まんだら第二篇〜月と少年3


あのとき晃一は、母が並々ならぬ野心家の一面に近いものを覗き見たに違いないだろうと推察してみた。
翌日、今度は父から、「これで結着にしよう、意志は固いんだな」と問われるままに、
「うん、かわりはないよ、とりあえずあのまちに一度行ってくる、二三日で戻るからさ、心配しないで。交通費なんかも、いままでの貯金はたいて工面したからだいじょうぶ、って言ってもほとんどお年玉を貯めておいたやつだけどね。でもけっこうあるんだよ」
と悠然とした口吻でこたえるのだった。

卒業式を終えた数日後、父が不在だった夜半、晃一は母からある提案を持ち出された。
それはすでに決定された息子のこれからを願う、親の情の切実なあらわれに思われた。話しの切り口に入るまえにはわずかに顔を曇らしたのだったが、夢と理想とを手中に収めてしまった晃一には、過敏な反応以上のなにものでもなく、ましてや母が語りはじめた提案は、巧みに弱点を刺激しながらもけっして懐柔へと通じ得ない、鮮明な展望がひらかれていたからである。
「どう、いきなり見ず知らずの人間のなかに分け入っていくよりかは、かあさんの言うようにとりあえずは、三好さんところへ身を落ち着けてから、あわてることもないでしょう、、、ねえ、そんなに急いでどこへ行くのよ。自分さがしするのだって、ゆっくり時間をかけたってかまわないでしょう」
母が言うには、自分の叔母が嫁いださきが海辺でおもに釣り客を相手とした民宿を営んでいる、以前、親類の法事で帰省した折に、その叔母から最近は若い人材が不足していて、しかも宿の仕事は単調なうえにけっこう労働力も要求させるので、なかなか人が根づかないとこぼしていたことを思いかえし、昨日電話でその後の情況をうかがいがてら、こちらの内情を打ちあけてみたところ、それだったら是非とも三好の家に身を寄せてみればどうかと話しが発展したのであった。
まえには父から鋭い指摘でもって、親戚縁者にすがる可能性を糾弾されたような一幕もあり、晃一にしてみれば、母の発案を鵜呑みにしてしたがってしまう自分がもどかしかった。しかし、そんな息子の胸中をあらかじめ察していたかのように少し声色を甘くなびかせ、余情を伝えることが本命でもあるみたいにしてこう言った、
「話したことあったかしら、あそこの息子さんは家業を引きつぐ気なんかさらさらなくて、あんたと一緒で勉強できたから、医者になるって医大まで入ったのはいいんだけど、そのあと挫折したのか、いきなり北海道の牧場に住みついちゃって、いまではむこうで結婚して、滅多に家に帰ってこないっていうの。
それから次女のほうもねえ、静岡へ嫁にいってたんだけど、どうも夫婦仲がそぐわなかったみたいで、子供が出来てないのを幸いに近々戻ってくるかも知れないって言ってね、ああ、あんた知ってる、そうか、比呂美さんは結婚式のあと、一度うちに挨拶に来てくれたから。たしか前の日にきれいな娘さんが明日来るよっていったらあんた、もじもじしてたもんね。
それで晃一のことを相談してみたら、腰かけでもかり宿の気持ちでもいいから、とにかくいっぺん寄ってみたらって言ってくれて、居心地が窮屈だったり、ほかに落ちつきさきが出来たときには、気兼ねはいらないからって。どう三好さんとこだったら、かあさんも安心だし、あんたと一緒に最初のあいだ暮らすことも止めにしてもいいと思うの」
母の言葉が途切れるやいなや、晃一のこころはそよいだ。そして心音が次第に脈打つのを覚えながら、言い様のない不安と希望が静かに足もとまで忍びよっているのを、他人ごとのように認めてしまっている己を嫌悪した。

あの日、父が三好家を訪ねていたなんて、、、母の確信に満ちたあの甘い物言いはその日のうちに、父からの通達によって希望をみなぎらせたシナリオだったのだ。
なるほど、それで自分のなかの気持ちがどこかしっくりいかないのを、後々まで抱き続けるようになったのか、、、いったい、どこまで根回しされているんだろう、いくら心配だからといってそんなにお膳立てしてもらわなくたってかまわない、、、
一年前の両親らがとった情愛にあふれた画策に気がついた夜、晃一は白日夢が育んだ愛憎に包みこまれていることを知るよしもなかった。