まんだら第四篇〜虚空のスキャット15


「果たして遠藤はあれですべてを語り尽くしたのだと了解するべきなのだろうか、、、少年時の恥じらいで清らかに守護された記憶が奏でる綾を、、、」
孝博は己の小首を傾げる仕草さえもどこか見え透いた演技に感じられた。実際に彼と妹との関わりを何もかも知り得るのは不可能だけれど、もう少し背丈も伸びた年頃の、いくら干渉や会話がなくなってしまったとは云え、例えば中学にあがれば少女なりにもいくらかの気丈さと、その半面の覚束なさから独りであるべきより似たものどうしのつながりを求め、それなりに親交が育まれるもの、日に一度は顔くらい合わせていたはず、放課後や休日も含めて妹である美代に交友はなかったのか、そこから些細な印象でもよいから思い出せることがあったのでは、、、
つまるところ彼は補足と繰り返しながら、不透明な感情に見守れつつ自身の汚点を浄化させようと懸命であったとしか思われない。あれから確かに兄妹の時間系列を明瞭には聞かせてくれたものの、口頭で勢いよくついて出た微に入り細に入りなど至ってはなく、むろん今となってはどうしょうもないのだけれど、、、せめて肝心の妹を見舞ったと云う箇所を詳しく話してもらうべきであった。聞き手に専念するあまり魂まで預かりものにされてしまい、踊らされた挙げ句の大失策とさえ呼びたくなってくる。
それにしても、何の根拠で自分と美代が顔を合わせる機会があるなど明言したのだろう。ああ言えば呪縛されたように彼の言霊に憑依してしまって、又あのときははっきりしなかったが、探偵に同一視したなど大げさな文句と、次に吐かれた「わたしとは別な角度で」や再三強調された「学術主義を援用させて」の意味あいがまるで魔術のごとくに、あぶり出しとなってこの胸に焼き付いてしまう。

孝博は遠藤家を訪れた理由が忘却されている様を、こうした姑息な探索へとめぐらすことで打ち消してしまおうと願っていた。久道のひかえめだが高圧的な口調に辟易するどころか、大いに同調してしまう胸の高まりには冒険にも似た危うい波風が音もなく、しかしそれは血流が波打つ本能的な謌と同じで、どこまでも律動する肉体、、、、、、心模様であった。
所詮ひと事でしかない災厄の是非に捕われている身分なら、どこへまぎれる必要もないし、逃げ去ることも罪ではない。が、堂々巡りと化した問いかけはもはや心痛でしかない有り様を認める為の猶予だとしたら、孝博の願いは次第に満ちてくる潮のごとく残酷な自然さに包まれている。
正午を尻目している模様を多分に意識しながら、それはもちろん両者による思惑が稼働した結果なのか窺い知れないのだが、初対面からしてみると妙に気心が通じたふうな庶民的かつ牧歌的な昼餉の振る舞いに圧倒されたと云うより、共感してしまった事実もさり気なく風化されていて、幾らか葛藤は生じてみたものの今からすれば、何より緊張をほぐすことを主眼にこの気安さが演出されている現場へ立ち尽くす自失を確信する防御なき防御を得るが為であり、大仰に焼き飯を頬張った安楽さもさながら晦渋な詩歌を流し読みにする心持ちであったはず、夏の陽が長いのを幸いに自ら遊戯心をもって緊張と対峙した気負いなど最初からなかったと言い聞かせてみる。腕時計に何度も目をやったのも思い返せるし、食事中はさておき会話とてさほど留まるのを知らなかったわけではない。それに今日一日ですべてが白日の下にさられる期待も抱いてはいなかった。新たな機会は孝博の都合と意欲でいつでも可能であった。
「どうです、散歩がてらに浜の堤防のほうまで行きませんか」
異なる方角より話題は深化してゆくのか、、、それとも態よくお開きを告げたいのか、、、
何故あのときによりにもよって、「いやあ昼前からあの辺りを散々歩いて来ましたもので」などと馬鹿正直すぎてまったく礼儀にかなっていない言い訳などしてしまったのだろう。聴診器など当ててみる必要もない、孝博には容易に診てとれた。久道はこれ以上を今日のうちに語りはしない、すでにあの予言めいた口上を述べていたではないか、、、映画にだって続編もある、この猛暑のなか先にたどった外など歩く気力は失せている、それより続編に向う予告編をかいま見せてもらいたいものだ、、、おそらく堤防から大洋を望み、きつい西日を容赦なく浴び、わずかな潮風が頬をかすめながら、久道は何らかの情報と今後の連絡を約束してくれたかも知れない。実質は帰りの列車時刻にあった。三好の家には荷物も置いたままであったし、どうみてもこれから悠長に堤防までぶらつく時間もなかった。ましてや帰京を明日に延ばす予定もなかった。
今日と云う一日、希有なる体験であり、その動機となったものは計画された結果なのか、ただ単に衝動につき上げられたのか、孝博にはどちらでもあるように判じられるのであった。続編も予告編も決してこのまちからは消えることはないだろう、、、夢の知らせはこうやって夜の帳を越え、極めて同地点でものの見事にあだ花を咲かせてみせた。何と云う痛快、何と云う果敢さ、、、全幅の信頼みたいな思いが久道に反射して心身を支配しかけているのを、防波堤のかたくなさへすり替えてみると、尚更これから現実のその場に行くのが阻まれた。

まったく驚きとしか言い様のない、遠藤久道の訃報が届いたのはそれから十日後であった。