尾鷲幻想曲88

過牛

人知れずぼんやりと
やがて気付くといつの間にやら鮮明に
ざわめく日だまりの中
もの言わぬはずの咳きばらいの気配が
にわかに高まってゆく

真昼のほの暗い草むらの中
湿りきった苔むす岩の奥に
見えかくれする蟹の足

忘れさろうとした傷口に、息苦しくなるほど
重い手がおおいかぶさる
やがて、佇むのがやっと
血に気も引き、ひからびた
眼に映る輪郭のない閉じた情景

今、昼下がり、窓の下で
それは失われた
朽ちおちる間を待つまでもなく
空から舞いおりてくる鳥たちに
ついばみ、えぐりとられる
真っ赤に色ついた果実

甘い甘い蜜の味がすっと遠のいていく

どこまでもしめつけられる
胸の横を、ゆっくりと
過牛が這っていく