まんだら第三篇〜異名22


あの日の写真を取り出しじっと目を凝らす。光線の加減もあって大概は暗くぼやけた写りのものばかりで、記念にと云う有理の思惑に実はかなった枚数の少なさが今となっては価値を高めている。
美代の手元に渡されたのはわずか四枚だけであり、そのうちの三枚がやや正面から撮影された似たような表情で、それらは微笑んでいるのか戸惑っているのか、よく見極めのつかないありきたりな面持ちに支配されていた。が、所詮は小学の低学年が精一杯つくり出した感情の曖昧さで終始されるのも頑是ないこと、ファインダー越しに悲哀のまなざしを求められてみても、内心は正反対に吹き出してしまいそうになった反応が我ながらに可笑しく思い返す。
有理の未熟ながらも丹念な化粧により仕上がったこの写真を手にした際の印象は、その濃密な目もとの彩色や当時のプリントがそうであった独特の発色と相まって、月日を経た現在でも決して色褪せたりはしない。自分の顔立ちがどうこうと云うよりもおさな子であるはずの、色艶とはほど遠いすがたがそこでは奇矯さぎりぎりのところで不遜なまでに自愛をしめしている。有理姉さんがあのときふともらしていた可憐な小花と云う言葉が、まだ効力を秘めていると痛感出来てしまう根拠は、まさにこの人工的な異形が発散する無機質な歓びにあったのだろう。
見ようによっては冷淡なくらい肉薄い上くちびるが、ようやくめくられたふうにして歯並びを少しばかり覗かせている。口角をわずか動かせることに成功した頬の隆起も平淡な内心をかいま見せるにとどまり、それと云うのも束ねられた黒髪が、目尻からあご先にかけて隠し去るようにして左半面に垂れさがり、本来しもぶくれ気味の頬を無きものにしてみせ、同時に反対側は目論まれた陰影がちょうど良い具合に重なりあい、多少丸みを帯びたおとがいを目立たせることなく細面に形成させているからだった。
この時点でもはや美代本人の目から見てもよそよそしいほどに現実感は霧散してしまい、なおかつ、やや上目使いに定められた瞳のまわりを縁取る微妙な案配で引かれたアイライナーは、頑な意思で棲みついた無垢なる脆弱さをそれとなく強調して、そこから放たれる光させも惑わす奇態な視線に変幻する。
わたしはあの場で刃物を突きつけられていたのではなかっただろうか、、、美代にそんな荒唐無稽な感慨を張りつけたのも無理はない。それほど自分の顔かたちは、死に直面した折に血の気が失せる手前の暖色が急低下する瞬時を物語っていた。そこにはむろん喜びはないが悲しみも怒りもない、放置されたのは人肌をまとった模造品の苦悩だけである。ひとつだけ難を逃れたのは白塗りで段差が損なわれたのか、すっきり通った鼻梁の気高さは了解出来ず、小鼻がふくらんだ様子があらわになったせいでどうにか子供らしさを残存させているのだった。

鮮烈に焼き付けられた記憶は遠く過ぎ往きた後ろがわへと流れるはずなのに、この写真から喚起するひろがりの情感はちょうど額にドアがあって、そこからはらはらと花びらが強風にあおられ散り去るはかなさが、せつなく、もどかしく、けれども余分なとらわれに陥ることなく見据えられる。
「これって練習なの、わたしまだまだ上手じゃないみたいだから」
一度は息継ぎのようにくちびるが離れてから、ふたたび今度はより濃厚なぬめりのキスが終わったあと有理はこうつぶやいた。
それから言い訳らしく聞かせた言葉を美代は明確には思い出せない。だが、有理があのとき胸に秘めていた小鳥みたいに柔弱な好奇心は、かねてより望美から教えられていた事情もあって共有できるし、何よりわたしが期待してやまなかったのだから、有理姉さんが恥ずかし気な態度をあらわせば、あらわすほどそれは同じ恥じらいとなってわたしの胸を滲ましていった、、、
「ううん、いいの。わたしもうれしかったから」
そう言いかけながら、結局は口に出来なかった。その節度は今から顧みても十二分に美代の自尊心を保持し続け、そして有理をどこかしら物体として捉える意想に傾いていった。おそらくは感じとったのであろう美代の気持ちに驚きをみせることが躊躇われ、また羞恥の方向へとおちていくのを見逃さず察している様子がどうにもたまらなく、身の置きどころなく思われた。
美代にはそんな彼女のすがたが、固定された感情、、、鬼ごっこで相手を捕まえたときのあの遊戯精神にあふれた優越感、会話が会話であることに煮詰まってしまい、あらぬ方角へ逃亡しかける脱力感と緊張感、つまりは投げかけなどのやり取りが停止し自己完結だけに意識が占領された光輝の瞬間へとすべては収斂してゆく。
編目で覆われながら羽ばたいている蝶、すがたかたちを見届ければその羽ばたきは限りなく静止へと向かっている。美代のこころは自由であった。