まんだら第三篇〜異名23


他の三枚とは異なる図柄を配した最後の一枚があかりを取りこむようにして燦然と輝きだす。
あきらかに日差しは隠れはじめ、夕暮れ間近特有のひっそりと沈みこめる気配に導かれていたと思われるが、どうした具合なのか寄りそったふたりの顔が燻りがちとは云え、漆ぬりされたふうに朱で染めあがった色づきで明らむ様は、如何にも胸の裡が熱していたのだと、こうしてすべてを知りつくしたつもりで落とした視線をはね返すよう、その内心とはうらはらに冷たい光を放っている。
気が遠くなるほどまでは云わないけれど、相当の年月を隔てた自分の顔がこんなわずかの距離で黙ったまま目線を釘付けにしてしまう厳めしさは否定しがたく、よそよそしい面持ちを思わずつくり出してしまう。
ふたりして眉のうえ少しのところは揃ったものの、隣に写る美代の華奢な首筋は暗幕に遮られるようにして右手から横顔を寄せている有理の存在を哀しみで誘い、しかもその哀しみは際立った陰影を拒む様子もなく肩先までで切りとられ、あとはまわりに張り付いてしまった夜の使者が塗りこめた背景にうなずいている有理の黒髪、、、陰りの主であることに忠実なるまま闇に溶けてしまった黒髪が、彼女のまぶたを閉じさせているのだった。
すっと伏せられたまぶたにはなめらかな曲線を描いた睫毛がゆっくりと被さり、厳かな沈黙を守るべく、美代の目尻から頬にかけてかたちの良い鼻梁がほとんどひっつきながら、そのくちもとと云えばきつく結ばれているのだが、微かに口辺へ波紋のごとく笑みの種子を投げいれたと窺えるのはあながち気のせいでもあるまい、それは真横に位置した加減でいつになくふくよかとした上くちびるの中心が丸みを帯び、触ればさっと反応してしまう小魚のひれを思わせる過敏さで震え、ときには傷みやすい果実が香らす清純さも予感させられ、さざ波となって微笑へと誘っているように見えた。
微笑は哀しみと出会う。伏し目の有理とは対照的に美代のまなざしは大きく見開かれ、半面に寄りそった相手よりも威厳ある居ずまいを明快に現し、むろん、椅子にかけた美代の斜めうしろから抱く素振りで密着した、そう、畳にひざを立てたまま思いきり近づいた情況を知りつつ、あえて大人ぶって有理が延ばした左手のレンズを見つめ続けた。背後からしがみつかれながらも、あえてかぶりを振りきらず沈着に、冷静に、未来へと送られる構図を意識することでもうひとりの自分へと飛翔する。
確かにわたしは笑顔など浮かべていなかった、、、黒目が濃く、それは有理姉さんが眉墨をあまり入れなかったからだけど、するといやでも鮮やかに塗られたくち紅が毒気を放っているみたいで、ましてやまわりの暗がりがくちのなかまで侵入して来るのか、少しだけ開かれたくちびるの間から白い歯は覗かせない、、、でも、微笑む余裕がなくてこんな険しい表情をしているわけでなく、あのときはああした顔つきをしてみたかったの。案の定、有理姉さんは寂しいようだけどわたしの気持ちを察してくれたのか、とても自然な穏やかな横顔でこうして頬をすり寄せている。そう云うふうに写っているだけかも知れないけど、、、この写真を見せられた直後にわたしの顔色は曇ってしまい、泣き声を出しそうになったから抱きしめられたのだろうか、、、それともわたしの方からむこうの胸に飛びこんでいったのだろうか、、、どちらでもかまわない、、、

「浅井さん、さっきお兄さんが面会にいらしてたんですけど、眠ってるからまた出直すって言ってました」
「えっ、兄がですか」
美代は意味あり気な符丁にもとれる珍しい久道の来意に驚いたふうであったが、ふと気を取り直し、どれくら眠っていたのかと思い巡らす小さな旅路の伴走として、とりとめもない回想がそうであるように別段兄の面会を意識するべきでもないと、こころのなかでつぶやいてみた。眠れる湖へ小石を投げ込むときに抱くほんの少しの邪念を知りつつ、、、
外には冷たい風が吹いていたようだけど、窓のうちに差し込む夕映えはいつか見た夢うつつの温もりに包まれ、何よりも美代自身の体温が、例えそれが発熱であったとしても、心地よさへと繋がる道程であると思われた。


終