断章4 夢見がもたらした残像に、奇妙なまでの郷愁がたなびいているのはいつものことだがある種、哀切なる感情が大きく内包されたままでこちら側に決して乱雑でも無謀でもなく、まるで風の便りとでも云うようにそっと運ばれてくるのは、日常と呼び習わされる中にあって見失い勝ちだけれど、やはりそれも奇跡の瞬間に違いないであろう。 日々の過ぎ去りを確認するまなざしの裏側で、我々はそういった心身のすり替わりをいつも切実に願っているではないか。 悪夢によって地底のあるいは異界からの強烈な突風に煽られるようにして、唐突でしかも不協和音に苛まれつつ覚醒を強いられる時においてさえも、やはりその未分化な情況をよく飲み込めないままに圧倒的危機状態を甘受している。と云うのも意識の黎明その刹那に恐ろしく鋭敏に判断が下され、残像からの脱出(ここでは仮にそう呼称しよう、誕生と呼ぶには大風呂敷を敷いてしまうから)を感じ取り、すでに暗黒の光景は絶対的に後方に位置し、前景が目映い突破口として脳裏を過ったとしても、目覚めへのファンファーレに胸を撫で下ろすほど単純な気分に支配されてはいない。むしろ寸秒前のあの悪夢こそ偉大なる物語なのであり、我々は自ずからそれを希求してやまないものなのである。 心底から不快なもの、恐怖をもたらすものを避けたいのならば、ホラー映画もサスペンス劇場も更には伝説にも神話にも噂話にさえ一切心開くべきではない。 「願わくば忘れ形見の生みの親をさらに痛めつける美しい物語を書きつづる力が私に授けられますように」と聖なる暗黒司祭の宿命に陶酔したジャン・ジュネのこの一節ほど説得ある言葉を私は知らない。そして、物語を解体する為に全面的に行動へと地滑りのように転身していった三島由紀夫の内部革命(もはや伝説と化した影響力が波及しているが故に神格の様相に燦然ときらめこうが、彼以外は幻惑された傍観者にすぎない。そういう意味で決して外部革命、ましてや世界の変革など及びもつかぬ。至上の恍惚者は三島本人だから)に極めて相似点を見いだす。方や逸脱する境界線を綿密になぞってみせる筆致をもって、方や境界を観念で構築する修辞をもって。 ジュネがヒトラーを分身の如く自在に操り(逆もあるだろう、すなわち降神に征服された肉塊として)三島が天皇への遠い憧憬を夢見が故に、春の雪や憂国などの作品に、そして理念としての天皇制に急進的に近づいていった焦燥、、、 この純愛残酷三部作を締めくくるモチベーションとして、私にも焦燥が必要であった。とはいえ何も刺々しい感覚が喉元に流れ降りるような、神経が逆なでされるような奇怪な妄念など動員しなくてもよい、ましてや上記の天才ふたりみたいな宿命も大義も必要でないし、はなからそのような壮大で強力な磁場など持ち合わせてもいない。ただ私が表現してみたかったのは、眠りの最中にも鼓動が絶え間ないように、呼吸がこれからも障害なく意識なく永続していくように、そうまるで飼い犬の名を呼べば何のためらいもなく私のもとに駆け寄ってくるあの無垢なる情景に似て、それは今は亡き友の想いでがこれからもずっと私の心の中から逃げ出すことがないのと一緒で、、、甘美な暗黒と呼ばれるあの摩訶不思議な領域をかいま見たい好奇にそそのかされるからである。最も知られていない場所は実はすぐそこに、足下近くに存在しているような気がしてならない、絶え間ない時間の流れと寄り添うが如くに判じてしまう物事の連鎖とそこに時折、つむじ風にように発生する断絶の予感。 物語はそんな螺旋を描く術しか持てないのであろうか。どこまで行っても単調な風景が連なる死のモノローグを好むほど酔狂でもあるまい、さあ、それならばめまいのひとつやふたつは甘んじて受けよう、今度は螺旋階段を一気に駆け上がってみるのだ。そして旋風が誘う中心点に目を凝らしてみれば、ああ、それはあの夢の中へとこちら側から正々堂々と門口を広げたことになるではないか。 |
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