まんだら第四篇〜虚空のスキャット9


「ところで磯野さん、美代の顔はごらんになったことありますか、、、ええ、新聞に顔写真は載っておりませんでしたが、ある週刊誌ではきわもの扱いで掲載され、しかもしっかりと実名で紹介されていたのです。紹介などと云うと軽卒に聞こえるかも知れませんけれど、いえ、ご存知でしょうが、見出しからしてまるで恐怖映画のうたい文句みたいに始まって、記事に至っては世にも奇怪な事件なのだと読者の感興をわかせる筆致もしたたかと云うより、あれは小さい頃少年誌などでよく見かけた子供だまし丸出しの風説に近く、あなたも知っているならば疑念を抱いたでしょうが、美代の写真にしたって実年齢のものではない、わたしも最近まで分かりませんでしたけど、あの代物はどうも少女時代に撮影されたものだそうです。それにしては大人びた化粧をしてるし、でも一目瞭然なのは、背伸びしかけたところで顔つきはやはり子供のまま、決して一流の扮装とは云い難いでしょう。そうですか、磯野さんも同じくそこに引っかかりましたか。ご納得のいくように事情を申し上げたいわけですが、無論わたしが知り得た情報がひも解かれないことにはいささか腑に落ちないところも出てくると思われます。写真の出所にしてもある程度の説明が必要になりますし、兎に角ここは兄であるわたしによる事件性に関連した追憶をお聞き願わなくてはならないようです。いかかでしょう、それでよろしいでしょうか、、、」

虚を衝かれたと云うよりも、力強い太鼓の響きに心臓の鼓動が叱咤され同調へと促せれてしまうよう、孝博の胸騒ぎは不安に翳る暗雲がさっと掃き流される希望の空模様を仰ぐ如く、静かな跫音をその身に感じとり浮遊にも似た小さな、しかしそうそう経験することもない開放感をあたえたのだった。
久道が語り始めた追想の行く手はおぼろげな黄昏時へと歩を進めながら、反対に明星を認めそこから抜け出してしまいそうな着実な道のりでもあり、聞き手に徹する了解を不動のものとする思いは、まるで過ぎ去りし夏の夜、蚊帳のなかでふと目を覚ましたときに感じる、あの両親の微かな寝息に守られて待った夜明けまでの沈黙を想起させる。
ものごころついた頃よりずっと今まで見定めて来た兄としての立場は、血をわけた真義によってそれほど強固な基盤を保持し続けたわけでもなく、また同じ屋根の下で暮らす密接さも以外と隙間だらけであったことがよくよく思い返せるのだった、、、
久道の述懐は障子で隔てられているに過ぎない、薄く淡い気持ちに仕切られたまま取り留めのない調子を帯び漂い、時折は細やかな記憶の片鱗を集め出してきらびやかな画像に仕上げている。失われた過去がいつも水底に沈める淡彩である様子を打ち消さないことへのあらがいとして。
情熱的な口ぶりをまだそっと潜ませているつもりなのか、淡々としたもの言いは楽曲の序章を彷彿とさせるように、少年期の放埒さは破れやすい障子紙への気遣いに平行した案配へ自ずとすべりこみ、幼児であった美代の面影にまざまざとした印象を求めようとはしない。そこにあるのは久道自身もまだまだ耳にするだけで身震いを催してしまう見知らぬ場所への怖れや、夕暮れが織りなす視覚効果とは別だと感じずにはいられない夜の調べに魅入られそうになった柔弱さを糊塗する為、幼児である妹を殊更恐がらせたりした鮮明な意思だった。聞きかじりでしかない夜話しや裏山に棲む幽鬼の類いを宵闇せまる頃合いを計らって、何処からか聞こえてくる犬の遠吠えに重ねあわせ、その異様なうなりを尚のこと強調させる勢いで、「あれはもうもうさんというオオカミの霊だよ」などと、したり顔で言って聞かせるのだけれど、口にした矢先から己がすでに鳥肌立っており、それは秋風に撫でつけられた感触とは異質で内側からやってくるのだと増々ぞっとするのだった。だが、あのときの美代の顔つきをはっきりと浮かべられない。障子に映された影絵が単彩にしめされるのと同じく、無防備な輪郭は恐怖と共に我が身を一カ所へ突き落とす。外側の妹に気配りが生まれる余裕はなく、今こうして振り返ってみても同様、やはり長い時間の推移だけではないだろう、自己籠絡甚だしくも苦々しい想い出は、風雪に耐えて来た障子へ皮肉なねぎらいをかけているようだ。
それから久道は誰にでも思い当たる人見知りの感覚や、瑣細なことで泣き出してしまう制御しきれないか弱い風船みたいな幼心をさらっと話し、前置きでも話したが学術主義などと名目を振りかざしたからには、自分も含めた当時の過程環境、兄妹はもちろん両親や祖母との関係も詳らかにしておきたいのであるけれど、あの時分は取り立てて語るべき問題も見当たらないし、家族同士のつながりにも特に違和を覚えるような要素がありそうもない、父は仕事以外でも交友が広く不在気味であったが、非常に温和な性格であったし厳しさと云うよりも柔らかさと言い表したほうが間違いなく、それは母や祖母にも共通するところがあり、まだ幼かったから細やかに窺えなっかったのかも知れない内実を差し引いてみても、後に繋がっていくきっかけを探しだせない。結局、遠藤家は平穏無事を絵にかいたような家族関係が保たれており、幼児期における美代の原体験をつかさどった素因は発見出来なかった。
そこまで消化を助ける用心をする為によく噛み砕く具合で、他にも些事を挿みながら沈着に話してきた久道だったが、ほどなく顔色を曇らせたのを孝博は見落とすと云うよりは、見せつけられると換言したほうが的確な様相に行き着いたのである。