まんだら第三篇〜異名10
「わたし、あの日写真撮ったのよ、ええ美代ちゃんのすがたも遠目だったけど何枚か写したの。でも欲張って枚数の多いフィルム買ったんでまだ残っているんだ。現像したらきっとあげるわね」
あれから足しげく山下の家の遊びに通いだしたのも、ものおじしている美代の気分を別段やわらげると云った配慮も働いてはいないが有理がもつ本来のあかるさが一気にこどもこころを掌握してしまったふうでもあり、それはまた美代の側からしてもひとしお望んでいたことであったから、ふたりが同級生の望美をあいだにはさんで親しくしている定めから段々ともっと開放的な、これは相当に飛躍した思念でもあるけれど、このうちの子になりたい、そして有理さんとずっと一緒にいれれば、、、そんなどこのこども一度は胸に宿した浅慮もときとして切実なる透明性をおびることにより、本願がかなわずとも一本の矢がちから強くひかれまっすぐと虚空を突き進んでゆく意志はどこかで成就に巡り合える。
さきほどから写真の件でもおどろきとうれしさでいっぱいになっていた美代のこころの隅から顔をのぞかせた非現実ではない、願望ははやくも言下に実りを得ることが予想された。
「わたしから切り出せば、わたしのほうからお願いすればきっと」
フィルムのことを告げられ、落胆しているのか恥じらいでいるのか、いずれにしても細かく断じる性分ではない有理は、ふと思いついたように、
「そうだせっかくだから今から美代ちゃん撮ってあげる。ふふ、お化粧もしてあげるわ。わたし安物だけど化粧品もってるんだ。まえにお母さんの黙って使ってたらついに見つかってしまって、えらく怒られたけど、やっぱり興味ある年頃だもんね。あのさあ、おとこの子だって学校に香水つけてくるんだよ」
美代は天にも上る最良のめまいで舞い上がってしまったのだが、友達のお姉さんとは云え、いざ自分の素肌に直接触れられることにためらいがないとは言えない。その気持ちの底にはやはり憧れが放つ光源とともに生み出される陰りに対する弱気で臆病な神経であり、もうひとつはにきびが多少吹き出ているにしても、カールされた睫毛や薄くひかれた靴紅、手入れのゆき届いた芳香を放つ首筋までで整えられた髪に圧倒されてしまい、昨日の夕方風呂に入っただけの朝方、洗顔しただけの身がとてつもなく汚れているようにさえ思えてきて、これはもの怖じと云ってしまえばそれまでであったが、化粧を施されること自体には抵抗はないものの、思春期にさなかにある有理から伝わってくる清潔感、それがマスカラや口紅、女性専用のシャンプーによるものでとしても、美代には気恥ずかしさからくる圧迫で卑下へと落ちてしまって、そうなるとよそよそしさを体現するのが関の山で、あれほどまで望んだことが現実面では苦痛を招く結果になりかけてしまっているこの現状に立ちすくむしかなかった。
「あら、遠慮しなくていいのよ、わたしも実は念入りに化粧した顔を撮ってみたいのよ。美代ちゃんも代わりにわたしを写して。だいじょうぶこのカメラはこうやってボタンを押すだけだから」
以外な有理のことばは一陣の風となって美代のわだかまりをどこかに吹き流してしまった。
「まえに望美にも頼んだんだけど、妹しつこくてね、何枚も何枚も撮ろうとするし、しまいには弟の昇をつかまえてきて、この子も一緒に化粧してあげようとか言ってくるし、それでお母さんにばれてしまったのよ。都合いいわ、あの子はまだそろばん塾から帰ってこないから」
「わたし、そんなカメラ触ったこともないんだけど」
まだ愚図っていると察した有理は、
「ただ押すだけの状態にしとくから、ほらここからのぞくと見えるでしょ」
彼女の持ち物にしては随分と大柄で使い古された写真機だけれども、いまはこれが誰のものか推測する猶予もなく、おそるおそる言われるがままにファインダーに片目を近づける。
気がつくと有理の学習机には楕円形の置きかがみが据えられ、なにやら細々した道具をおさめたビニール製のバックから取り出しはじめた。
「美代ちゃんからしてあげる。これお化粧落としだけど、まあ、油分もまだ浮いてない素肌だし別に使わなくてもいいんだけど一応ね」
祭礼のときも同じく下地から丁寧にコットンで顔中をたたくようにしてから白塗りにされた経験のある美代はすでに有理の意のまま、実の姉妹がかいま見せるやりとりがいま現実に執り行われようとしている。
以前にはけみたいなもので塗りこまれた白地と違って、チューブから微量しぼりだされた乳白色の半液体が美代の顔面にところどころ塗りつけられ、それからかたちのよいすらりとした指先が丹念に全体へとまんべんに動きだし、さあ少しのあいだ両目をふさいで、その声を耳にした刹那、美代のなかに激震が走り抜けた。
「この指先だわ、いつか見た夢の、、、」
こうなることを知っていたのね、きっと、その念いは有理にも誰にも伝えることが憚れていた。何故ならば、メロドラマの定石は必ず恋心が隠されたままであることが美学に結びついているからだったのだが、美学の本質など知る由もない美代が模倣としてその心情を真似たのであったとしたら、それはそれでひとつの憧れが、恋を育もうとしている盲信とも云えるであろう。
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