まんだら第二篇〜月と少年37 道行きを指し示していると疑うことさえ億劫になる沈滞した気分が更にその場から動くことを怠るのは、ぬるま湯のなかに浸り続ける居直りにも似た情況であった。 車両が揺れるように、湯船も心地よさをぬぐい去ることなく、次第に冷めゆくであろう身を憂いながら、それでも残された砂時計の分量を湯水に換算する想念は、健気にもまだ命のともしびが絶えることなくゆらめく可能性を決して疑わない。 地震のごとく大地が轟いたとしても己の意識はすぐさまに危機を覚えない、あの不遜な身構えは如何なる理由で微少な猶予を差しだすのか。恐慌から免れる為に毅然たる判断を瞬時に養う、つまりは防衛本能が稼動した証しとでも云うのか。 孝博のこころは列車が響かせる反復的な震動を受けていた。懸念が増幅される必然は警告文となって胸に突き刺さってくるべきところ、揺れ動き定まらない机上で文が綴れないよう、想いが言葉に変換出来ないよう、まるで水のなかに書かれた文字の連なりとなって、こころのなかに沈みこんでいった。識別が可能であっても意味は水面下でたゆたう海藻のごとく判読を阻害しながら、もどかしさを呼び起こしつつ、そのまま霧の彼方に留まろうとしている。 ところが彼は知っていた。すでに防衛段階から身をかわし、新たな虎口に面している事態を、、、そしてこの乗り物から見遣る左右の車窓は、まるで映写機でもって意識をそこに促す幼稚でしかも投げやりな態度の流れを生みだし、その感覚的な事象は段々とあふれゆくであろう水流へと重なりあわせることによって、より深く言葉を底のほうへと沈みこめるのだった。 これは放逐なのだろうか、困苦から逃げだす行為にいつも言い訳が追いついてくる自意識の攻防、あげくの果ての神経麻痺。 「いや、麻痺などしていない、、、聞こえてくる、この身をひたしている、まわりの空気が水のような抵抗を感じさせている、見えている、いつかは水流にのまれることがやってくるかも知れないが、揺れては浮き上がる言葉のとまどいと勢いが、自分のなかで幾層にも重なりあうのを、、、」 それは災害などと云った不可避へと推し量ろうとする諦観に、ひとしずくの涙でこたえる感傷ではなかった。滂沱とした感情の発露は地下水へと通じることで、もはや大仰なまでの形式的な悲哀にすべり込むことなく、浄化作用の域から逸脱することはなかった。 ゆっくりと、絶え間なくみ出される泉水の微かな音が、決して洪水へと直結などしないように。 静かな反復にささえられることは災厄を、日々の連鎖の過程に薄めてしまい来るべき悲劇を待ち受ける心づもりへと昇華される。 孝博を満たそうとしているもの、それは確かに道行きがもたらした心痛であったに違いない。けれども痛みの根源を穴が開くほど見つめてみたところで、ちょうど虫歯にさいなまれた箇所をより一層知覚してしまうことと同じく、効果的な解決策には至りはしない。 「そうさ、三好からいくら今は体力消耗で安眠中と知らされようが、たとえ携帯をとることが無理だとしてみても、すぐさまに晃一に連絡をつけようと試みるのが、親と云うものではないか。だが、そんな簡単なあたりまえのことを邪魔する思惑がこうしてひそんでいる。転落事故の顛末は透かしガラスの向こうで起こった出来事みたいに輪郭もはっきり見定められ、その余波が、晃一は無論のこと富江や三好家までに及ぼされる、それから、、、それらは、すべて自分へと収斂してしまう未来図までが、すでにもう出来上がっている、、、」 トンネルをくぐる頻度が増してした頃、傷ついた晃一が眠るまちへと近づいてきたことを感ずるほどに、孝博の胸騒ぎは反対に治まりつつあった。直接に連絡をつける行為は、軟体生物が示す生硬な葛藤の末に控えられた。 代わりに彼のこころに満ちはじめたのは旅情と呼ばれる、不確かでつかみどころのない感覚の氾濫であった。名も知らぬ駅に向かうわけでも、人里離れた温泉宿をめざすわけでもない。 しかし孝博は夢想することで、無用な気遣いを回避させようと努めた。 「祈りの本質とは天上や奥底に向かうばかりではないはず、こうして脇目で意想をずらしてみることも、個人的な行為として下賤ではないだろう」 難題を抱えて寝床に入った深夜に、案の定顕われて来た夢想の影絵が期待通りに展開せず、まるで様変わりした光景で映しだされるよう、孝博は異相を夢見るのであった。 |
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