まんだら第四篇〜虚空のスキャット13
「吸血鬼が首筋に残していくふたつの穴を説明するのは簡単でした。喉にかじりつくと云っても肉に食らいつく野獣みたいな手段とは違って、あくまで格好よく鋭い牙を食い込ませて血を吸い取ってしまう、どれくらいの量と聞かれたときには、それは本人の腹具合だろうねと茶化すと、にっこり笑みを浮かべていました。別に牙がなくたって薄皮のあたりを少し傷つけるだけで血なんか出てくるなど、もっともらしいことを真面目な顔つきで話した後、美代だって外で転んだだけで膝やら手から血を出したこと何回もあるだろう、そこをなめたりしたりしないかい、こう唾をつける感じでさと言うと、どう察したのかもう一度表情をゆるめたのでしたが、その微笑は今まで見せたことのない嫌に大人びた目つきで向っているのです。そして、きつく噛まないでとひと言残し何と両のまぶたを閉じたのでした。そのときのわたしの動揺は先ほど説明した通りで、気がつけばまず片方の腕で美代の肩下を抱いており、そっと閉じられたつぼみのような目もとに見入ってしまったのです。いえ、瞳の光がこちらに放たれていないにもかかわらず視線を合わせているようで、その方がまた数段気恥ずかしさが募り、しかも後ろにしなだれた弾みか唇が少しばかり開かれ、そこには薄紅がひかれたのかと見まがう色づきに染まり、艶やかでなめらかな感触が眼前に飛び込んでいるのです。まだ触れもしない、いや、未だかつて兄妹とは云え近づいた試しさえない柔らかな異性の唇が無言でわたしの本能にささやきかけてきます。ふたりとも畳に座った状態でしたので容易にそのまま倒れこむ形になってしまい、背にまわしてない方の腕も自然と同じ行動をとろうと懸命になったのでしたけど、身の丈と骨格の違いが離れ過ぎている為に抱くと云うよりも両腕が縄になって縛りつけてしまっているようで、どうにも痛々しさにとらわれてきまりが悪くその腕は速やかに抱くのをやめ、今度は手のひらがあろうことか美代の胸許をなぞったかと思うと、健気にもふさいだままの目が開かないのを祈りながらゆっくり腹のあたりまでほどほどの力で触れていったのでした。ざっくり編まれたセーターの感触を通して人形を思わせる体つきに戸惑いながらも、わたしの指先の動きは決して平坦を滑りゆく清純さからは距離を持ち、きつくホックで留められた厚手のスカートの辺りをさまよい始め、ためらいは鼻息と一緒に吐き出させる不純な願いでしかなく、どうした訳かわずかな呼吸しかない美代のすべてを見定めてしまおうと悪鬼を我が身に乗り移らせようとした矢先でした。そうだ、自分は吸血鬼なんだ、だからまず首筋に意識を向わせ少しばかり噛むふりをしなくてはいけない、、、ええ、、、無論わかっていました。今ならお医者さんごっこで済まされる、勝手に這い出した指先など忘れ去ればいい、兎に角こうして黙っている妹の期待と自分の思惑はまったく方向が別なはずだと、信念にも近い思いがそんな突発的な荒くれで突き動いている感情を諌めだしたのでした。そして反対に隠れ蓑の下に蠢いているすべてを葬り、もとの怖い話好きの兄に立ち戻るべきなのだ、だから今から噛む振りは大仰に行うのが正しい、わたしは薄皮で守られているような美代の首に歯を軽く押しあてたのです。たとえ視線が通じてなくともその刹那、美代の瞳が輝いたのがわかりました。同時に、そうじゃないの、とひそめる意思をはらんだ小声でつぶやき、何と云うことでしょう、キッとわたしの顔を睨みつける素早さを見せながら、その可憐なまだ開ききってはいない唇でもって信じられないほどに激しいキスを求めて来たのです。いいえ、わたしが欲したのは実なところ二度と見届けられない女体と呼ぶには早すぎるけれど、性欲を満たしてくれるかも知れない裸体への接触でした。しかし美代の処女を破るとかそこまではありません。それにキスだって考えも及ばない、信じていただければですが、あまりの急な逆転劇に驚いてしまった結果、美代のなすがままは空恐ろしいくらい欲求が巧みに慣れた代物と呼んで差し支えなく、一度息つぎの案配で接触がなくなり互いの顔を見つめあった際にまたもや笑みを作りだしていたのですけど、ませた表情は消えて無くなりいつもの屈託ないあどけなさに帰っています。これは夢を見ているでは、そう思うのも当然かと狐につままれた状態はある種の救いでもありました。ところが一気に希望を打ち破るごとくこう言うではないですか。お兄ちゃん気は済んだ、聞くところによれば、美代は友達とこの間からキスの練習をしていて当然女の子同士だけど男の子はわたしが初めてだそうで、今日のことは絶対誰にも喋らないよう妹から念押しされる始末、もはやどっちが欲情を秘めているのか分別など出来ない、どうです、少しは謎が謎らしく整いだしたようではないですか。
その夜のわたしの落胆と羞恥のほどをお分かりいただけるかと、、、夕飯時には家の者らも揃ってましたし、食卓の雰囲気はいつもと変わりはしません、、、窓の外から次第に大降りになってきた雨音に皆の注意が向けられたのは幸いでした。久しく日照りが続いていたせいもあり、天気予報では明け方まで強く降るでしょうとのこと、美代の笑みはとても自然でした。かつてすぐ泣きべそをかいていた美代に違いありません」
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