まんだら第四篇〜虚空のスキャット52


晃一がうつむき加減になるまで他にも色々と砂理は語りかけていたし、合間にはそれなりの受け答えも返したつもりであったが、己の影にすっぽりと包みこまれてしまった切なさが募り、外界からの情報を取り込む意欲をどうやら喪失しているようであった。
実りかけだした恋情があっさりと消え去ってしまうのは予期した通りであったけど、もっと別の流れで立ち消えるだろうと、くじ引きなどした際に念じるあの期待を持たない大らかさと同種の失望を思い浮かべていたので、これほど悲しみがこみあげてくるとは考えてもみなかった。自分を突き放している姿を過信していたのがあだとなってしまい、ちょうど粗相を仕出かした子供が間をおいてから泣きべそをかきだす程合いに似て、こみあがってしまった悲しさの要因さえ覚束ない有様だった。
結局は艶言を帯びた会話がなされたにもかかわらず、不如意に傾く結論へと誘導されていただけだと逆恨みを抱いてしまうくらい実りは報われず、自責の念は額面を認めはしたものの、砂理から指摘された意見を噛みしめる余裕はあり得ない。そんな高波が押し寄せる船の上を踏みしめているのがやっとで、気配りには追いつけない様相であったから、大概は保身にまわるところであるのだろうが、今の晃一はどこか投げやりな気分に支配されたまま悲哀へと身をゆだねてしまうばかりで、過言だったからと表情も豊かに声色も優し気に相手を慰撫してくれる砂理の言葉をうまく聞き入れるのが難しかった。いやむしろ、茫洋とした気分にくるまれた半信半疑な展望台に臨んだからこそ、失意の先鋒がかたくなに沈黙の塁壁だけを見つめてしまったのだろう。
消沈しきった面持ちに高揚をさずけようと懸命になっている砂理の気遣いはうれしかったのだが、試してみたいとか、抱きたいのとか、晃一くんを餌で釣るみたいなもの言いをしたのはいけないことだった、、、それはわたし自身が揺れ動いていたから、そしてその揺れがいい波長に合わさればと安易に案じてしまったのが、あとさきも考えずに口先に出たような気がする。多分去年から音沙汰が途絶えてしまった不信と反感があんなふうに媚びた態度をあらわにしたの、そうすればちょっとした意趣晴らしになるし、わたしに対してもっと関心を持ってくれるのでは。恋愛感情が生じるのはほとんど可能性がないとたかをくくっていたのも高慢で不謹慎だけど、ほどほどにからかってみたい興味が先行していまい、あなたにとって心理はどうあれ異性に映る事実が何よりの強みになって、おおっぴらに隙を見せながらすり寄っていく素振りさえ示した。ところが、そんなわたしを投げやりだと軽視されたあたりから、確かに自分の浅はかさと意地の悪さが覗けたように思えて、晃一くんの言ってる理屈が痛々しく伝わってきた。それでことさら言い返すつもりはなかったけれど、あんな調子で攻めるようなことまで話してしまった。と、その先へはさすがに晃一も意見をはさみ、攻めたてるなんてそんなんじゃない、君はとても素直でかわいらしいなど、情にほだされた真摯な顔つきまで作って応対した。あたかも相づちを打つ使命をよく心得ているかの調子で。
だが、この胸に沈滞している砂地の失意は残念ながら払拭されることなく、却って「投げやりな」などと云う言葉を先んじて砂理に振っているのが妙に乾燥した印象を残し、晃一のなかに敷かれた砂をより粒だたせた。
偶然だった。今日この広い東京の街中を砂理にめぐり逢う為に出向いていたわけではない。むろん彼女の存在がまっさらに意識から欠落しておりもせず、いつかぱったり顔を会わせる機会もあるだろうとは内心祈っていた。昼飯も一緒に食べれたし、あの出来事にまつわる件も一端ながら語れて無沙汰の穴埋めにはなったはずだ。もうここらでふたりして席を立って別々の帰途についてもいいのではないか。未練みたいなものがないと云えば嘘になるが、これ以上虚しく実りを求める時間は苦渋でしかない。外は薄曇りだったけど、晃一のこころには冬の陽特有のしめやかな光線が差し込んできた。よりこころを乾かす為に得られたそんな効果を潤んだ瞳が反作用してみせる。
「それじゃ、それそろ出ようか」
自覚に成り得ないほどよそよそしい響きが口の中にとどまっている。返事をするより早く、砂理は黙ってうなずいた。上背のある晃一を見上げるまなざしが、そのとき一点に結ばれ、同時に口もとも、そこから静かにもれる呼気も、鼻の先がつんと上を向いた様子も、透けるような白い肌も、そしてぎこちなく起立しているようだがたたずんだ全身も、ひとつのこころに操られているみたいにすべてが別れゆくひとに張りつめられた。すくんでしまったのは仕方のないこと、晃一は須臾の間、何もかもが凍結してしまう幻影を夢見た。一切が止まってしまうわけではなく、時間はしめやかな冬の光を通して寒々とした光景を白鳥の舞となって流れゆき、見果てぬ銀嶺の彼方へと飛翔する。白銀の世界はどこまでも続き、天空からまばらに降ってくる一粒一粒の雪は淡々とした安息を約束しようと語りかけてくれている。
薄紅色した砂理のくちびるが更なる夢を描きだすのを待ち焦がれているように、、、晃一の想いは夢遊病者の無碍にあった。