まんだら 第一篇〜記憶の町へ3 久道の乗った車は直線したまま、国道に出ると一気にスピードを上げながら南下し、握るハンドルの感触もオートマテックに思われる、と意識した途端に昨晩の夢見を追憶し始めた。 現在の家業である硝子工房を引き継ぐまで、久道は東京で大手保険会社の営業の職についていた。その時の上司であったS課長が数年ぶりに彼の夢枕に鎮座したのである。 、、、比較的に要領を得た、密室劇みたいな内容だった、、、S課長から電話があり、今日は休日なのに何の用事だろうかと耳をそばだてていると、いつになく力のない声で「あ、遠藤か、、、実は今日なあ、俺の誕生日なんだけど、、、」と言うなりしばらく黙り込んでしまった。 久道は直感的に、これは自分を誕生会に招待しようとしているのか、しかし、恋人や異性ならともかく上司が部下に誘いかけるのは、何とも薄ら寒い気さえして、しかし何故言ったのかよくわからないが「そうですか、実は僕も明日が誕生日なんです、、、」そう言葉をもらしてしまってから、これは失策だと悟ると「でも昨日から熱が出て寝込んでるんです、風邪ひいたみたいで」ととってつけた嘘を話した。 相手の落胆する表情が無言の受話器の向うから伝わってくる。すると課長が妙な事を言い出した。「でな、今ひとりでフグを食べてるんだけど、これどこかに毒があるんだよな」 そこまで聞いた瞬間、久道はどこをどうやってその場に吸い込まれたのか、S課長の部屋らしきところに立っていた。見ると休日らしくくつろいだ上下ジャージ姿の課長が小さなちゃぶ台を前にして座っている。 「このフグなあ、ここのところはむしったほうがいいんだっけ」と言いながら手にしているのは、何とフグのみりん干しで、まわりのとげとげした箇所を裂こうとしていた。呆気にとられながらよく目をこらすと、皿に盛られたその干物の両脇には梨が一個ずつ並べられていた。 夢は飛翔する、、、どんな奇想天外な物語よりも俊足に、大胆に、鮮烈な空間を生み出し展開させる。そして映画のサウンドトラックのように、ある種の音楽が静かに伴奏されている。主題が視覚で構成されるのが夢の宿命なのは、わざわざ学説を持ち出すまでもなく、私たちが一番痛感しているはずだ。続いて聴覚が体感が夢空間で体験で出来る、嗅覚や食感は極めて低い確率でしか表現されない、いつか見た夢の中で食べたカレーライスはがまったく異質の味をしていた。 ある種の音楽と呼んだのは、それが旋律をもった曲調で奏でられるのではなく、ちょうどライヒやグラスの反復音を想起させる短いフレーズが鳴り響いているにすぎないのだが、何故か決まって深い哀調を含んでいる。感動のあまりに涙するほど劇的でもなく、紋切り型の切な気な感興を付与されるわけでもない、あえて例えるならば、燦々と照りつける陽射しのまばゆさのさなかに蜃気楼の出現を願う、夢の中で夢を希求するはかなさとしての音像。 気をつけて耳を澄ましてみるとよい、だいじょうぶ夢の世界でも多少は意志を抱けるし、時にはストーリも変えられることだって可能だ。 ミュージカルは別格として映画のシークエンスは映像によって書かれている、繰り返すが夢も同じように視覚そのものが銀幕となる、サイレントがトーキーへと進化していくのは必然であった。脳細胞が作り上げる抽象的説話を文明は模倣したにすぎないとも言えよう。 S課長の手元からはフグがなくなって、足下からはちゃぶ台も梨も消え去っていた。久道は万年床と呼んでさしつかえのない、布団の上に佇んでいる。見れば課長はせわし気に布団の縁で何やら片付けをしている様子、電話口のあの弱々しい雰囲気はそこにはなく、いかにもてきぱきと律儀そうな立ち振る舞いは日頃の仕事ぶりを見ているようだった。 |
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