まんだら 第一篇〜記憶の町へ18


今にも通り雨が落ちてきそうな曇り空の下、山腹にまばらと立つ民家のなかでもひときわ目につく、一軒の黒塗りの門構えを前にして、封書のようなものをその屋敷に届けなければと、配達人の風情でありながらもどこか逡巡している自分を意識していた。
しばらくすると風格さえある佇まいから不意に現れた、そのいかにも普段着のような夏の軽装の、しかも一世代以上前を思わせる、そう、幼いまま一緒に収まっていた若き母との写真のうちから薫る面影に、なぜかしら恥じらいからまった驚きが生じた理由は、それもまた記憶の彼方に仕舞ったテレビドラマの一場面から焼きつけられたあの何気ないであろう感懐、家政婦かと見れば本家の若奥様そのひとであったと云う、小さな喜びが不安を求めたからであった。小池の面に照る陽を木陰から見つめるまなざしと同じように。
夢見の残像が光鮮やかな風景にもかかわらず、絶えずして薄明の印象で想起されるのはきっとそんな帳の陰からまばゆい時間をえがいているからだろう、断片図に割りふられた光として、、、
そして均衡を保つがためなのか、若奥様の立つ右うえに見える表札の野太い文字は、墨汁をたった今しみこませたくらい黒々としていて、はっきり「藤堂」と読めた。夢の世界では必ず文字は化けてでる、だが今日は違ったみたいだった。
手渡した封書の中身を確認出来るわけでもないのに、それが賞状であると感じとったのと雨が降り出してきたのが同時で、奥様は礼を言って家のなかへときびすを返してしまって、置いていかれたと云った心証を若干もってはみたけれど、拍子抜けするには感情のたかまりは強風にあおられてはない、それから傘を持ってこなかったとまどいより、そのあとどこに向かえばよかったのか考えながら、もと来た道を戻るでもなくその少し先にある家の方へ歩いてゆくと自分のことを知っているのだろうか、さながら一家総出の人々が手招きしている。
親子にじじばば、こどもらが迎えいれた家は妙に門口のせまい奥行きのある、このまま歩けば裏に出てしまいそうなくらい細長い造りをしていた。案の定、家屋を突き抜けてしまうと裏山に面する小高くなった畑からで、ランニングシャツ姿の野良仕事をしている男が何かと話しかけてくるのだった。
聞くところによると、隣の屋敷には主夫婦はとうに鬼籍に入り、あととりも去年に亡くなって後家となったくだんの若奥様がひとりとのこと、なるほど、それで自分はこころのなかに蜘蛛の巣がはったような緊張と、それとは逆に湖畔の静けさをもつ余裕のある興趣が交じりあっていたのかも知れない、それはにわか雨のさなかに辺りが日向くさくなると云うたとえにも似て、しかしそれ以上は思いを深めるのでもなく、ただ本当に雨が降ってきた事実をありがたく感じるだけであった。
こころのなかにも雨が降る、、、夢の意想は底抜けに限りないまま闇夜に抱かれ、うらはらに蒼穹へとのびあがる放恣な情念は飛行機雲のようにまっすぐに高速で駆け抜けてゆくのだが、次第にかたちを成す積乱雲を、まして大地で展開される入れ子状の活劇と心理劇のただなかにあっては、見届ける猶予などあるはずもなく、やがて落ちてくる驟雨にただうたれるままでしかない。もっともその舞台は他でもない、夢の国以外どこでもないのだが。
遠藤久道は気がつくと随分早送りされた映像の如くえらく厳粛なシークエンスに置かれていた。裏の畑が窓を通してうかがえる六畳間ほどの部屋に病臥しているのか、布団敷きの女をかこんで見守る家族らの顔、顔、顔、、、
目のまえで何が起ころうとしているのか察しがつかないうちに、久道は家のものからこの女を抱いてやってくれと、まるで宣託を戴いたかの神聖な響きを耳にして、はじめてこの夢のなかで動揺をあらわにしたようにも思われた。
有無を言わさぬ雰囲気にあって、ためらい気味に女の表情を見ていると目は宙に泳いだまま帰着する様子をなさず、さらに冷や水を浴びせられたよう身を引いてしまったのは、掛け布団をはいだ寝間着の胸元からのぞいた、恐らく全身に施されていることを疑いきれない、筆書きされた経文らしきその異様さにあった。