まんだら第二篇〜月と少年18


街灯のわびしさがこれほど夜を演出している光景を今まで見たことがない、、、ましてや五月雨に向かおうとする時節を気に留めず、知らぬ間に飛び越えてしまった薄ら寒いこおろぎの音を潜ませる青草が、こんなにもぼんやりと火照っている様子を、、、
このまちに来てひと月あまり経ったころ、宵のなかに見つけたちいさな灯りと虫の音の競演に思わず耳を澄ませてしまったのが、つい最近のようにも思われる。
三好から、数少なくなったけれども、まだ銭湯が残っていると聞かせれた晃一は、興趣つのるまま歩いてみたところで湯冷めにはそう遠くないであろう、ひなびた浴槽と番台の位置も曖昧な造りを自由に思い浮かべ、夕食後さっそく独りそぞろと宵闇が隅々にまでゆきわたる夜道をめぐって行ったのだった。
男女の出入り口が分けられて、しかし互いの湯船の底を海流しているのは、そんな隔てを太古の彼方に見失ってしまった感情であると云う、ぬくもりを信じようとするロマネスクであるべきなのか、あるいは混浴が想起させる過ぎ去った母性にあったのかは、あくまで湯けむりのむこうに隠された陰部のように、決してあらわにされることはない。

記憶の在りかをどこに求めようとするのだろ、その夜のことを想いかえそうとする矢先、ちょうど蒼天がしめした湿気のなさが夜空へと、ときの橋を渡って過ぎるよう出来ることなら爽快に清らかに、こころの裡へと安置してしまって、意地らしいくらいあの銭湯へと向かった晩の情景が描かれるのだった。
夕暮れの陽をいっぱい吸いこみながら反映する川面の惜別が、一途な流れに身をまかせていることを躊躇わないように。

不確かな意識に明滅するのは、カウンター越しから客の煙草へと点される瞬きにも似て、素早い着火の陰に消えてしまう宿命でしかない。
晃一と麻菜とのおそらく冗長な会話のそのほとんどは、一見やわらかに見える木の実と同じで、実際には殻は固く、しかもむき終わるまで要した時間の割には中身がこじんまりした、云わば賞味それ自体よりもそこへ至る道程をたしなんでいる趣きにひたりながら味わっていたのであった。
来るべき肉感が、予想を裏切らないこととぼんやりした語感のなせるままに、深く沈める赤光は暁に違いないと乞い願う声が言葉にならないままに、、、
酩酊した晃一の目に映るのは、一面が落陽に染めあがっているこのまちの港と、潮風に濡れた今にも溶けおちそうな麻菜のまなこだった。

どうやって店の外へ出たのか、どれほど時間が経過したのか、思考回路のぜんまいが急回転してしまって伸びきった晃一の感覚には推しはかることは不可能であった。
とぎれとぎれに、古い映像が乱れるように、自分のすがたをあらぬ方向から見つめている奇妙な錯視がまずよみがえり、それもほんの束の間、次には映写された一齣のうちに道ばたへしゃがみこんでいる麻菜とそばから心配そうな顔つきで覗きこんでいる好子に森田の影が横ぎり、街灯や酒場の看板に照らされているわけでもない、強いて言うならば月明かりがこの路地の片隅にまで届けられたと形容すべき、危うさと気高さが滲みだすまさしく白雲がひかりを吐き出しその代わりに月光を呑みこんだに相違ない阻まれた冷たいほむらが放つ、限りない優しさに包まれながらどっと地べたに手をついてへどを吐きだしているその顔をよくよく見れば、誰でもないそれはの苦渋と恍惚が交じりあった己の表情ではないか。
夜風に乗ったのはこのからだ、、、冬支度の窓のそとに舞う、取り残された枯れ葉の予感は一気に若葉を襲って、人生のかけらしか噛みしめていない無念を想像させる。
夜更けに運ばれてくる秘めやかなピアノの練習曲のはかなさを、、、明星を待つことなく狂喜を唱えるうぐいすのわびしさを、、、
如何なる理由で、、、無意味な空想が、いや不気味な追憶が選びだされ未だ成人に達してないこの身を緊縛するのか、、、それとも昏睡のがわから見つめる世界において、悪夢を打ち払うために恐怖から逃れたい一心によりこんな不鮮明な、だが強烈無比な断片を切りとるのだろうか。
夢のなかから現実に瞬く閃光のすべてが、やはり夢であることをもう一度知るように。

たったひとつ、疑えないのは他でもない、その夜、晃一の童貞が捨てられたと云う事実であった