか、不思議という綾が織りなす好奇を優先させている心持ちのほうが、血がかよっていると感じたんだ。ねずみとねこの諍いなんて、まるで「トムとジェリー」みたいで微笑ましいじゃない。きっと幼いこどもたちだって好ましく思うんじゃないだろうか。もちろん、表面的な追いかけっこまでなんだけど。
チューザーの披瀝はまだ続いていったが、君にとってはおそらく幾分か瑣末な話しも含まれていたし、僕なりに細やかなところは別に記しておきたい身勝手さもあって、すまないけど本筋を明瞭にというか、多岐にわたる箇所はいくつか端折って説明させてもらうよ。鼻をひくひくさせながらの講談は捨てがたいんだが、チューザーの古雅な語り口だとどうやら総集編の予告篇じゃおさまりそうもないから。
さっき計略かもとかいったけど、僕の胸のなかにはそんな陰りも確かに発生していて、どれだけ途中で問いただしたりしようと思ったことか。でも口をはさむのがどうしたわけか禁制であるような、いや、まわりから抑圧とかされ自由がきかない緊縛ではなく、もっとだだっ広い空間に自分の声が震えるように響いていくときの張りつめた音をどこかで怖れてしまったんだ。小学生になりたての頃に訪れた、授業中思わず手をあげたのはいいけど、隣の席の子も前の席の子もまわりが急に静まり返ってしまって、先生の視線さえ冷ややかなものに変質している、ときの隙間に呪いがかけられたような疎外感を。
当時の感覚も随分とぼやけてしまって、こんなふうにいうのも多分あの情況を的確にはよみがえらせていないだろうけど、今からすれば墓穴を掘ってしまった恥じらいにとらわれていたんだよ。どれほど深いのか、どんな格好をした墓穴なのかまで思惑がめぐったりしない、ただ決して外側だけに強いられている性質じゃなく、僕自身の空洞も加わって、ちょうど宵闇がトンネルに忍びこんでゆくのを眺めているような気分だった。
さて、ねずみとねこに戻ろう。チューザーによれば、ねずみ一族の生存は様々な時代をくぐったとはいっても、相当危機にひんした場面もあって、並大抵ではない辛苦にたえながら結束を固めてきたからこそ現在へといたっている。それは一縷の望みにかけてきた証でもあるんだ。彼の先祖たちによる時代の奔走は僕に対してだけじゃなく、これは御法度だと明言してたから詳細はつかみようがない。チューザーだってはなからそんな来歴を聞かそうなんて考えてないよ。彼が強調したかったのは国内においてはそれなりの平穏が保たれていたということ。これは人間がどうのと社会がどうのとでなく、あくまで彼らねずみ一族における形勢であり、ここは誤解ないよう受け止めてほしいのだが、どうやらこのご時勢には忍びとしての役割はすでに大方なすべきものはないみたいで、しかしはっきり役目から放免されたとも言いがたい、その辺は大きな紛争の渦中にいない僕らにも不透明なところさ。ところが、ねこ一族とやらは情報こそ多種あってもその実体はまったく憶測の域を出ないというわけなんだ。特にそのミューラー大佐だね、奴の正体を見極めたものなどかつてなく、実はねこは仮面でれっきとした人間、しかも家系はナチスであり、オデッサであり、国際規模にひろがる秘密結社の頂点に君臨している。と、まあ世界の陰謀説とか暗躍家系図に登場してきそうな資質が漂ってくるから、チューザーたちにも要請が命じられた。相手がもし人間であるなら、こちらだってなにも古来から伝わる呪術めいた忍びにことを託すまでもなく、もっとハイテクな対処の仕方があるはずだろう。僕が合点いかなかったように君だってそう考えないか。しかしね、どうやらその思考は単純でしかない。ここでも主眼は伏せられたままだったので、具体的には説明しようがないけど、これは冷戦ならぬ底戦らしんだ。ミューラー大佐はドイツ国籍っていわれてるが、実際には秘密結社を通して各国をめぐっている。しかもねこであるとの触れ込みはある意味軽やかな信憑性を蔓延させる結果となって、そう、「トムとジェリー」と似たようなものであり、真っ向から彼を糾弾するものが逆にいなくなっていまう現象を引き起こしてしまったわけさ。恐るべき脅威が切迫しているのに、誰もまともに調査に乗り出そうとはしない。精々奮起しているのは引きこもり系の陰謀説論者くらいだ。
と、ここまでが言わば通説、そうさ、全然引きこもり系だけなんかじゃない、先進国のほとんどはミューラー大佐を非常に警戒していて、しかもすでに各国の主要ポストにスパイが送りこまれ、また軍部の内にも結社から特定の人物が派遣されているらしい情報がもれている。こうなるともはやねこ一族とかでは済まされない問題だよ。幸いミューラー大佐は特に表立った行動は起こしていないので、CIAとかも監視の段階にとどまり積極的な交渉を始めてはいない。これも不透明でさ、かつてCIAはオデッサを保護していた事実もあるから、どれくらいの影響力を秘めているかは厚いベールに被い隠されている。そこでねずみ一族に白羽の矢が立てられた次第さ。
ここらで要点をしぼっておこう。僕が理解し得たのは、国際的な秘密結社の存在と脅威。ねこは仮面を被っているのかも知れないこと。と同時にこの予感は理解とははずれるかも、つまりねずみもまた仮面を被っている、う?ん、悪いけどこれはちょっと保留しておいてくれないか。で、これから水面下、あるいは地下において諜報作戦が開始されるということ。ねずみ一族だけでなく金目教、卍党の末裔も秘密裏に参画していること。僕はこの事態に遭遇したんじゃなくて、どうも計画的に巻き込まれた可能性が高く、その理由は子供の時分にねこのおもちゃを持っていて、ミューラー大佐と名付けていたこと。そしてこんな情況を反面楽しんでいるという我ながら意外な心境、あっ、これはもう酸っぱくなるほど話したね。
君どう思う。もし今いった要約を精神科の医者に相談したとしよう。すると医者はこう応える。
「あなたはよく自分を客観的にとらえられていますから、なにも問題ありません」そして帰される。果たしてそう思うかい。