青い影4


峠の長いトンネルを抜けると国道はゆるやかに傾斜し、しばらくして今度はらせん階段をすべりゆくような体感を覚える。そしてどこまでも続いていくかのような海岸線に沿って梅男の車は駆け抜けて行った。
連絡で知り得た、和風だが現代的に瀟酒な機能美で建造された旅館に到着したのは、どこか静まりかえり落ち着いた空模様の昼下がりであった。受付で面会を伝えるとややあって、長髪にあご髭の見るからに神経質そうな中年の男性が玄関広間横の階段を、それこそ演技するように意味ありげな足取りでこちらに向かって降りて来る。
梅男はすぐに彼が性也から紹介された監督であると直感し会釈をする。相手も同じくそれなりの素振りを示し、口を開いた。
「やあ、あなたが大橋君からの」梅男は思わず息せく勢いで「はい、紹介いただいた森田です。よろしくお願いします」自分でも明瞭な発音だと感心する口調で、もう一度頭を下げる。
歳の頃50半ばに見えるその監督は名前を影山実行という。元々が写真家で生業を立てていたのだが、10年ほど前から映像作家として数々の作品を手がけてきた。その大半がアダルトものを占めるものの、AV監督であるという意識は優先しておらず、あくまで独自の美学に裏打ちされた映像を追求してきたのであった。量産され消費を甘受する傾向に逆らうかのように一作品を丁寧に仕上げていくその器量は、斯界では異彩とカルト的な支持を受けており、当然、制作費の限界を越えて支出が上回ることも多々あるが、仕上がったその映像美と奇想天外な発想による演出は、性交場面を中心とした元来の凡百のスタイルから大きく差異を示し、娯楽性を排斥した非商業的な作風でありながらも、優れた官能の芸術となって見るものをして深い感銘と印象を焼き付けるのであった。

「わたしはね、常道から逸脱するスピードの持つ悲劇のカタルシスというものを追い続けてるんだよ。それはハプニングであり、エロスのもつ消費性に対する哀感なんだ。湿っぽいのはいけない、渇きすぎてもだめなんだ、風化しない墓石のような静かな哀しみさ。いやいや、墓の前に佇む人の気持ちなんかじゃない、墓そのものなんだよ。これはひとつの境地といえるね。だからこそ、そこに到るプロセスを描きたいと思っている」
梅男は、広間のソファに腰をおろし影山監督から映像にまつわるうんちくや理念を延々と聞かされながら、肝心の採用に関する回答を得ていない事に段々と焦燥を覚えていったのだが、ややあって一通り講釈を語り終えたという風に軽やかな笑みを浮かべると影山は「君、今回の撮影はね、男優はもう他に決まってしまったんです、ああ、肩を落とさんでいい、脇役と言えば聞こえが悪いかも知れんが、どうですか、その配役での出演は。森田君でしたね、あなた実にいい眼をしている。賭博者のような耽溺精神が覗くが、野うさぎのもつ警戒心も兼ね備えてる」

境界はひとまたぎした、結果としてみれば幻惑の彼方には到達出来なかったが、それは他方が下した判断であって、自分自身は心の中で何かを越えて出たのだ、そして対座にあるこの影山という監督は、船出の水先案内人である、なすがままに賭けてみよう。それほど大した博打でもなさそうだが。
梅男はその意向に了承したと告げると、にこやかに頷く影山からこれからの仕事の役割と詳細を聞かされた。
役回りの都合上、元来の主義として全体のストーリー、いわゆる脚本に目を通す必要はいらない、登場場面は一回だけであり脇役そのものだということ。演ずるところは料亭旅館の料理人であり焼き方を担当する人物である。この旅館の一室を撮影場にして、ある上流社会の婦人がふとしたことで知り合った年下の宣教師の男と逢瀬の為、ひと足先に部屋待ちしながら夕食をとり、その際に膳だしされた川魚の焼き物に舌鼓を打ち、対応した仲居に是非ともこの調理の担当者に挨拶程度でよいから面会できないものかと持ちかける。それが生来の社交性の発露なのか気まぐれなのかはそこでは問われない。
梅男扮する料理人は婦人の客室へと赴き、少しばかりのセリフのやり取りを交し、そこで女客の思わし気な姿態が漂わす色香を覚えるも、これはそののちにくりひろげられる若き宣教師との悦楽への展開の布石で、いわば交接なき前戯となり、艶然たる花弁の芳香が早くも立ちのぼる効果となる。ここでは禁欲的に仕掛けを施すことで先行きへの媚薬として機能してもらう。つまりはからみは一切なしで焼き方役は、まるで川魚の香る淫靡な気配の暗喩となるのだった。

その先の影山に言葉に梅男は驚愕した。「男優の宣教師役はね、君と同じ町の人だよ、推薦でね、花野っていう男だが、君、面識はあるかな」