まんだら第四篇〜虚空のスキャット14
「さて磯野さん、ここまでの昔話から実際に醜聞となってしまった美代の行為を短絡的に結論づけることも不可能ではないでしょう。動機はさておき、幼くしてかくも果敢な振る舞いを示しうる天稟には目をみはるものがありますし、兄妹であろうとも年かさのわたしを見通した態度も普通ではありません。その尋常ではない行為を引き起こした基盤が、あたかもあのときの美代にすでに備わっていたふうにも察せられ、また無様にも吸血鬼を演じそこなったわたしにとって代わり、見事なまで過剰さを放出させ一種の爽快感のような後味が醸し出されて来るではないですか。ゆえにわたしの語りだけで判断されるとどうしても因果を先走りさせてしまうようです。結局はわたしのとった不埒な行動が原動力となり、眠れる美代の魂を未来へ疾走させたのだと、、、深層心理に鎮まると云うより幼児体験を起因とする事件であったと推理される。
しかしどうでしょう、それならもっとしかるべき情況、そうです美代の思春期、妹に限らず誰もが危うさで世界を取り囲むことに疑念なく溺れられ、権限さえあたえられている、あの不安定な大地で行うめまいとして発露されるのが自然と思われるのですけど。すでに三十路も過ぎた頃合いにもなって突発的な衝動と化すのは、もはや精神の歪みでしかありえません。これには相応の理由があって、結婚後の美代が抱えた軋轢が最終的に突破口を見出せずあのような形で噴出してしまった。まだ解決にも何も至っておりませんので、ごく簡単に推測させる事象を述べておきますが、わたし達には不透明な何かが成人してからの、あるいは新たな家庭におさまってからの美代を悩ませ、苦しませ、狂わせたと、いやいやこれじゃどこにも結ばれていませんね、ただありきたりの意見にすぎません。けれどそれ以上の実情は申しあげられないのではなくて、わたしにも不可解でしかないのです。確かに瞬間的に異様な光を放って幻惑された想い出は強く脳裏に焼き付いていますし、この身も恥じらいを越え嫌悪で悶えてしまい、あれからしばらくはまともに美代の顔を見るのもためらわれたくらいでしたから、、、ところがそんなわたしに反比例するごとく妹は本来のあるべき領分に何のわだかまりも見せず帰っているのでした。そうです、よく憶えております、、、夜更けには己の悪行を責め立てているのかと考えこんでしまうくらい雨音は激しく、胸に去来する雨雲へと変じ、陰惨な気体となった失意は決して霧散することなくどこまでも広がって行きました。翌朝の対面まで明確に印象づけられているのは、暗鬱な思惑がたなびいたせいではなく、きっとあの夢からさめた際に案じてしまう白々しくも晴れやかな普段への帰路と同じ効果を授けてくれた、、、そう、あれから今日まで妹は秘事が秘事であるべきことに忠実であり続け、わたしも同様の夢見を共有し続けたのでした。悪夢から醒めた朝は歴然とした曙光に包まれていたからです。
それからの記憶には曖昧なところばかりと言っても過言ではありません。隙間だらけなのは時間の隔たりだけではないでしょう、、、わたしにとっても、同学年の異性にこころなびくやら、受験やら、それからもやもやな裡にも自分自身を見つめてみたりとやらで、次第に美代との距離は平行線をたどりながらの格別に意識するべき様子もなく元のすがたへ戻って行ったのでした。もう少し克明に言いますと、わたしの関心はもっと大きな膨らみでまわりを意識の隅へと追いやってしまったのです。美代のこともですし、様々な想い出や細々とした日常もほとんど頭に浮上させる必要がありませんでした。
わたしが補足と申しましたのもこれでご理解いただけるのではと、、、それじゃどうしてまわりくどい言い方をするのか不信に思われるところでしょうが、先程わたしは探偵の手法を重視とつけ加えてながらも、あなたが美代と対面する日を強く期待しているからなのです。わたしの知っているすべては、、、実際にはまだあの後数年は同じ屋根の下で暮らしていたのですけど、わたしはわたし、妹は妹、それぞれ異なる部屋に住まうように意識も別々になって互いの干渉はもちろん、あまり会話をかわす場面も少なくなり、やがて進学で家を出てからと云うもの滅多なことのない限り顔を会わせる機会もなく、兄妹とはまさに名ばかりもっと説明しますと、わたしは大学卒業後も帰省せずむこうで就職し十数年経ってからこのまちに戻ってきました。美代は高卒で就職のため同じく家を離れまして、三十歳ちょうどのときに結婚、はい、こちらにとある縁がありまして見合いですね、そんな折には以外では法事とかでしか兄妹居並ぶ場面もないままに過ごして来たわけです。それと美代には子が出来ませんでしたし、まあそれがこのさき離縁の口実に拍車をかけるのでしょうが、するとただでさえ疎遠であった嫁ぎ先からは増々込み入った内情など聞き出す余地はなし、、、おわかりでしょう磯野さん、わたしの知りうる美代はこんな案配ですから、吸血事件への手がかりを子供時代の戯れだけに求めてしまう確定性が甚だ無謀に思えるのです。お考えは一致されると信じているのですが、あっ、これは念押しです。事件後と申しましてもご存知のように審理の結果は心神喪失と判断され病院行きでした。面会も当初はままならないところでしたけれど、実は二回ほど妹を見舞っていまして、ええ、やはり本人もことの次第を多少は憶えているみたいですけど、、、医師からもああ云った行為に至った事情の説明は為されておりません。あくまで狂気の部類に収まる呈のよい診断が下されるでしょう」
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