まんだら第二篇〜月と少年36 線路と云う一本に連なる道行き。山間部を抜ければ又すぐに待ち受けているトンネルと云う局所的な空間、母体に開けられた魔法の時間が過ぎゆく漆黒。 トンネルをくぐるたびに孝博は、夜明けや日没の意志に促されるよう、思考がおおらかに切り替わっていく快楽とも呼べる意識の連鎖に抵抗することを放擲した。 常夜灯の清らかさが、夜を限りなく讃える様は、トンネル内に設置された灯りの流れも同じこと。 晃一の山中での事故は、大事に至らなかったしらせを受けたこともあり、今こうして孝博の胸裡を安静にしながら、転落間際の息子のすがたに想い馳せるのであった。 苦い恋の味などと、我ながら歯が浮いてしまいそうになる文句さえ想起し、そのあとに連なるであろう父親としての提言が傷心の晃一に浸透するがごとく吸い込まれてゆく。 「たとえ過失以外の事態であろうとも、おまえは短期間で見事に燃焼してみせた。田舎暮らしを試してみたと云うことは都会脱出も体験済み、性的なものにまつわる煩雑な心理と体感は、禁欲とうらはらに極めて実験的に推進され、しかも婚姻間際まで情念を解放することで、抑圧されるべきものはなにであったか、少しは理解出来ただろう。素敵だよ、晃一、爽快だよ、せがれよ、怖れを知らないことは善いことなんかではない、おまえは怖れを洗練のかたちで敬遠させ、そして終いには破壊する覚悟で燃えつきようとさえしたではないか。 純朴とか自然とかも形容として援用するまでもない、おし着せの洋服が板についてなかったのは昔の日本人とて同じ、、、本当の自然など言葉や概念で言い表せることは到底不可能さ。 どうだい晃一、今度は学術のための大学とし徹底して勉強してみないか、ああ、いいとも彼女のひとりやふたり、それはそれさ。そして父さんの研究を手伝ってみる気はないか、そうだな、わかるよ。盗み読みする程度の学術とやらが楽しいと言いたいのだろ。エロスだって覗き見が最高とか誰かが書いてあったって!誰だい、そいつは、ははは、おまえ本当にそうだと信じるかい」 夏の陽射しとはあきらかに強度が異なる乾燥した空気を暖めようと努める今日の光線は屈託なさそうにも見え、そのじつ気性をあえて大地に色づけてみたとでも云った、不埒な永遠が線路沿いにところどころ群生している彼岸花が赤味と化しているのを見いだしたとき、孝博は再び幼少の頃へと記憶の産毛を、あげは蝶に託した。 目と鼻の先にたたずむ校門から自分の家まで、ひらひらと低空を舞ってゆく黒地に黄色の紋様が泳いでいるあげは蝶。こんなに通学距離が短いことを一緒に楽しんでくれているのか、そのあてどもない上下左右への慌ただしい飛来が遅刻寸前の半泣きの同級生の仕草を類推させ、年少時特有の優越感を培養した。 そんな微笑が育む香りたつ情感は、そよ風の気まぐれにも似た透明さのなか、ゆるやかなスロープに沿って歩を進めて行くよう無心のまま汚れなき想念へと結ばれる。 家の窓から眺めている孝博の目線を次第に陶然とした奇妙な感覚へといざなったのは、その予測不能な飛来方ではなく、三角形に作られた黒衣とも見まがう羽ばたきの裡に黄味が溶けてなくなる、そして不意に土塀などに止まったおりにかいま見せる、細身で壊れてしまいそうな胴体が醸し出すあやうい優しさ、と同時に以外な箇所から顔を出して思わず否定せざるを得ない、禁じられた想像であった。 蝶全体の質感があたえるのは、軽やかで艶やかな体毛、、、そう、浴室でしか見ることのない母の股間にとまっている生物、、、溶けてしまい、隠れようとしているのは、体毛から覗かれる普段は決してあらわにされることなどない、柔らかなところ。 その夏休みが終わってしばらくした頃、孝博は転校した。 引っ越しの際に数回しか乗ったことがなかった列車に揺られながら、遠くの風景ばかりに気をとられていたのだったが、各駅で停車するたびに線路沿いに赤く染まる花の名を母に尋ねてみたことがあったのを、たった今まで忘れてしまっていた。 |
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