まんだら第四篇〜虚空のスキャット7
「順序よくと申しましても、、、」喉元から流暢に滑り出させたい気持ちを精一杯抱きながら、滑舌とは明らかに隔たりのある実感に苛まれた現状を、孝博は苦々しく感じつつも半面ではしかるべき安堵に即していると、錆び付いた金具を手にしたときに思いなす、あの成り行きのような事態へといささか大仰に還元させてみたのだった。
無論、久道から筋道の明快さを求められたわけでもないのだが、この様な持てなしを受けてみれば自ずと身がこわばってしまうのだと、言い聞かせるつもりで胸中をなだめてみる。焦りだす口吻が先走った妄念と化して実際に相手の耳へと届いてしまった以上、あとはもう少し落ち着きを取り戻し、出来る限りの説得力を維持した展開で言い分を伝えよう、、、
尋ねられたのではなく、そう自分に楔を打ち込む馬力が孝博を昂然とさせた。何しろそもそもの切り出し口からして、日常の成り行きを逸脱した不明瞭な、そしてあまりに唐突な内容を含み過ぎている。もちろんこうして面会している当人に対し、魚心あれば水心の意想にたなびく予感が用意されていると云う、都合のよい思案も加味してのことなのだけれど、ことの次第が煩瑣な事情によって、いや精確には複合的な欲情に色づけされてしまっている負い目もあり、どうしても明瞭さを際立たすには恥部である己の箇所をも包み隠さず語らなくてはいけない。夢見による遭遇などといきなり奇妙な角度から開陳してみたのは、実のところはさほど冷静さを失ってはおらず、逆に久道の好奇心をくすぐる結果を期待してみたまで、さて、続き早に放たれたペナントにまつわる不可思議も儀礼として添えられた程度に、最終的には自身の欲情を払拭させてしまう勢いで、あくまで聞き手としての本領を発揮すべく、それはまた卑怯な防衛意識を最小限に稼働させていながら、なしくずしに久道が纏っているであろう禁忌へと身勝手に分け入ってしまう不遜に堕するのであった。
まくしたてるような、けれども内心は情念を鎮火させたい望みだけが上昇し結果、増々萎縮してしまう性根の物言いが反吐のように逆流しただけである。わずかに曇ったふうにも見える久道は、
「そうですか、実はですね、わたしもその少女が川に転落する場面を目撃しているのです。それから、それが錯覚であったのかどうか、少々気にかかりまして、わたし独自の瞑想法で行方を探ってみたことがありました」
あらかじめ決まっていた質問に答えるみたいに静かにそう言った。
それを聞いた孝博は後頭部に強烈な衝撃を受けながら、やがて全身の血がさっと引いてゆく感覚に襲われ、急激に何かが萎れてしまう幻影に支配されてしまった。そうして今までの緊張が一気に霧散してどこか遠くの方へと放れ去る、虚脱にも似た失意を覚えるのだった。だがその失意は孝博にとって決して後悔などを孕んではおらず、未知なる手ごたえを引き寄せる為に守備よく配列された偽装を知らしめた。
奇襲の如く現れる予兆にはまぼろしの種子が胚胎している。生命が育まれる必然を死が隠蔽したところで、すべてを消滅することは出来ない。孝博のこころは他愛もない焦慮、例えば部屋のなかを掃除する機会を一大事のように考えこんでいる時間や、寝起きの意識に被さってくる蒙昧さを悲観的に捉えてしまう脆弱、そんな些細な気分に落ち込んでいる自分を憐れんでいた、その後の健全な意志を思い返した。
久道からの一撃は何かを損なったけれども、確実に新たなる武装を敷く要請を命じ、まだ見ぬ外敵を愛する矛盾を設定させるのであった。偶然を越えた神秘を覗き見ようと志したのは単なる戯れによるものだったのか、思念からはみ出してしまう謎をひとまとめに黙された意志のなせる業へ棚上げする、安直さも傲慢さも持ちあわせていない、だが久道が口にした意味あいは一瞬の目くらませと同じく、孝博を切り裂いた。
「仮りにそれが俺を見据えた上での虚言であったとしたところで、出会いを認めこうやってこの場に臨んだからには、本質的な次元からはずれてはいないはず、、、」
こうして夏の午後は永遠に続いていくのかも知れないと、汚れない幻影が胸いっぱいにひろがり、気がつけば寡黙に見えた相手は思いのほか微に入り細に入り澱みなく語り始め、孝博とてまるで歩調を揃える具合でときに饒舌気味なほど気持ちを表にしているのであった。語られるべきところは補填され、あるいは強調されて明瞭な形を整え出し、伏し目がちな感情をともなうまだ幾分かの的確でない部分は、柔らかな手つきで払われる砂のようにとめどもない童心が為すままで形状あらわにさせない。互いに交される会話の質もまた砂上にしみ込む雨水となって深みを知らぬ情況が保たれている。意図されたものか、それはまだ判明し難い。
ようやく、対座したふたりへと昼下がりの想いは密接な時間を分配してくれたようだ。残暑に燃える外気からは遮断された冷房のゆき届いた室内であったが、夏日は夏日であり多分に湿度で充たされた風の微かな流れは浄化されることなく、辺りの空気を侵蝕して止まない。虚空は真空であるべきなのだと云う、渇いたこころを叱責してくれるのは吝嗇な下心を見越してしまっているからなのだろうか。
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