ねずみのチューザー14


「なにぶんにも秘せられた由来のみが見えない分銅になり積みかさなる身分、おのれの出自すら不確かで忠節だけを指針とすべし、そう彫り入れられた腹には嗜好品をたしなむ隙間もございませんでした。朝餉のにぎりめしがそれがしに出来うる目一杯のもてなし、あなたさまを御迎えするに際しましてはもげ氏の協力をあおぎましたので、ジュースや冷凍食品はわずかながら用意させていただきました」
そういや僕はよく冷えたジュースをもらって飲んでいたけど、チューザーにそんな場面はなかった。とにかくねずみの歴史はまだ序の口だろうが、予想はかなりの線で当たっていたようだったから勘違いにも似たうれしさが込み上げてきたんだ。勘違いというのはいい意味での気分転換ってことだよ。わずかばかりだけど、僕はチューザーのおかれた境遇っていうか、生い立ちが悲しく思えてきて語りの間をさえぎってしまい何かしら意見をはきそうな表情をしたんだろう。すると、「少々のどが渇きました」と言ってこっちからは死角になっていた運転席の横から素早くリポビタンを取り出しすと軽快にキャップをまわし開け、実にうまそうに、尚かつ栄養分がしっぽの先までしみわたりそうな勢いで飲み始めたんだ。
よくそのビンを見れば大きさは小ぶりで赤いラベルが貼られている。あれはリポビタンゴールドなんだな。いいんだよ、栄養補給しなけりゃ、ねずみのからだにしてはいくら小ビンでも大仰に映ったけど。まあ、そうした勘違いってこと。
早かったねえ、ほとんど一気飲みに近かった。リポビタンとかエスカップなんてのはああして飲むべきだから、余計に気分転換になってさ、僕にもくれないかと思ったけど口には出来ず、乗り遅れてしまった電車を見送っているみたい顔つきのまま言い出しかねてしまったよ。チューザーはそこのところは心得ているのか、ちょうど高座で演芸に徹する落語家が手のひらで湯飲みとかあらわすように、さらりとその仕草を印象づけておいて語りの続きへ、ほんと待ち時間なしに次の電車がホームに滑り込んで来るかの継ぎ目のなさ、見事な所作だった。
「窓枠のしたの取っ手が専用の冷蔵庫になっておりますので、いつでも御利用くだされ。中左一族に戻ります。それがしが聞き及んでおり他言できますのは、われら一族がもっとも栄え活躍したのはやはり武家制度の興隆とともにあったのでございます。なかでも戦国の世でしょうな。ときの将軍足利義昭公に妖術をもって挑んだ金目教のもくろみを打破すべく、織田の殿様から密偵として放たれたわが先祖の忍びら数名が京の都で殊勲をたて、おおいなる信頼を得たのは誉れ高き来歴、その後義昭公は織田の殿様と緊迫した関係になってしまわれますが、表舞台の情勢はわれらにはうかがうこと無用なる所存、木の葉のごとくに人目につかず、されど常に朝夕の気配をしるすべくこの身を軽やかにとどめておくのが必定。いかなる由縁で信長公のもとに結集していたのかは闇のなか、よって機縁はここまでとされたし。ただ念頭にしかとしまわれておかれたきは、甲賀玄妖斎率いる金目教でございます。それなるもげ氏の祖先は昨日申しあげた通り、のちに卍党へと組織が変容いたすのも存じておられるのならば、中左一族の栄華など必要以上に語るべきもなく、更なる話頭へ転じさせていただきます。おわかりでござりましょうぞ、ミューラー大佐、すなわちねこ一族なる存在に関してであります。われらにも国際的な同輩はおりまして、アメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジル、スペイン、チリ、アリゼンチン、イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、オランダ、インド、中国、韓国、北朝鮮、オーストリア、ベルギー、、、、いやはや人様が作った世界の国々に人語を解するねずみたちは棲息しているわけでございます。ただし、文化交流はおろか一切の関わりは中立と申しますか、いわば江戸時代の鎖国と同じく断絶状態、中国や欧州のほうでは国によっては地理的な事情で国交がさかんなところもあるようでございますけれども、われらの地はぐるりと大海に囲まれた島国、ねずみは水が大の苦手、いかような術を弄しましても中々渡海までは不可能、それは他国のものらも一緒で精々密航するのが目一杯、とは云ってみても元来それぞれの言語が異なるのは当然でございますので、わざわざよその国まで海を渡ろうなどとは及びもつきません。ねずみはねずみ、闇に生きてこそ面目が保てる次第ですから、絶対に人目を避けなくてはなりませぬ。そんな掟がいつ定まったを問うのは失礼ながら愚問でござります。それがしの知り得る範囲では人語を知るねずみの数も世界的に我が国と同じよう著しく減退している様子。では本題に入りまするが、ミューラー大佐は現在ドイツ国籍であり、祖をたどればナチスの親衛隊に擁護された組織に行き着くそうでして、第二次大戦には数々の勲章を胸に飾った、勇猛果敢かつ高度な教養と知性をかねあわせた名誉ある血筋、その末裔こそ太平洋を遥かに臨み、この地まで悪名をとどろかせてやまないオデッサ、すなわち旧ナチス党員による結社からも絶大なる支持を受けております。しかもミューラー大佐は一族のなかでも抜きんでた鋭敏な頭脳によって完全なる地下組織を運営させているらしく、数カ国語に精通し欧州のみならずアジア諸国にまで勢力を拡張させているとの情報、すでに日本へは極秘で入国した証拠はそれがしも確かな筋から聞き及んでいる次第でございます。ねずみとねこ、古い天敵でござります。小動物同士の自然連鎖ならとかく問題がありませぬが、ミューラー大佐は動物であるすがたを自らのすがたを呪ったのか、その矛先をわれらに、そして一族がいにしえより守り通したすべてを剥奪しようと画策しているのです。あたかも人様に代わって代理戦争を仕掛ける不遜さに酔いながら」