まんだら 第一篇〜記憶の町へ4 S課長は社内のデスク上などいつも整然とこぎれいにされていて、今も右手の押し入れの棚に重ねてある横長のビニールの入れ物にはマジックで番号が書かれている。 一通りぐるりと部屋を拝見した久道は、何の邪気もなく思うままに質問を発していた。「あのう、部屋はここだけじゃないですよね、流しもトイレも奥にあるんですか」 手作業に一段落したと云った面持ちで泰然と身をこちらに向けた課長は言った。「この一室だけさ、狭いだろうが満足はしてるよ」 目を細め勝ちにしてそう答える表情は、どこか醒めたものを醸し出していた。半身をひねるようにして久道の方を見ているS課長の足下をよく見ると布団の縁を踏まないように、自分の寝起きする夜具だから気ままに扱ってもよさそうなものなのだが、頑に何かの領域を侵すことないと云った律儀さで、この圧迫感さえ受ける小部屋を労っているかに思える。そして、久道は次の瞬間に意識と場面がほとんど同時に強烈に転換していった。 自分の足は平気で課長の布団のしかも真ん中あたりを踏みしめている、もっとも靴脱ぎ場以外は課長が領域の侵犯を自らに律しているから、久道には文字通り足の踏み場がない。だが、この上司は別段に注意を促す小言を吐くわけでもなかった、いつもの仕事上での叱責度から鑑みれば奇異の念にとらわれる。 又もや瞬時であった、S課長と自分との会社内においての距離感や価値観が、こんな夢の中まで来て、しかももう相当以前に関わりのなくなった過去の人物を、誕生日という意味あり気な導入部から断片図をかいま見せようと登場させている、、、夢の国にはロジックは存在しない、、、それは間違っている、ロジックは隠されているようで、実は再構築されるのを待ち望んでいるのである、しかも秘められたロジックはいずれ規範を提示することで、安寧秩序を保持しようと努める私たちを実に鮮やかなお手並みで欺く。 それは仕方がない、悠長に徴など欲する間もなく夢は今夜も明晩もやってくる、、、まさしく一瞬の裡に言葉と感情は圧縮され、次なる舞台に放り出す。 久道は自宅らしい居間のテレビの前に座り込んでいる、ブラウン管の映し出されているのは、さっきまでのS課長のあの小さな室内だった。向こう側から彼は話しかけてくる「これからの営業マンはね、マニュアル通り一遍じゃ駄目なんだよ、駄目なんだよ、、、」 それから先の展開を久道はよく思い出せなかった、いや、思い出したくないのかも知れなかった。いずれにせよ、夢の役割はそこまでで完結しなければならない、何故なら私たちは夢想に引き回されるほどお人よしではないからである。映画に感動し心酔してしまうこともあるだろうが、日々の連鎖は鉄製で作られている、宙に浮いた夢見は錆つく前に地上の引き戻さなくてはならない。 これから死ぬまで、いったいどれくらいの数を夢見るのだろう、世にあふれる出版物と同様、読まれればそこで一応の役割は果たされる。もっとも奇跡的な書物は例外だが、、、 久道は分析心理学から援用する、あの秘匿させた部分に意味を過剰に見いだす手法をまっこうから否定した。失われた大陸を失われた記憶を頼りに探査しようが、それはスポイルでしかなくはなから暗中模索に等しい、ならば夢見のうちでも鮮明に脳裏へ火花が散るような激烈な意識を徹底解明するほうが、確実に手応えを感じうるに違いあるまい。 超常現象と云うつかみどころのない光景を捕獲する為に、深層心理への探求など無意味である、折角むこうからメーセージを送ってくれているではないか、受信装置は我である、感度のよい電波だけを徹底受信すればいいのだ。 |
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