まんだら 第一篇〜記憶の町へ26 同郷であること、確率的に考えてもこの特急に居あわせる乗客の比率は高いはずだった、この車両のなかには他にもまだ幾人かは乗りこんでいるかも知れない。もっとも孝博は町外れの山村で生まれ育ち、高校からは東京で過ごした為にあまり顔なじみはいないのだったが。 もう四十も半ばに手が届いた今となっては、子供の時分の同窓と出くわしても果たして面影を残しているのやら、、、最初とはうってかわって清楚な少女に見えた富恵は随分と快活な気性を呼びもどしたのだろう、それにしても始めて会った孝博に対してここまで親和で接してくれるとは思いもよらず、さきほどまでの文学談義を中断して彼女の専門である服飾にまつわる話題へと変えた結果がよかったのか、すっかり相づちをうつ側にまわってしまい、対する富江は酒に酔ったと思わせる饒舌に転じているのだった。 時折言葉を差しいれる為に彼女の方を向いた瞬間、列車は吸い込まれる勢いでトンネルへとのまれてゆく、まぶたの裏に偲んだうるわしの幻影に透ける実相は、あられもない生徒との恋路を連想させ、なおかつ今度は郷里における煩瑣な問題に収斂する、、、すると富江の相貌の先にあらわれたのは車窓を背景した暗幕が連なり流れゆく光景であり、車両に運ばれることで外の風景とは次元を違えるところに、陰影深い面持ちでこちらを見返している己のすがたを認めた。 昼下がりのぎらついた陽光が瞬時にして暗黒に遮断される、そのたびに孝博はもうひとりの自分に見つめられた。 ふたたび光線がまばゆく照りつけ山間に集落が遠景として見いだされると、否応なしに生まれ育った村を想起してしまい、次には過去のすがたが脳裏をめぐり、時の流れに去っていった様々な出来事がよみがえってくる。 しかし、一方では実際の時間の経過そのものが、列車の走行そのものが、どんどんと難題にめがけて突き進んでいくようでもあり、やはり今日はだいぶ神経がすり減ってしまっていると言い聞かせないわけにはいかなかった。 結局、現実の課題はまやかしで解決されるものではない、しばしの休息をあたえてくれることはあっても、、、孝博は研究分野である宗教学からわずかでもヒントが隠されていないか、あたまをひねったのだったが、とどのつまりは祈りと云う、非論理的なパッションに収められてしまう。祈りで地平が開けるのであれば、それはたやすいことではないか、しかし、宗教の根源にある畏怖される対象への加持祈祷のたぐいは古今東西あまたに見受けられ、さらには呪術と化して霊験をしらしめた異相さえ、まことしやかに伝聞されてゆく。 たとえそれが催眠効果やマインドコントロールであったとしても、一種の啓発であることに違いはなく、もしそれで情況が少しでも変るのであれば、ひとは進んでその方法を選びとるだろう、たやすい道だろうがいばらの道だろうが、、、 それにしてもなぜ息子がああまでかたくなに都会生活を毛嫌いし、どう解釈してみても逃避的願望としかとらえられない主張を正当化しようと、少年らしさを消し去ったかの冷静な態度で「おとうさん、ぼくはずっと前から東京から出ていきたいと思っていたんだ、でもせめて高校を卒業するまでと言い聞かせたのは、そのあいだ心変わりするのかどうか自分で試してみてたような気がする」などともらしたのだろうか。 それはこれから進学先について具体的な話題に転じたこの春先、家内も交えた夕食のテーブル上へ不意にもよおされた嘔吐のごとく散らばった。 瞬時に息子の言葉を理解できなかった家内は、ちょうど唐揚げをひとつ口に含んだところだったこともあり、まさに咀嚼するには間にあわないと云った面持ちになり、まだ半分以上、笑みを張りつけたまま時間が過ぎゆくのを待っているしかない様子で、しかし、わずかにぶれ動いた眼球はこれからの不穏の色をあらわにさせる前に孝博の方へと救いを求めたようでもあった。 この場に沈黙が訪れるのを危惧した彼は、いち早く父親としての威厳を整えるようと焦る、そうして動揺を飲みこむ案配で、だが物腰はいたって鷹揚に茶をすする仕草を途中まで演じてから、こう息子にこう尋ねた。 「それで、おまえ、何をしたいというんだい」 目線は少しばかりそらされ、うしろのカーテンの隙間に流される、語気には強さも激しさもなかった。すべての感情がかすかに震えるのをこらえようとする姑息な意思を、夕暮れは窓の外から覗きかえしていたのだった。 |
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