まんだら第三篇〜異名20
そのあとも望美は斥候に出るよりか、話しに夢中になっていることに意義を見出した様子で、日頃から小耳へ挟んだ姉に関する領域を美代へと報告する努めに精をだした。
ラブレターをもらったと自慢気に語りながら自分からも二回ほど渡したことを正直に言うあたりが姉らしいこと、小太りの同級生に限らずこの家へ来る同年らはけっこう異性を値踏みするもの言いではきはきしていること、あるときなど、度のきつそうな眼鏡をかけたひとに頼みがあるんだけどあんたでチューの練習させてくれないと真顔で迫られ同性でも無性に気色が悪くなって泣きべそをかいたこと、そのとき隣で薄ら笑いを作っていた姉がとても憎らしく感じたこと、それから美代の催促に応える具合で、いくらなんでも有理本人はそんな無茶は口にしないと、だって姉妹だから気色がどうのこうより絶対あり得ない、そう固く言いきったことなどが、こぼれ出す水槽の危うさで矢継ぎ早に語られた。
美代の好奇心は吸い取り紙となって水分を含み濾過され循環された。そしてようよう視線が下がり共通項にたどり着く。
「知ってる、赤ちゃんってどうやって出来るのかって。キスを百回するとね、、、」
「うん、わたしも聞いたことある。でも本当かなあ、、、」
と言いかけて、生唾を飲みこむようにしてその次に接がれるはずであった感想をためらった。
半年ほど前のこと、クラスの男子で普段より悪戯好きの三人組がどこで拾ってきたものか休み時間、いかがわしい週刊誌をちぎって一枚一枚さながら新聞配達よろしく一年生の教室にばらまいた。あくまで下級生のところだけと云うのが馬鹿馬鹿しくも情けないのだったが、その実情は先生にさえ見つからなければ咎めもないとたかをくくった腹づもりであり、昼休みを過ぎても何の沙汰がなかったのはそれほどの効果も与えられなかったことよりも、三人組をして安堵がもたらしている気配を美代は敏感に読みとっていたからであった。
と云うのも、昼まえ授業が始まるとき廊下の隅で顔を見合わせながら互いを探りあっている場面を横切りながら、
「やっぱり、誰かが言いつけるかも知れないよ。あんだけ破ってまいたんだ。顔もはっきり見られてるしさ」
「証拠はないからな、そうびくびくすんなよ。これも教育だ」
「おいおい、絶対に怒られるよ。すぐにおれらのせいだってわかるよ」
語調を落としているつもりでも、内心の怖れが金切り声に限りなく近づいて思いのほか空気に振動してしまう。そのときには美代もまだことの顛末がつかみとれていたわけでなく、またつまらない悪さでもしてびくついているだけだろうくらいに聞き流していたのだけれど、午後からの音楽の授業で渡り廊下にさしかかったところで一年生のげた箱の隅にふと漫画雑誌の切れはしらしきものを見つけ、どうした都合か風がそよいだ加減でさぁっと宙に舞い上がり目線でたどるに適した高さで停止しかけ、まざまざとその絵姿が飛び込んでくるに及んで、あの三人組が言わんとする意味合いがようやく判明したのであった。
無論、黄ばみかけている紙にこれまた色あせかけたインクで刷りこまれた漫画の実態を美代は理解しているわけでない。そこに描かれている局所を除き全裸で抱きあった男女が指し示ているのは、何やらいかがわしさには違いないのだが、内実にまで通底する根拠を持ち得ていないことや、淫らと云った含みさえ耳にした覚えもない稚拙さが救いになり、裸とくれば銭湯を思い浮かべるしかすべがないまま絵柄の持つ深意は未消化に終わってしまう。そして彼ら三人も裸体が交わっている図形を正式に認めてはいなかったと思える。怪獣や幽霊の存在を疑っても、世界の果てにとめどもない夢想を投げかける熱意は決して醒めることもなく、近所の暗い夜道へ次元爆弾みたいに仕掛けられた魔法に怖れをなすはずだから。
翌日の昼まえ校庭の階段わきの水道場で、家の近所にある森田商店の梅男と云う一年生の子が、昨日見たものと同じ種類の切れはしを懸命に洗い流そうとしている姿を美代は目に留め、
「あら梅男くんじゃない、学校で会うのはひさしぶりね。それ何かしら、あたしも、、、」
と言いかけると、
「そこら中に散らばっていたよ。昨日から教室にあったんだけどみんな隠してしまったんだ。先生に届けるのも面倒だもん」
「えっ、じゃあ昨日からそれ持っていたの」
「違うよ、今そこで拾ったんだ。ごみ箱まで持っていくよりこうして水をかけちゃえばとけるから」
そう答えながら、勢いよく吹き出す蛇口をしっかり握りしめた手は梅男の力強く、また所々ひび割れたり小さな穴ぼこを露にしたセメントも年月を経た風合いで水流をしっかり受けとめている。切れはしの絵柄は次第に破れ遂には細かくまるめられ、悪戯の成果は完全に根絶やしにされてしまったようだった。
湿気のない乾燥した秋風が校庭を駆けると、水気を帯びたセメントから立ちのぼるふうにして、水道管から吊るされた蜜柑色になった編袋のなかのひからびた石けんが微かに香る。
この懐かしい匂いはどこからやってくるのだろう。美代はそっと辺りを見まわす素振りをしながらそう思った。
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