まんだら第三篇〜異名12
有理すらもおぼつかない、まるで未完成の白亜の塑像を彷彿とさせる変容が引き起こすであろう美代の幼心は当然のなりゆきとして本人の思惑から離れしまい、戯れで造りあげたにしては息をのむくらい真摯で崇高な気配を宿している。すでにその内面まで美神が乗り移ったとでも云うべき冷厳さは、つい先ほどまでのはにかみを面にあらわしていた少女を虚ろなまで透明度のある聖域まで連れさってしまったようだ。毅然とした面容を黙視しているか如く対した有理の狼狽を、さざ波が微風によってひろがる綾を、美代の瞳に冷徹に映し出したのも無理はない、ふたりして無言に向きあう様はどこまでも澄みきっている。置き鏡は薄曇りの陽を逆光で迎え入れ、いつまでもこうした余韻を愛しんでいるようであった。静かに沈みこめるときの連鎖を永遠に眠らせてしまう意志さえ持ち得た如くであったから。
やがてそんな沈黙は雪どけ水が最初のひとしずくをしたたり落とすよう、あたらな息吹である有理の再帰により、そう、ことば無きまま彩色筆をその仕上げのため手にした刹那、峻厳さに包まれていた空気はどちらともなく安堵に近いゆとりを取り戻させた。おもむろに紅を持った有理の意中に応えるため、あごのさきをさっと差し出すことで互いの裡に一条のひかりが瞬き、表情には浮かび上がらないにせよ、あきらかに希望と夢見で結ばれる微笑が呼び起こされ、やがては待ち受けている喜悦に向かって行くことを確かめ合うよう意図された、そこだけが欠落させてあったとさえ云っても過言ではない血の気が人工的に失われていた箇所にさっと赤みがもたらされる。見た目はつつじ色の艶やかさ印象づけるのだけれど、実際には紅梅の色合いが厚みを持たない怜悧なくちもとに施された効果は、十二分にふくよかな色香を放ってやまず、尚も上塗りすることがすでに不必要と思われるくらい完成を目前にした色づきは美代を別人に変貌させ、再度あの静謐なる時間をそのすがたにまといつかせる予感を生み出させる。
だが、自ら緊張のなかにあるのか忘我の渦中にあるのか判別つかない有理のこころにも濃艶な花弁が開かれたのは、美代の秘められた光輝がもうすぐ開花されようとしているからであり、紅がひかれることであたかも血潮が口唇の裡に充満していると思えてきたからであった。するとまったく意識もしていなかった強いちからに引っ張られてしまうみたいに、きっとわたしもまだこどもなのだわ、成人まであと何年あるのだろう、と云った念が不意にわきあがり、
「美代ちゃん、えらく見違えちゃったよ。ほら鏡みてごらん」
ようやく平常心に立ち返ったふうにして話しかけた。
陰りを帯びた部屋の案配が気になり明かりを灯そうと電燈のひもを手をかけたのだが、何故かしら薄明かりであるほうが自然であると感じ、おそらくは日差しが隠れはじめた頃合いを見計らったように化粧を施したことの延長であるべく、いや、もとはと云えば華飾を模倣する気まぐれから起ってしまったどこかやましい気持ちがこのまま隠されることを願っているこころを知る故なのか、決して明瞭でない写し絵を言われたとおりじっと見つめている美代に対し複雑な感慨を持ちながらも、あえてそれ以上は深く推量せず自然光にすべてを託すのだった。
「お姉ちゃん、すごい、ほんとうにわたしなの」
いつもは有理姉ちゃんと呼んでいるのだけれど、このときは驚きが優先したとでも云うみたいに気安く、親し気に、ときめきとためらいとよろこびが居並ぶままそう口にした。
「まったく、わたしもびっくりだわ。将来有望ね、きっと美人になるってわかったでしょ」
美代はそのことばを額面どおり受け取ったのか、斜に目線を逃すようにし、ほのかに頬が上気している。
その羞恥は、さすがにおとながかいま見せる折の一見清涼なまなざしによる、しかし肉感を突然さえぎられたあの重厚である緊迫を半身にはらんだ意味あいを表にはしておらず、いかにもおさない照れが粉飾を崩してしまった安易さで醸し出されている。
「さあ、あとは髪の毛をほどいてみようよ」
ふりほどけば肩より下まで垂れるであろう黒髪は、そのときまんなかから分けられ両耳のうしろで結ばれていたのだったが、束ねから解放されただけのことで案の定一変して美代を年齢不詳にさせた。
それは、清純な少女と出会ったときの鮮烈な胸のたかまり、舞台女優が演ずる虚飾に魅入られたあてどもない情熱、あるいは寡婦がときおり見せる妖艶な微笑み。この世のものではない不確かな欲望。
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