まんだら第四篇〜虚空のスキャット24
「それで永瀬砂理さんは何と言ったんだい」
「さっき話したように彼女のお母さんもこのまちが出身なんだけど、生まれは東京だし、その辺がぼくと似てるでしょ。そうしたこともあって学校の親睦会みたいなもので知り合ったわけで、でも母方の血縁は早くに途絶えたせいなのか、祖父や祖母は亡くなって、叔父叔母も土地を離れているからって、それで今まで一度もこのまちに来たことがないって言うんだよ。そんなことわざわざ嘘もつくまいと思ってさ、それじゃ、いつかぼくが帰省するときには一緒にどうって盛り上がっていた矢先だったわけ。そこに来てこの事件に惹かれたんだけど、それは父さんだって同じだから通じ合うものはあると思うんだ。だけど、ひょっとしてこう思われているとしたら心外だな。こっちでさ、失恋プラス失明までした補填みたいな感情が起動してぼくを知る人間らに何かを知らしめるなんてね、そんなふうにとられるのは癪だし、第一それほどぼくのことなんか誰も気にしてないよ。自意識過剰気味ではあるけど、みんなそれぞれのこだわりのところにそれを発揮してるんじゃない、ぼくだって今は違う箇所に意識がなびいているから」
「吸血事件にも関心があると云うわけなんだね。それは興味本位だろうか、おまえだってどこまでやら見当はつかないけど、おっと、父さんにもそれは同じことかな」
「いつかのさ切手の話しあったじゃない、小林古径のやつ。あのことも実は喋ってしまってさ、だって父さんはどう感じてるかは分からないけど、確かにあの絵柄は素晴らしいし親子そろって気にいったところで、それほど変ではないでしょ、だって他にもいっぱいあの切手が美しいって感じてるひとはいるんじゃない。ぼくが言いたいのは例の事件とあの絵柄との微妙な類推であって、そこを彼女に面白い前置きとして聞かせてあげたかっただけだから、特に父さんの研究を冷笑するような気持ちもないし、そんな意識で連れて来るようじゃ、ぼく自身が父さんを蔑んでいると呼ばれても仕方ないじゃない、だからそこは信じて欲しいんだ。それより驚いたのはさあ、もう砂理ちゃんは明日にはこのまちに来てしまうからこうして語れるんだけど、、、ぼくと付き合いだしてあまり日にちもない身だし、あっ、ぼくのことはきちんと話してあるそうなんだ、ところが、いざ今回帰省に同伴する素振りを見せたら彼女の母親が顔色を曇らせてしまって、それらしくお母さんの生まれ故郷なのにまだ見てないからとか理由づけておけばいいのに、ぼくの父が大学の先生で色々と研究してることや、それが吸血事件にも関連ありそうなので是非とも現地に一緒に行ってみたいと打ち明けたら、えらい剣幕でそんなふしだらな探検めいたこと絶対に許さないって始末になってしまったんだ。とは云え砂理ちゃんは以外や負けん気があってさ、どうしても母親の禁止が腑に落ちないって、父親は逆にもう子供じゃないんだから、それくらいの自由はふしだらでもないって応援してくれた心強さも手伝って決行は断念しなかったわけ。だけど日程まで執拗に聞かれてたんで、つまり今日だね、一応おとなしくあきらめた様子を見せておいて翌日アルバイトに出かけるふりをして列車に飛び乗ると、、、こうしたいきさつがあったんだ」
「おいおい、何だ、じゃあ、無断でこっちに向うのか」
晃一は父の上ずった声を打擲するように、
「そこはしっかり砂理ちゃんの親御さんに言い聞かせてくれないと。両親共に反対しているんじゃないの、母親だけがどこか要領を得ない文句を言ってるだけなんだ。生後あのお母さんに連れられて帰省した記憶がないってことは、砂理ちゃんに不可解であるはずだと思う。お母さんだっていくら血縁が絶えたとしたって、まあ本人がそう云う意識なら仕方ないけど、砂理ちゃんに帰省する権利はあるよね。もしもぼくらを責め立てて来たりしたら、父さんは毅然としていて欲しい、ぼくは最悪仲を引き裂かれるような事態に陥っても後悔はしないからさ。砂理ちゃんにとってこのまちは見知らぬ土地だろうけど、記憶のまちとして新たに見出せる可能性は秘めているよ、きっと」
いつにない息子の勢いに押された孝博は暗闇に浮かんでいる天井をみつめ苦笑するしかなかった。首を傾げ、しっかりと切実な訴えに応えるようひかりなき空間を射る目線を結ばせるのは憚れた。決意をうがつ晃一の語感の重みで夜は増々深まってゆく。うらはらに孝博のこころは空洞の奥行きがせばまってゆき、どこか興醒めしてしまう意識を修復する意欲が損なわれていた。しかし、灯火のようなちいさな明るみにほだされるときの無防備さは健全であった。地底の洞窟に灯る一本の蝋燭、闇の支配下に甘んじるには忌まわしく、灯しの安堵に慣れ親しむには虫がよすぎた。行くてが黄昏であるうちが華なのか。
「わかったよ晃一、何だか砂理ちゃんに会うのが楽しみになって来たよ」
かげろうのように力ないけど秋風に包まれたときの乾いた返事をし、美代の代わりとしてなのかと奇妙な前兆に運ばれたよう頷くのだった。
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