まんだら 第一篇〜記憶の町へ19 久道は遠慮勝ちな態度が現すままの挙動で夢の演劇の筋書きに従った。そして悪夢の途中で、もうひとりの意思が語り聞かせている入れ子の情況もそれとなく察知することが出来た、あの、お決まりの言葉になっていないが確信に近い、「これは夢なんだ」と云うナレーションを。 女はまだ若そうだった、少なくとも久道よりも年下に映った、そう覚えるのが何かの符牒となって、あるいは己の所感がまだ交えぬ肉体をはさんで、これからはじまる尋常ではない性戯をまえに、克己心を奮い立たせて欲情を放擲するのとはまるで正反対に進んでいく為にも、せめて肉欲にまつわる栄養素を抽出しようと、果実の皮に指先を入れる感触で味覚を先取りし、焼きあがろうと火がなかほどまで通った牛肉がしたたりおとす肉汁を食前酒に見立てて、恐怖を快楽に、不安を充足に、そして絶望を欲望に転化させようとした。 しとねにそそがれる家族らの視線はきわめて沈着であった、まるですがたかたちを消し去る思いで、これから実行に移される重要な実験に立ち会ったものだけが味わう苦悩をかみ殺しているかのように。 もうひとりの意思は、もはや霧散したのか、それとも久道のなかにあらたに入れ子として消化されたのか、今あるのは夢見にあっても戦慄にはなにぶんかわりはなく、半身を起こし寝間着を脱ぎだした女のやはり裸のうえにみみずにように這っている墨書きが、首筋から肩を流れ、腕を伝って落ちていき、一方では乳房の豊満な起伏をなぞりながらへそのしたまで続いていく途切れのない執念の筆使いを思い知るのだった。 下着はつけてない、いよいよ経文と不可分であらわになった肉体が久道の眼前へと顕現すると、女はふたたび横になり両の脚をゆっくりとひろげ腰を少し浮かせて、尻を割り陰ったところをおしげもなく披露させた。 久道はまぶたを閉じたつもりだったが、迫りくる情欲がむこうからやってこなくて実際には自分の身が、押しかぶさる勢いで女体に突進していることを自覚したならば、その目は十分に開かれていたに違いない。 一瞬、おんなのからだの経文が生きているように、水の流れのように、動いてみえたのだったが、久道はならば動きを封じる呈で二本のふとももの裏に手をかけ持ち上げ、腹にひっつくほど開脚してうえから押さえこむ具合で固定し、まだ閉じた貝のままの盛りあがった土手のような、性器をまじまじと見下ろしたしたのである。すると、おんなは肉塊に宿る心性はこちらにあるのだと言いたげな面で久道の目線をそらそうと、じっと相手の瞳のなかをのぞきこみながらそれまでの表情を一変させるのだった。 坂道を転がっていくかに思えた久道の肉欲は、止まることを知らない眼球となって食い入るごとく女陰の裂け目に落ちていく宿命だったのだが、おんなが示した薄笑いのうちに露見したくちもとの奇異な、そのお歯黒で塗りこまれた歯並びと対面するに及んで、これで紋切り型の宿命ではなくなると激しい情がこみあがってくるのを覚え、すると坂道は一気に勾配が急となり己のたどる道筋さえ失い、まるで瀑布に飲みこまれる小舟のように無抵抗なまま巨大な暗渠に落ちてゆくのだった。 それでもせめてのものと悪魔にくちづけをする高慢な小胆は、意識が消えかかる矢先にまるく膨らんだかのこんもり茂った黒草のしたにくちびるをぬめらすようにして押しあてる、、、、、、 、、、、、、わずかに潮の香りが、海藻が、野の雑草と同じように草いきれを放って夏の日を謳歌しつつ朽ち果てることを承諾しているかの香りが、つつしみ深く久道の口中にひろがる。 意識がそこのあることを知りつつ、なお、からだはここにあらず、ちょうど撮影される全景をその場以外のところで見据えているような、しかし、まったくの非在を認めるには心許ない浮遊感に似た覚醒であった。そして気構えする猶予は省かれ、久道にやってきたのは遂に探しあてた現場への胸騒ぎであり、宝くじが当たったことを一度は否定してみる当惑が、日常の実感と何も違わずにわきあがったのである。 「やっとたどり着いた」そう、ささやきが胸のなかを吹き抜けてゆくと、再びあらたな意思が夜風とともに舞い込んだのか極めて冷然としたまなざしで、川面に半身を沈めたあの浴衣姿を見いだしたのであった。久道も同様に夜の川に身をひたしているかと云えば、それはそうであるとも、そうでないとも云える、なぜなら久道の目はカメラのように遠景から近景へと自由に行き来し、少女の顔をとらえることも、あたりを時折はねては水のなかに潜るボラの遊泳もありありと目撃でき、中空にかかった妖しい月光を受けながら身もこころも溶けだして、もはや己であることが奇蹟に感じれるほどに夢は美しかったからだった。 |
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