まんだら第三篇〜異名11


今まで感じたこともないその指先から授けられる柔らかな触れあいに対し、美代はなぜか入学式のとき同じ年頃の子らも自分と似た緊張ぐあいだろうとよく了解したことをふと思い返した。
有理から持ち出された、ままごとにはしては秘密の匂いがするふたりだけの遊びに多少は当惑気味であったことは確かだけれども、薮から棒というより美代自身の胸裏へにわかにわきあがった期待に忠実であるべく素直にしたがったまでとすれば、彼女のなすがままに任せるのが一番だと開きなおりみたいなうれしさがこみあげてくるのだった。
下地らしき液体が美代の小粒な顔全体に塗りこめられる間、そんな困惑と喜びがないまぜなった意識はとりとめもないうちに微弱だがあざやかな決意となって胸のなかにふくらみ、気がつけばほのかに酸味をはらんだ濃厚な甘さが鼻をついた途端、
「さあ、そのまま動かないでね。おしろいパタパタしてあげるから」
と言って真珠色のコンパクトから取り出された厚手の、だが素材はいたって肌触りのよい布地でたたくと云うよりもうっすらなでつけられる加減でふたたび美代の面に粉飾がほどこされた。薄目を開けその様子をうかがいたいところ、細かい粉が飛び込んできそうにも思えて増々きつくまぶたにちからが入ってしまう。そんな表情を有理はさぞかし愉快に見てとっているのではと感じる反面、布地より伝わってくる振動になりかける以前の愛撫にも似た真剣な手つきを、操っているまなざしをどう受けとめてよいのやら、どうにもやり場のない勝手な想像にもとらわれる。
するとむずがゆそうな美代のこころを察したのか、
「まだ赤ちゃんみたいになめらかな肌、ほんとはおしろいなんかいらないだろうけど、こうすると産毛も白く染まっていくように消えてゆくのよ」
軽快に頬のあたりをなぞっている手はうらはらに有理はゆっくりとした口調でなだめるようささやいた。「そうなの」内心まだまだ平静を取り戻すことがままならないけれど、美代もひとことだけつぶやき返す。
午後の陰りはさきほどまでの陽光にときを告げたのか、そとの空気は色調を落とし部屋の明るみが失われつつある。正午と夕暮れのさかいを流れている少女ふたりの背伸びのようなひとときはあくまで静かに彼女らを見守っている。少なくともふたりのこころに焦りをもたらさないよう。
「これでよし、それじゃ、あごをあげてみて」
有理のことばに信頼そのものを感じるまま、美代は心持ち首をうしろにそして鏡のなかに浮かんでいる白塗りになった顔と対面した。くちびるまでおしろいははたかれていないのだが、もともと薄いくちもとである為か、また和毛で細みにかたちどられた眉にも粉がまぶされたふうに見え、一瞬ぎょっとした驚きが襲ったのも無理はあるまい。ところがときの経過がせわし気に追い立てるのでなく、おそらくは有理と美代の感情が波打っているのだろう、鏡に映る異形にとらわれる猶予を消し去る勢いで次の化粧道具が出番を待ち受けている。
こうして次第に彩色が重ねられていく模様は、斜日に薄らいだ窓のうちから光彩を放ちだして部屋のなかを輝かした。
「めもとから仕上げちゃおう。はい、少しだけライン入れるわ。あんまりきついと不良の子みたいになるから」
と、今度は有理のひとりごとにさらわれ伏し目になる。危な気な筆使いでもする手加減でリキッドタイプのアイライナーが本人の思惑どうり、内側すれすれのところから気持ちだけはね出るくらい絹糸で貼つけられたふうに黒く線かれる。そして乾きを待つ素振りでたったいまのひと筆を推敲でもする如く、書きつけた当人も下目の視線でじっと見つめているのだった。
きりりと引き締まった眼瞼に華やぎと可憐を添えるにあたって、ほんの間合いはあったものの有理の彩りはあらかじめ用意されていた配色のように、淡紅色をなびかせる具合で流麗に定まり、薄紫をほんのりと点在させつつ、だが不用意な主張をひかえさせる案配で、年少の面だちにほがらかな哀感を植えることに成功した。もうこれだけで色香とは別種の一輪の小花を想い起させるおさな顔が誕生してしまった光景を我ながら満足そうに見やる有理の瞳からも潤いあるひかりが瞬いている。
祭礼で施される明快だけれど異相に変化する方法とは違った粉飾は、案じていたより素晴らしい効果を生み出した。更にはビュラーをあて、カールと云うよりかはなだらかな蔓草の先端を思わせる優美さを演出し、あっさりとマスカラを通してから、これはほとんど手入れが不要なくらいにしなやかに細みを描いている眉にコントラストを与えたのであった。