まんだら第二篇〜月と少年35


単線鉄道の轍新幹線でN駅に到着した孝博は、特急に乗り換え待ちのあいだに晃一の消息をようやく得ることが出来た。
三好の主人から直接の連絡であった。
「とにかく意識もしっかりしているし、本人は歩けるって言ったそうなんだよ。骨折もしてないようだな、打撲程度ですんでほんと不幸中の幸いだって。ただ、右の眼が痛いっていうもんで、精密検査を、、、もちろん、全身診てもらわないとって。ええ、そういうわけで」
孝博は受話器へと三好の張り上げる声が、ホームの拡声器を通して上空から鳴っているのではないかと思われた。その声色は釣り師が何年か一度しか捕らえられない獲物を手中にしたような喜びがあらわだったからである。
孝博のこころも躍った。だがつい先程までの曇った気分は、一気加勢に霧散される義務に反撥してみせるように、青雲たなびく空は足もとから彼の裡へと、まるで地面に鏡を敷きつめた反射となって映りこむのだった。それゆえに三好の笑声は天上から降りてきたのかも知れない。
善きしらせに安堵してみせるとき、うわずった明朗さに茶々をいれてみたくなる心境が、幸福の証しであるならどんなに素晴らしいことだろう。だが孝博にとって幸福とは、ある意味不可解なものであった。
閉切ったはずの扉からわずかにひかり差す情景に頬をゆるめながらも、眼は凍結した視線を維持し続けてしまうように。
そんな観念が今ここで培われたわけではなかったが、晃一の安否がわかり次第、更なる課題が孝博を待ち受けていることはさきより明瞭であったし、勝利の凱歌にあわせて判明した息子の事故の顛末を聞くに及んで、その不可解さは、より錯綜した日常を眼前へと引き延ばしてしまうのだった。
「しかしまあ、なんであんな山のうえから転落したんだろうね。夜中だったっていうし、でもよかったさ。あんなとこ猪か猿しかいないからさあ。農園のひとがたまたま赤い自転車を見つけたっていうから」
孝博は晃一から富江との出会いが、三好荘の後方に高まる山腹であることを聞かされていた。さきほどから三好の話す山とやらは間違いなくその付近と思われる。
今朝、近所に投函した富江宛の手紙のなかで結んだ内容が、はやくも白々しく技巧的なひとりよがりの文面となってしまっている事実に赤面し、けれども手遅れな筆消しに狼狽しつつ試みることと云えば、羞恥があたまから逃げだそうとしていることを自覚することだけであった。
「そうだ、三好に尋ねれば富江との直接対話も可能になる。それは少しも不自然なことでもない、そしてすぐにでも彼女に問うべきなのだ、、、なにを、、、いや、かまわない、晃一の情況だけを問うてみればいい、、、そうすれば、、、そうすれば、、、すこしは落ちつく、、、」
わずかの間にめぐったものは意識の循環などではない、船酔い客が乗船まえに想像とやらで余儀なくされる怯懦の予習であった。それは他でもない、波間に揺れる感情がいつまでたっても鎮静されない自然の理であった。
「じゃ、昼過ぎに駅まで迎えに行くから。孝博さん、そう心配しなさんな」
結局、意気盛んな三好のほうが実の親より、例えお祭り騒ぎに似た気概を発しているとはいえ、悠然と事態と向き合っているではないか。
そう考えつつ孝博は、富江が幾度となく書き示した影法師と云う言葉を反芻してみることで、自分の行動を正当化する機会をあたえられたと思いなおすのであった。
「晃一は死んだわけではない、ちょっとした遭難だったのだ。これを期にあいつもこころが生まれかわる」
特急列車に乗り込みながら、沈着さがあのまちの方角より自分のもとにさざ波のように向かってくるような心持ちがした。それは皮肉にも焦る勢いですがりつく方法を回避した結果こうして得られた。