断章


これは映画「貞子の休日」が公開された直後にある雑誌に掲載された、大橋性也のインタビューからの抜粋である。

―あなたはまったくの素人にも関わらず随分と思い切りのよい演技を見せてましたが、出演のきっかけを聞かせてもらえまんせか。
「ネット小説で自分の店舗がモデルとして描かれてまして、そうなるとそこの店長となると僕ってことになりますよね(笑)まあ結局フィクションですから僕ではないのですけど、貞子さんの熱意にほだされたようなものです。彼女は故郷に錦を飾りたいって意識が強かったと思いますし、従姉妹の加也子さんにも参加するよう熱心に勧誘してました。悪のヒーローみたいな存在の山下昇さんが辞退されて、後の人達にも監督さんはけっこう懇願してみたけど、ほとんどOKしないわけなんで、仕方ないなあ〜という感じで出させていただいたんですけど」
―映画化に於いてはかなり脚色されてるようですが、ああいった不条理劇には興味ありますか。
「どうなんでしょう、最近はそうでもないけど以前は酒飲んでハメ外すのが好きだったんで、どこか不可解な部分っていうか、はっきりと形に収まらない情動には共感出来ますね、この作品が話題になってるのは単にエロい描写があって過激な表現がされてるだけではないと思います。非常に醒めた視点が大きく横たわっていて、その上で過剰な物語が時間軸を打ち破るまでにはかなく展開していく、、、そして氷壁が劫火で燃え上がっているような絶景、そんな希望でも絶望でもない描き方は面白く感じます」
―大橋さんの役どころは一見とても生真面目そうだけれども、とんでもない底力を発揮する熱血漢として原作通りですが、自分で演じられた人物に対してはどのような思い入れが生じたのでしょう。
「熱血漢って笑ってしまいますよ、何のことはない血生臭い活劇なんですけど、去勢されたちんこを飲みこんでしまうハプニングに咄嗟に対応するという、なんとも意味のあるようなないような、それ自体がすでに何かの象徴でもあれば僕は聖人の仲間入りってとこでしょうか(笑)でも僕はあくまで脇役なんですよ、富江さんとか貞子さんは心理描写されてますが、僕は驚きを現すくらいでほとんど心情に即しながらの行動はなく、ご褒美みたいな合体でめでたしめでたしですから」
―一番いい役とも言えませんか。
「う〜ん、そうとも言えるし、そうとも言えません。もう映画とかには出たくないですから、ええ、あれが最初で最後です。所詮作り事の世界なんです、僕にはあんなふうに過激ではないけど本当のドラマって奴を知ってますから」
―それは又、意味深ですけど、どういうことなんです。
「いやあ、それは関連がありませんから、ここでお話するようなことではないのです」

性也の朝はいつも気怠かった。頭や瞼や身体が重いと云うわけではない、夜明けを通過した街中の晴れ晴れとした気配に少しだけ波長が揃わなかったのであって、それは闇夜の国から一気に白日に曝された無防備によるものだった。誰だっていつも準備万端に精神統一して翌朝を迎える殊勝な心構えなど持ち合わせていないはずだ、一部の篤志家か敬虔な信奉者を除いては。
一日の始まりに微細な違和感を覚えるのは、すでに一日が自分とは別の箇所で開始されていると云う、どうしようもない焦燥を勝手にあおり立てるようにして奮起を促さんとばかりに、眠りの世界から脱皮を計ろうと努める緊縛への自動的機能によるものである。先程までの内的次元からまさに外部へと心身ともに踏み出す為の、いかにも慈しみと優しさに培われたかに見える刺激を持つ茨なのだ。私たちは誕生の瞬間から、羊水に別れを告げ様々な刺激に全面的に関わり合う宿命にある、それこそ目覚めの本質となりそれから闇の使者の訪れを待つまでの間、本質はほぼ生来の形態でまるで鞭打つかのように同じ体験を日々もたらしてくれる、そこに悪意を見てとるなど甚だ了見違いと云うもの、何故ならそこには善意さえも内包していないからであって、潮騒に精神が宿していないのと同様、ある激しさや穏やかさは私たちの精神が育み刻む彫像に他ならない。
だがそんな無機質な反復の中では、到底息苦しくて生きられたものではない、そこで精神は夢見と云うあの恐怖の、歓喜の、陶酔を架け橋にして虚像へと歩み寄って行くのである、昼も夜も、寝起きも寝入り際も睡眠時も、そして冷徹なまなざしの中心にも。