まんだら 第一篇〜記憶の町へ20 陽光がまぶたのうらに赤く染みこんだかの記憶は茫洋としたままに、しかし追想される、きれぎれなひとこまのなかに於いてひび割れのように引かれた、あるいは二枚貝がわずかに海水をあらためて含みいれる様相で、富江は薄目をかすかに開き月あかりの有為転変を眼睛に知らしめたのだった。 「まだわたし、生きている」と水温に体熱をうばわれ、風船のようにからだから浮遊した意識のなかに点滅はじめたのは嬰児のちいさな鼓動にも似た、いのちの実質に違いなかったと富江は思った。 町中の河口と云うこともあり淡水と海水、それに生活排水が入り混じったものを多少飲みこんでしまい、胃洗浄やら感染症の検査やらを含め、消耗した体力から微熱が遠のいていくまでまる三日間入院したあと、平癒を待って自宅保養に落ちついたのだったが、みなぎる若さを包みこむ身にしてみれば、ほとんど回復した状態であって、ただ精神的な動揺が尾びれをひいており、それは水のなかに未だひたされ、ただよう気分を振りはらわれない、まとわりつく悪夢の残響から逃れられない過去形として富江のこころに巣くっていた。 交通事故や感冒が、べつだん悪形をもって我が身に降りかかってくるとは信じていないように、河口への転落もふとした失態以上のなにものでもない、ところが家族やまわりは親身に九死に一生だったと口を揃えるふうに富江の胸中を忖度しながらも、その実不幸な事件であったことを執拗にくり返し唱えているようで、それは憂慮の裡にひそむ、話柄をこと欠くことに失意をおぼえる、あの軽やかな逃げ足をもつ薄っぺらい悪意にも思えるのだった。と云うのも、友人知人のなかには心配顔はそのままで、そのくせ「ほんと、かっこわるいわね、しかもよりにもよってまつりの日に」などとあからさまに、富江をまるで非難しながら失笑しているかの言い様をしめしたり、「先輩がさ、東京で雑誌記者になって今度記事を書かせてもらえるらしいから、試しにどうかな」と云った嘲弄を含んだものまで、聞き流してしまうわけにはいかない波紋も生じて、そんな嫌味な反応と対峙しなければならなかった。 実際にも地元新聞の片隅であったが掲載されたこともあり、富江の心中は錯綜とした森のなかに迷いこんでしまったのである。 元来ものおじしない性格だったけれど、今回のことで本来ならば過失と云うべき事故がなにか異色の出来事みたいに語られてゆき、自身はその辺で転んだとき同様ばつの悪さこそ覚えるものの、皆が大げさに騒ぎたてるほどのことではないと確信していたのだったが、まるで子供じみたいじめに近い無邪気でありながらも、本質的には邪気に尖った刃を向けられているようで、それは富江本人が中学のころ、弱いものいじめと呼んでもよいふるまいのあげく今度は上級生から、呼び出しを受け取り囲まれた折の恐怖心があわせ鏡になって脳裏にわだかまり、後悔の念と侮蔑の感情がひとを介して往還している、なんとも居たたまれない心持ちになってしまい、終いには懺悔の海に飛びこんでしまいたくなってそんな自分をよくよく顧みたときには、やはり転落したのも一種の天罰かなどと柄にもなく落ちこんでしまうのであった。 そうなると最初は血相を変えて病室で富江を見守っていた両親や姉の、今はいかにもほとぼりが冷めた安心のうちから発せられている他愛もない言葉と口調に、どこか自分を叱責している響きが感じられ息苦しくなってきた。 そして寝つけない夜のまくらもとからは、耳をすますと幽かに川の流れが聞こえだし、天井に張りついたかの豆電球の赤みをおびた黄色いあかりが、あの川中より見上げた月のすがたを想起させ、闇は部屋に忍びより黒い生き物と化して呼気をもらしはじめるのだった。 静かに沈んでゆく眠りにおちてゆくころには、すでに富江はゆめとうつつの境にあってあいまいな知覚と想念が溶けだすと、一定のすがたかたちをとりつつも次の瞬間には時間も停止し、それはあたかも樹氷のごとく細やかで、つかみとろうとした途端にもろく消えさってしまう、はかない光景の明滅となって夜露にぬれるのであった。 そして気がついてみれば、そこは記憶の墓所なのだろうか、頭上を旋回するカラスの群れに誘われて天に舞い、更なる浮標へと導かれたとき、川のなかに落下したその後の失われた意識がおぼろげながらもよみがえってきたのである。 |
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