まんだら第一篇〜記憶の町へ6


ほの暗い眼をした見知らぬ男がすれ違い様に何とも薄気味悪い笑みを浮かべる。
空気感染と云えよう暗鬱な余波だけを残して遠ざかってしまうその男の行き先を富江は何故か知っていて、それが恐ろしく矛盾した思惑であることも、はかない定めだと了解しつつ男のたどる軌跡に一抹の望みを委ねた。どうして死神の来訪を許諾しかねないそんな直感がよぎるかと云えば、それが夕陽のもと、地面のうちからしみ出してくる自分の影法師であることを確認する、黄昏の哀歌であり、すぐそこに迫り来る宵闇にとけ込み飲まれこんでしまう一日の過ぎ行きへの挽歌であると感じていたからである。
青葉の茂りが夜のなかでひっそりと眠りにつくように、溌剌とした若い情動もやはり小さな死を迎える、それは生育や未来への躍動であるが故の陰画として、すべての思念を暗幕で覆う。この年頃には誰もがそんな気分を覚えるはず、夏草の吐息や笹ずれの声色にも、悠然とひろがりを見せている入道雲の刻一刻のためらいにも、さざ波の去来に永遠を見つけ出そうとする歓びのうちにも、必ず行き先が存在すると云う確信をもって。
富江は突然の事故に見舞われしまった我が身を予期出来なかったが、川中にあって誰ひとりその不運の様子を見つけ出すことがないままに時が過ぎ、辺りが薄暗くなりかけた頃ようやく意識をおぼろげながら取り戻しながら、明瞭な思考を働かせる前に、くだんの笑み、夜の番人から折り目正しい挨拶をうけた、それはひとがたを借りた目配せのようなわずかな符号だったが、真摯な解答に違いなかった。ちょうど自らのなかに潜む生命力を、浮き出た毛細血管へとふと見つめ直すことで再認識するように。
わたしの血は赤い、、、朦朧とするあたまの上で、その赤い血潮が大きく輪のようになって飛び散る映像が花開いたのは、幽明にさまよながらもようよう陰りの森から、民家の灯りをその先に認めた時の距離感がしっかり計りとれない安心と同じで、今、現実に港の上空へと打ち上げられた花火の爆音は耳元へ届かなかったにしろ、半目開きのその視線はまぎれもなく、夜空に炸裂した大輪の一瞬を見逃してはいなかったのである。そして間を置きつつ空高くつき上がって行く火焔の種子がひとつ、またひとつと赤く青く開花していくのをぼんやり見つめていた。
すると遠くのいつもとは違った華やいだざわめきは、川の流れにひたされている本来ならば身に直結する恐怖の感覚を、何処かへ浮遊してゆく童心に帰そうとして、いっそう霧のかかった隔たりを生み出し、それはあたかも黒雲に隠されてしまった月の光のように薄明るい世界の調べとなって、天空から降りそそいでくるのだった。
そして水面のかすかな意識は、生と死の分水嶺へと流れ落ちるそうになる清濁のさきをことさら呻吟するまでもなく無心のまま受け入れようと、やわらかなその光のもとへ、からだから亡魂をさまよい出させたのである。
富江はまるで気流の目のようになって、河口を下り潮風と硝煙がまじりあう港まで流れついた、、、、、、、

、、、、、夜の海に鳴り響く爆音はいたるところで反響しあっている。
天上に放射状にひろがる色彩が弾きだす大きなこだまは、今宵ここにつどった人々の裡に様々な残響をもたらし、その余韻にひたる間もなく、新たに鮮明な印象を残していった。黒い海面は波間を自在に固定したかの意思をはらみ、ほとばしる火片の残像を消しさることを忘れて、次から次へと打ち鳴らされる梵鐘にたましいを吹き込まれ、月のみちひきから解き放たれたように変化するのである。それは漆黒の絨毯が数えきれないほどの燭台を反射している、きらびやかな錯覚に似ていた。
そんな一年に一度の奇跡、天海の競演は、陸地との境界線をきわめてあいまいなものにしてしまうと、大きく了解したようで、もう些事にはいっさい関知することなく、夜空の変幻を人々へ気ままにまき散らかし、あとは幽冥界からの声なき声に耳を傾けるのだった。
富江は予期せぬ、まれびととなって境界線をすり抜けていった。自身の姿が幻灯機であることに喜びを見いだしたのか、不運は転じて今はすべてが成就したかと夢みられた。