まんだら第四篇〜虚空のスキャット50
「父さんどうなったか気にしてくれるんだ。想像してごらんって言いたいところだけど、『処女の生き血』ってウド・キア主演の映画を観てくれていれば尚かつ感銘深いと思う。至上最弱の吸血鬼なんだ、今度機会があれば鑑賞してほしいところかな。父さんは吸血鬼じゃないけど心底興味があったんだろう。あんな有様をさらした以上はもちろん引きこもっているよ。いいんだよ、笑えるから。そのほうが父さんも納得してくれる。妙に心配されたり同情されるよりか、笑ってあげるのが一番じゃないかな。大学のほうは休職届けを出して書斎に閉じこもって小説を書いている。えっ、どんなのかって、それこそ想像通りさ。この間こっそり原稿を読んでみたんだ。古風だよ、万年筆でこつこつと書いているんだから。そしたら案の定あとから覗き見したのばれてしまってね、いつもそうさ、書斎の本一冊拝借しただけでもわかってしまうから、たぶん今回もねちねちと嫌みたらしく小言を聞かされるかと観念してたら、こんなこと言い出してさ。今まで論文やら批評は書いてきたけど創作は始めてなんでどうにも筆が進まない、これこれの筋なんだけどおまえどう思う、とかでさ。筋もなにも自分を投影した主人公に、ぼくそっくりの息子、怪奇小説のつもりで書いているらしいけど美代さんや遠藤さんらしき人物設定もそのまま、まるで去年の夏だ。おまけに砂理ちゃんまで登場しそうな伏線も敷かれてるんだよ。休職までしての執心だから、まあ本人の自由だけど」
「へえ、そうなの。わたしも出てくるんだ。やっぱり女吸血鬼のまえで失神しちゃうのかな。それでレズだとか色々掘り下げてあって、晃一くんとの関わりも結構ドラマチックに展開するわけかしら。面白そうじゃない、わたしでよかったら脚色なしで描いてもらってもいいわ。血や肉を提供するわけでもなく、魂を売るのでもない、ただ現実の自分とは別のもうひとりの自分が虚構の世界におどりだすだけ。そんな自分と対面してみたい、そう思わない」
「冗談じゃないよ、磯野家の恥はもう十分だ。砂理ちゃんは身内じゃないから面白そうに映るんだろうけど、ごらんのようにこの片目だって元はと云えば父さんから巡ってきた因果だ。その方面に関しては暗黙の示談が成立してるからまあいいとして」
「あら初耳、なんなの、その暗黙の示談って」
「話してなかったかなあ。犯罪を除外してぼくの生き方に一切口を挟まないって盟約、父母ともに了承済みさ。ぼくがひとり暮らしを決意したときにも色々と一悶着あって、それでこの目を無くしてからただでさえ腫れ物に触らないよう、刺激しないよう、家庭環境を保持してきたわけだけど、ぼくからすればそれほど厄介な性質ではないとやっぱり思い過ごしっていうか、過敏になってしまったんだと、そもそも悲劇はどこから発生したのか、こうして胸に手を当ててよく省みれば両親に文句のもってき場がありそうでやはりないんだ。父に対する陰険な報復など性根が腐っているから試みようとしてしまうのさ。父親に両手をついて詫びられる光景を浮かべるだけで気色悪くて、不快なのかどうかとは別の次元で鳥肌が立ってしまうじゃない。いいんだ、正義や倫理を問うまえに日々の積み重ねと共に沈滞していく業を払い除けるべきだと信じている。業が積もればろくなことが生まれないからね。吸血事件なんか、まさに核家族における当主筆頭の祭礼だった。家族の平和を温存させたいなら無理して波紋をひろげたりはしないよな。すり減ってしまうのは石鹸とか靴底とか包丁とかでいいんじゃない。それなのに自由気ままを貫こうなどと宣言したら恐ろしく家族みんなが神経をすり減らしてしまった。かつてはそうであったから、盟約なんて云っても実は軋轢を避けるための方便なんだ。これで落ち着いてくれればよかったんだけど、分別がつきかけた矢先に父が暴走した。もっとも父のなかでは日常など見捨てる気概にあふれていただろうが、、、まあ大した騒動にならなくてよかったのが救いだった。塚子さんも一切口外してないみたいだし、お宅のお母さんだって同様だろう。ああ、話しが見えにくいって、それはいまから補足するよ。平和を乱す予行演習みたいに休職し、脱稿したら公にするのかは知らないけど、読むべきものが読めば、亀裂が生じる可能性だってある不穏な内容を書き紡いる心境が今ひとつ腑に落ちない。所詮は学者気質を隠れ蓑にしたエゴイズムとしか映らないんだ」
「ううん、もうそれでいいわ。お父さんはきっと一気に神経をすり減らそうって奮起してるんじゃないかしら。日々の連鎖で消耗してゆく何かを見つめ直しているような気がする。だから、いいの、あなたの家の事情まで知ってもあまり意味がない。いいえ、決して興味なくてそう言ってわけでなく、関わりになりたくないとかでもなく、そっとしておいてあげてほしいの。わたしが関心を示さないって行為、そうね、笑ってあげてくれっていうのもわかるけど、残念だけど笑えない。そのかわり小説のなかで自由に羽ばたいているすがたを思い浮かべる、、、わたしからお父さんの件を振っておきながらごめんなさい。さあ、じゃあのことに戻ろうか。あらどうしたの、そんな驚いた顔して、晃一くんの気持ちについてよ。わたしを好きなんでしょ」
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