まんだら第二篇〜月と少年2


出来る限り必要以上の機器を身のまわりに備えることを晃一は避けようと誓った。
車とパソコンはあえて持たないことで、行動範囲は限定されるが流浪する自由人のロマンはふくやかなもとなり、安易にたぐり寄せられる情報の閉鎖はかえって未知なる時間への旅立ちを促して、常に探索にむかう姿勢を更新する。
交通の便は一台の自転車を購入することで十分にはかられた。街乗り用より少しばかり性能のすぐれたその真紅のボディの彩りは、颯爽とした走行感をあたえてくれた。
もし車を所有してしまえば、きっと市街はむろん県境を軽く越え、大阪や京都といった都市にまで足をのばしていく可能性が危惧される、それでは、自然に親しみ、簡素な生活スタイルを貫く意味あいが希薄になってしまうだろう。どうしても遠出に迫られたときには、鉄道を利用すればこと足りるではないか、、、いまのところ、ここでの生活には仕事においても運転免許証を取得する必要が生じていなかった。
たったひとつの利便性は、しぶしぶ母に約束させられた携帯電話の所持であった。
「これだけは持っていって、高校でも携帯使ってないのは晃一だけだったでしょ。遠くに行っていまうんだもの、せめていつでも連絡はとれるようにしていて。あんたの望み通り好き勝手でいいと言ってるんだから、、、」
その言葉には哀願以上の強迫じみた説得力があり、晃一は従わざるを得なかったのである。
憶えば携帯を好んで使用しないのは父も同様だった。学者気質そのものの父は自分が打ちこんでいる学究生活を些細なことで乱されるのを極端に嫌った。きっとどこかそんな親からの性格を受けついでいるのだろうと云う実感は、晃一の矜持を裏側からささえていた。

「この携帯電話もいまでは、日常のなかで手放せないものになっている、、、」
けっしてふくよかではないけれど、表面に適度な張りがあって内部からの芯には手ごたえが返ってくる乳房を右の手のひらでもみながら、そのちょうど直線先にあるテレビ台のしたへ無造作に置かれた自分の携帯をぼんやり見遣り、そんな感慨がよぎっていくのだった。
その日、晃一はつきあいだしてから初めて、富江と並んで写真を撮った。
お互い裸体をさらけだすまえの、柔らかなくちづけをしただけの、そうして上背のある晃一が逆にしたからにらみ返される視線によって言いだそうとした言葉がさえぎられた直後、富江のくちから、
「ねえ、ふたりのとこ撮ろうよ、なにためらってるの。誰にも送信したりしないわよ。なんなら磯野くんので写して」
いかにも年上だからといわんばかりのきびきびした声色が発せられた。
木下富江は二十一歳、晃一からしてみれば、まぶしい存在であった。

父が一年前の夏、晃一に内緒でひとりこのまちに帰省していたのを知ったのは、つい最近のことである。
仕事がら特別講師として他の都市や地方の大学におもむくことも多く、あの夏の日もそんな出張なのだと別段気にもとめていなかった。
晃一の決断にゆるぎはなく、どうあっても信念を曲げさせることが無理だと両親に知らしめたのは、ある工作を弄することによって、自ら断崖絶壁から投じる模倣を演じてみせた結果であった。
いよいよ、卒業もさしせまった頃のある昼下がり、なんの前ぶれもなくふたりの同級生だという女子生徒を自宅に呼び寄せ、晃一は母に真顔でこう説明した。
「こちらは今井さんと本間さん、同じクラスなんだけど、実はね、卒業後のこと話しあってたら、ぼくの考えに共感してくれて、もし、あまり遠くない田舎に行くのならどちらかが交替で、いろいろ面倒みてくれるっていうんだ。泊まりがけでもかまわなって。なんかぼくうれしくなっちゃって、それって告白の一種なのかなって、でもふたりから同時、いや共同ってどうかなと思って、かあさん的にはどうなの」
母は薮から棒の息子の言葉に一瞬、我を忘れた顔つきになったが、普段より知る晃一の言動にしては、その無謀さに異質のものを感じとり、きつく結んだくちもとのまま珍妙な意見を求めた本人に向けるべき目線を、より強くふたりの女子生徒に投げかけた。
すると思惑は見事に適中し、ふたりは一気にしおれる草花のように目をあわせることを怯えてうつむいてしまったのである。それからゆっくりと息子の顔色をうかがってみれば、そこには軽くひきつりながらも敗北を認めようとはしない、高慢な薄笑いが塗りこまれているのであった。