CHARACTERS IN 2000


中村和司

 大阪大学経済学部4回生。私立中学受験のため塾を探すものの、たまたまその当時住んでいたアパートの階下にあった塾に入塾する。それが懐かしき古い塾であった。8期生にあたり、同期には名古屋大学の中村祥宜、南山大学の清原千周、神戸大学の荒川美香などがいる。海星中学6年制に特待生(学費免除)で合格する。高校時代の志望大学は東京大学。高2の全国統一模試でA判定が出るものの、英語の仕上がりに時間が足らず、さらには物理と相性悪く土壇場で理系から文系に転向。結局、現役で大阪大学に合格。性格は学者タイプ。

中村和司のホームページ

竹中 泰(ゆたか)

 久居東中から三重高に進学。小学生の頃より野球に親しむ。守備は絶品なれど打撃に多少難があった。野球の名門、三重高を目指すものの入試に際し「野球しかできへん馬鹿だと思われるのは頭に来る!」と、俄然張り切る。結局、その当時の最難関2群に合格。進学先は津高に決まったものの、合格発表会場で高校の先生に「すいません!僕は野球をやりたいので三重高に行きます」と入学辞退。高校進学後、準レギュラーの位置をキープ。高3夏、地区大会で優勝。甲子園出場を決めるものの、「受験までに時間がない」とクラブを辞め、古い塾の2階の片隅に陣取る。「おまえな、甲子園に出場するってことは東大に合格するより難しいんやぞ」という塾先や講師のアドバイスを一切無視、中央大学を目指す受験生活に入る。偏差値40以下から半年間で65まで急上昇。現役で中央大学に合格。明治大学にも合格し、ふらつくものの結局は初志貫徹で中央入り。大学では軟式野球部のキャプテンとして活躍。欠点は突然わけの分からんことをすり切れたレコードのように叫びまくること。そして極めつけは酒癖の悪さ。これが原因でこ奴にはできすぎた女の子と別れた経験を持つ。最後に老婆心から一言。酔っぱらっての電話は迷惑以外の何物でもない。いいかげん、自粛するように。

DENちゃん。

 本名、河上茂。鳥取県出身。関西大文学部を卒業後、府内の高校で教鞭を執るなど、44歳の今年まで主に教育畑で過ごしてきた。その傍ら、奥さんのマッチャンが経営する関大前の喫茶店「ベンシャーン」を中心に年代を超えた世代とともに、とにかく何でもいいから楽しいことを模索する生活を送っている。スポーツ全般を器用にこなす。パチンコ・麻雀・競馬などギャンブルにも造詣が深く生活の一部となっている。現在は某大手予備校の灘・東大寺・洛南など超難関高校希望者対象の数学、大学入試日本史を担当する。塾先の大学時代の1年先輩という関係から、ひと月に一度大阪かられいめい塾に教えに来てくれる。趣味は中3に難しい問題をさせては喜色満面でいたぶること。現在の最大の関心事は、インターネットを利用して担当の数学と日本史の情報を提供して採算ベースに乗せること。また大学時代から延々と続くバンド活動にかける情熱も、老いてもなお盛ん。今年もまた7月にライヴ開催の予定。

 4月18日、大阪のDENちゃんから経歴訂正を要請するメールが届いた。以下に記します。

生誕地:鳥取県アメリカ群チーズ町/ 最終学歴:関西大学文学部哲学科(ニーチェとスティピー・ワンダー専攻)/ 趣味:数学高校入試問題(特に灘高の問題)/ 仕事:日本史大学入試問題(特に早稲田大学・立命館大学の問題)/ また、DENちゃんのホームページ「暇刊関大前」あり。

村田泰洋

 久居東中から津高へ。一浪して三重大学医学部に合格。1回生時から塾でバイトを始める。担当教科は物理。バイトを始めた当初、先輩連中から態度について叱咤されること度々。本人に悪気はないのだが、場の環境というものに気のまわらない面があった。その反面、酒を飲むと強面になるというやっかいな性格ではあった。自分の成人式のときに「祝いだから飲め!」と、高校生たちにバケツにビールを注いで回し飲みさせた神話を持つ。大学のクラブの飲み会はともかく、少なくとも塾の中だけはと、先輩ともども塾先もまた礼儀作法めいたものを教えた時期があった。しかし現在ではこれ以上ないという穏和な雰囲気を漂わせる医学生に変身? あの頃が今となっては信じられない。しかし押しが今ひとつ弱いのが気にかかる。一般の病院の看護婦さんならともかく、悪名高き三重大学病院の歴戦の強者の看護婦さんが相手では勝負が見えている。とにかく入局まで後2年。この2年で穏和な性格を変えることなく,芯の強さをどう引き出すかがポイントとなっている。今年もまた物理担当。高3の阿部・寺田、高2の砂山、高1の卓・橋本など理系組の成長が村田君の肩にのしかかる。講師としては円熟味を感じさせる4年目に突入する。

山内宏之

 久居中学から津高に進学。塾先とは中学高校を通じての友人。現役で法政大学工学部に進学。大学では自動車部に所属するものの、部内でバイクを愛すメンバー達とサークルを結成。大学の4年間、バイク三昧の生活を送る。大学卒業後とりあえずはと就職するものの技術(コンピューター)を生かして転職を計る。試験問題はコンピューター画像でドラエモンの絵を描くことだった。この課題を難なくクリアーして入社したのが現在勤務する会社である。しかし日々の仕事に加えてコンピューターに対する飽くなき興味を追求するための実践の場として、パソコンクラブ「KYPC]を立ち上げる。この「KYPC」には久居中時代のダチで生徒会会長だった飯田勉が世話役として参加している。特定メーカーのコンピューターではなく、総合的にコンピューターを駆使することに関し山内宏之は人後に落ちない。こ奴の造詣を受けたのか?奥さんが1999年5月よりパソコン教室を開校。ちなみに塾頭の双子の娘のうち、レイが通っている。奥さんの指導よろしくレイはこの5月にパソコン検定7級を受けるとか。

山内のホームページ/ http://www.ztv.ne.jp/yamauchi/kypc/

奥田邦博

 4期生。久居東中から津高進学、サッカーを愛するものの体育会系とは肌が合わず、バンド活動をしながら軟派として成長。早稲田を第一志望とするものの1浪後、立命館大学文学部中国文学に進学。甘いマスクで損をしているが、後輩では男にファンが多い。今年の高3の古西もまた邦博の影響大。中3の頃、邦博の広告の作文を切り取っては自分の机の片隅に貼って受験期を過ごした。後輩に与えた多大なる影響、その意味では最もウチの塾生らしい存在である。ちなみに高校時代から付き合っていた女の子とは8年間も続いた後に終止符を打った。邦博士からは「大きなお世話」と言われるかもしれないが、ホッとしている。彼女は邦博らしさを大切にしてくれるタイプじゃなかった。2期生の西村和弘の影響を受け、頻繁に海外へ出向く。結局2留して卒業。今春より日立建設機械に勤務。イタリア語を武器に、ヨーロッパ勤務を希望しているがどうなるか。

奥田章貴

 6期生。久居東中から兄貴を追うようにして?津高進学。早稲田を目指す兄貴を後目にかなり理系に寄った勉強を展開する。文系ながらセンター理科を物理で受験するという離れ業を演じる。高校時代、ウチの塾の生徒に加え津高の同級生とともに久居東中に忍び込み、体育館の電気をつけバスケットボールの試合をする。時刻が深夜だったため、先生たちに見つかり即座に親の呼び出しとなった。先生に見つかった時の章貴の言いぐさ、「もう少しで1試合目が終わるんや。もうちょっとだけ待っててよ」 こんな生意気さを愛するのはやはり年上、高校時代から社会人の女の人にもてた。東北大学に現役で合格。センター試験のビハインド60点をひっくり返したのは後にも先にもこ奴だけかと思われる。その原動力となったのは国語、兄貴が古い塾で高2に古典を教える際に必ず高3の章貴を呼んだ。そしてイジメとも言える言葉の暴力。「おまえ、こんな問題が分からんで受験生とはな。受かる大学ないわ」 屈折した兄弟愛が章貴の大逆転を生んだ? 大学入学からの2年間は仙台の町に親しめなかったという。「三重県ならさ、住んでもいいけど一生暮らすのはこりごりやな。でも仙台やったら一生でもかまへんわ」 大学3年と4年の2年間、章貴は滅多に帰省することはなかった。それよりはヨーロッパやアフリカの空の下にいた。今春、中部電力に就職。勤務地は岐阜県美濃加茂市。

青木の健ボー(青木健二)

 久居東中より津高に進学。そして現役で三重大工学部に合格。合格と同時に西村和浩から勧められてウチの塾の講師に。豪放磊落、軽いノリで多大なる生徒に影響を与える初めて塾先と飲んだ日に塾で大立ち回り。二階の机やイスをひっくり返してはプロレスごっこ。塾先のジャーマンを食らい階段をころげ落ちるという鮮烈なるデビューを飾る。この日の惨劇で一挙に高校生たちの信頼を勝ち取り?数学&物理の講師として四年間、れいめい塾にいつくことになる。4年間で大学を卒業するメドは立ったものの、就職活動に挫折(カプコンに落ちる)したことから一転して大学院進学を目論む。工学部の院ではなく電気電子の院へ専攻を変更しての受験。この無謀なチャレンジは古い塾で一受験生として勉強することにより、なんとトップの成績で合格する。院に進学後も講師を続け、のべ6年間にわたり後輩に影響を与え続ける。一昨年、アイホンに就職。現在に至る。大晦日になると塾に出没してかつての教え子たちと麻雀を打つ。やっかいなことに塾で教えた生徒と付き合う。しかし最近別れた模様。ゴールデン・ウィークに帰省するそうなのでそのときにでも詳細を尋ねることにしよう。

杉本理恵

 久居東中から津高進学。久居東中では生徒会会長を務める。津高進学後、数学が全く理解できずウチの塾の扉を開けることになる。性格は陽気、快活、世話好き、大きなお世話系である。話し方に特徴があり、高校生ギャル風一切なしのオバチャンが近所の噂話をする雰囲気を生まれながらにして漂わせている。携帯を駆使して大学生と頻繁に連絡を取り、塾内の情報には抜きん出ていた。センター試験でボーダーに遙か遠い点数を取るものの後期の小論文で窮地を逆転。晴れて三重大学医学部看護学科に合格。ワッと盛り上がること大好き少女(オバチャン)ゆえにクラブの勧誘のテニス部の先輩に「飲みたい」と逆下克上発言。夜を撤して飲みまくり、あげく2回生の先輩をダウンさせ、最後には先輩の部屋で眠り朝帰りしたという強者。怖い・・・。

小田智之

 三重大学医学部野球部キャプテン。医学部生というには余りにも特異な経歴を持つ。中学校の時に野球部で全国制覇。その大会で現在ジャイアンツの石井・高橋などのチームと対戦したうえでの全国制覇である。チームメイトからプロ野球に入った者もいる。東海大相模から推薦がくるものの「大学へ行けない」という危機感から平塚江南高校に進学。しかし入学して初めて気づいたのは軟式野球部はあるものの公式野球部がないという現実。これで甲子園は夢と散る。医者になりたいという決意は高校生の時に心に秘めるものの、「野球をやりたい」という感情を抑えることができず、「野球は若いうちにしかできない」とばかりに東京六大学を目指す。一浪して立教大学理学部に合格。ここで寮生活で2年間、野球三昧の日々を過ごす。そしてケジメをつけたことで再び医者への道に踏み出す。大学を退学し再び浪人、そして1年後に三重大学医学部に合格。現在4回生。つまりは4浪して入ったことになる。当然のこどく野球部に在籍、去年からキャプテンとなる。今年春、筋肉を鍛える(本人の説明によると筋肉をしなやかにする、となるが)目的から単身鳥取のトレーニング・ジムに入る。プロ野球とイチローからは連日連絡があつたり、Jリーグの選手やオリンピックの強化選手、はてはお相撲さんまでが来ているという、その道では知られたジムだとか。ここで10日あまりを過ごし塾に復帰。筋肉が柔らかくなり、今までと動きが違うという。つまりは身体の重力の支点が変化したと言っては感激している。「あそこをもっと早く知っていれば僕はもっといい選手になっていただろうな」と悔しがる。現在はそのジムで学んできたことを野球部で実践している。彼はいったいどんなタイプの医者を目指しているのか? たぶん、打って走って守れる医者なんだろうな。

西村和浩

 久居東中から津東高校へと進学。一浪のすえに名城大学経済学部に進学。ウチの塾へは中3の夏より密航する。2期生である。後から入ったわりには態度がでかく、厚かましさで後輩に変な人気を博した。西村の勉強スタイル、ただひたすらに覚えるというのを継承したのが3期生の石田智洋。そして石田の勉強スタイルが下の4期生全員へと受け継がれていく。つまりはウチの黙々と自分がすべきことをする、ある意味での自学自習を確率したキッカケが西村和浩であるとも言える。大学進学後はウチの塾で英語の講師を務める。4期から7期にかけて絶大な影響力をもつ。証券会社にターゲットをしぼり就職活動に入り、新日本証券に入社。こういう時代ゆえに証券会社は逆風、同期の面々はほとんど姿を消してしまったという。2年前の春、看護婦さんと結婚する。現在名古屋でマンション暮らし。塾先の「半年もてば」という予想を裏切り、すれ違い夫婦なれど幸せにやっている。

前田 崇

 嬉野中2年のときに「れいめい塾」に入る。一次方程式が全く解けないほどの実力だったが、深夜2時までは帰らない!という意志だけで2群に合格、津西に進学する。高校在学中、同期の松本・岸本・長江兄弟などと遅刻・早退を繰り返し、津西における「れいめい塾」に対する評価を決定的に悪くする。本人は「俺はマトモなほうだった」と発言するものの、去年母校・津西での教育実習でかつての担任から「オマエが一番ひどかった。卒業できるかどうかと瀬戸際だったんだぞ」と言われる。一浪して邦博が果たせなかった早稲田大学へ進学。この時の喜びを邦博は作文で書く。史学専攻のつもりが塾先と話す影響か?興味は教育学のほうへと傾いていく。そして大学院入試を決める。青木の健ボーと同様に専攻を変更してのチャレンジとなる。去年の夏休み、前田は古い塾にこもってひと夏を過ごす。先輩やら塾先からの酒の誘いも断って勉強する。そして合格。現在は大学院1年生。嬉野の田舎出身。東京の雑踏にいて、ふと田んぼが見たくなって新幹線に飛び乗り帰省した暗い過去を持つ。

黒田裕介

 静岡県出身の24歳。静岡県立榛原高校から3浪して三重大学医学部に合格となる。英語担当、医学部にしては珍しく数学が極めて苦手。浪人ビギナーの頃は医学部に正面突破をしようとしてもがいていたという。それがニ浪となり、さらに三浪人となった頃には自分に実力というものを知り尽くし、なんとか医学部に入ること、本人の言を借りれば「なんとかして医学部にもぐりこむ」方法を模索したという。苦手な数学の配点が低い大学はないか? どうしても医者になりたい、その一念だけで3年間の浪人生活を過ごし、やっと三重大医学部に合格した。講師を始めた時の高3、10期生はどちらかというと軽いノリの面々が大勢を占めていた。つまりは真摯な努力だけを武器に自分の希望を達成した黒田君にとり今イチ感情輸入できない学年だった。しかし翌年の11期生の努力には心底頭が下がったという。そして今年、黒田君は高3と高2の2学年の英語を担当する。

山田公則

 8期生。小学校時代からバレーボールにのめり込み、小6のときに全国大会に出場。西郊中に進学後も1年から男子バレー部のレギュラーとして活躍。2年でキャプテンになるものの、学校をサボって先輩の合格発表を見に行ったことからキャプテン降格。しかし三重選抜に選ばれ、さらにキャプテンにも選ばれる。高校はバレーの強豪・松阪工業高校に進学。しかし1年の暮れに退部。高校卒業後、建築関係の専門学校へ。名古屋にある建築関係の会社に就職するものの、富山へ出向することになり両親のたっての希望で地元の企業に入社。名古屋で知人から紹介された梢ちゃんが公則に付いて三重県にやってくるという展開。今年2月に婚姻届を提出する。そして4月22日、結婚。9月には子供が生まれる予定。

菊山善久

 「れいめい塾」開塾と同時に小学校6年で塾に入る。かわいい顔立ちで先輩の女の子から人気があった。それもそのはず、芸能界のアイドル養成スクールの試験にパスしていて、いつでも上京できる体制にあった。しかし思考的な数学の問題が好きで、食事時に突然解き方が閃き食卓をひっくり返した過去を持つ。久居東中に進学後、理系教科では圧倒的な強さを発揮するものの英語に致命的ともいえる苦手意識を持つ。「2群を目指す」と言いながらも英語1教科で総合得点が悪いと「高校は堀越学園」と言い逃れる欠点もあった。中2の2学期、たまりかねたのか、ついに「どうすれば英語が上がるの?」と俺に聞いてきた。しめた!とばかりに教科書の書き写しを指示した。中3となり英語が急上昇、一躍ヒト桁の順位に踊り出る。そして2群に合格し津高に進学する。化学が全く分からないということから、ウチの塾に三重大医学部から初の講師が招かれる。それが橋本君(伊勢日赤病院勤務)だった。マンツーマンで2か月、菊山の腐っていた化学は津高で学年順位1位となった。このときの橋本発言、「津高って、こんなにレベル低いんですか」 しかし諦めが良すぎるのか、菊山は有機化学の記憶する量にあきれ果て化学を放棄。早々と志望大学を同志社に決定する。俺や橋本君は「早稲田なら楽勝なのに」と、よく酒を飲んだもんだ。そして関関同立を受験し、同志社大学に進学する。京都の山ん中で4年間暮らした後、今春から松下電器に就職する。

斉藤太郎

 一志郡波瀬だけでも山の中なのに、その最深部の室の口出身。波瀬小学校まで5kmの距離を毎日歩いたためか、基本的な運動能力には優れている。小学校時代から野球に熱中するもの、一志中入学後にクラブの監督とケンカして退部。半登校拒否の無気力な生活を自然のなかで送る。中2の春から「れいめい塾」に密航。しかし1年ほどなじめない生活が続く。中3となり突然成績が上昇する。しかしその反面、中学の体育館で消火器をぶちまけるなどヤンチャな行為に先生の批判が集まる。津高に合格するものの、意外なことに塾を続ける。顔立ちは今風で「ミスター津高」に選ばれる。2年に進級する春休み、5年先輩となる越知から「太郎ちゃん、君はどこか行きたい大学ある?」と聞かれ「ありません」と答えるや、越知は一言。「北海道は塾でまだ誰も行ってないから、太郎ちゃんが行ってよ。大学は北大にでもしよや」との流れで志望大学が決定する。そして2年後、斉藤太郎は北海道大学に進学する。しかし1年目は一度も大学に行かずパチスロに狂う。2年目も飽きることなく同様の生活を送る。そして今春より3回目の1回生の生活が始まっている。

日比 均

 津市野田の集落で公則と家族同様にして暮らす。公則が塾に入ったことから連られて塾へ。小学校時代からサッカーに秀で西郊中では1年からレギュラーとして活躍。成績は2群に手が届くあたり、しかし大学に進学する気は一切なく、1日も早く就職して女の子を後ろに乗せてバイクで突っ走ることを夢見る。進学はサッカーを楽しみたいということから、レベルは低いものの中勢地区では強豪の津工業に進学。入試の成績が1番だったことから新入生代表挨拶演じる。本人の発言、「オレが一番なんてレベル低いよな」 サッカー部に入るものの2年となり、監督」が1年中心のチーム作りをしたことから同級生といっしょに退部。以後、楽しさだけを求める高校生活に埋没。

 梅村雅洋

 西郊中で公則とともにバレー部に所属する。れいめい塾には中2から参入。クラブ終了後、2群を目指し猛勉強を開始する。その努力が実り、奇跡的に合格。しかし津高進学後は楽しい高校生活を送り、大学受験のレールから外れていく。自動車が好きなことから、自動車の専門学校に入る。卒業後の現在はガソリンスタンドで働いている。

中村祥宜

 突然弟を連れて塾に姿を見せ「すいませんが、こいつを塾に入れてもらえるでしょうか」 オレは一瞬戸惑った。あまりに大人っぽい話し方だったからだ。弟の耕治は陽に焼けてスポーツ大好き少年に見えた。つまりは中1らしく映った。しかし隣で「こいつは小学校の頃から勉強よりはスポーツを熱心にしてきたぶん、基本が抜けています。算数では距離・割合の問題が苦手です。社会や理科にはあまり興味を示さず記憶すること、たとえば漢字や熟語を覚えるのも苦手です。残念ながらこと勉強に関しては全体的にできない。こんな生徒でも入れていただけますか?」なんぞと、詳細に現状分析をする。俺は、この二人の関係をいぶかしく思った。叔父さんか、しかし年齢が若すぎる。兄弟か?いや、顔も似ていないし、この大人びた話し方は兄弟のそれじゃない。後になって2歳上の兄貴だと聞き、俺は心底まいった。中学3年! 「実は」と大人びた兄貴が言った。「僕もこの塾に入りたいんですが、小学校の時に僕の希望で2群進学塾に入ったものですから、母親からは『いったん自分の意思で入った以上は最後まで続けなさい』と言われまして。残念ですが弟のこと、お願いします」 しかしその後、母親の承諾を得て兄貴もまたウチの塾に入ってきた。2群進学塾でも鍛えられていたのだろう。ウチの塾の荒っぽい指導とうまくリンクして瞬く間に久居東中でヒト桁に。そして順当に2群に合格して津西に進学する。こ奴に関しては学力を上げることは考えなかった。オジンくさい性格だけを直そうと考えていた。高校生となり、何か塾のイベントがあると俺は決まって祥宜を仕切り役に指名した。資質的に陽性なものを持っていたのだろう、いつしかオジン臭さが消え、根っからの腕白坊主まがいが誕生した。そして橋本君にシゴかれ腐った化学が蘇生しセンターで満点、物理も96点。高校生時代に一度も勝手なかった塾先にセンター試験でリヴェンジ、196点を叩き出した。二次試験では物理の単位を書き忘れるというボーンヘッドを犯しながらも名古屋大学に合格。今では軽薄を絵に描いたような男になっちまった。

清原千周

 中3の時に塾に入る。理系教科に抜群の強さを発揮する。あやふやな英語を数学と理科でカバー、2群に合格。津西に進学する。やはり数学は万全なものの英語が悲惨を極める。中西君の物理の授業についていけず、橋本君の個別特訓を受け土壇場で開花する。関西・同志社を本命にするものの英語でやられていまう。しかし南山大学の理系と噂される経営学部情報管理に合格、祥宜の下宿の近くで暮らし中学時代からの腐れ縁が大学でも続くことになる。バイトも2人いっしょでオシャレなバーへ。2人ともフットワークの良さから店長の信任を得て、新たに栄への出店時には店長代理を務める。その見かえりとしてバイト料は20万円を超え、リッチな学生生活を送る。午前1時まで店にいながらも大学には行くという。コンピューター関係の資格試験にも熱心でいくつかの資格を取得。今年、大学院の試験を受けると断言しているが、バイト先で彼女が出来たことから暗雲が立ち込めている。

長谷川嘉弘

 愛知県出身、菊里高校から3浪して三重大学医学部に入る。温和な性格ゆえに授業もソフト。しかし斉藤や紀平を教えるうちに鍛えられたのか、いい意味でのキツサが出てきた。微生を落とし1年留年。自分は橋本みたいに器用じゃないからと6回生となり塾のバイトをやめ国試の勉強に突入する。1999年春、合格して泌尿器科に入局。現在三重大学病院勤務。今年5月1日に名古屋ヒルトンで結婚予定。相手は年上の同僚だとのこと。

橋本康志

 広島県出身、お父さんはサラリーマンから一転、郵便局を作って郵便局長に納まったという変り種。広島修道中学受験に失敗、3年後に修道高校の編入試験に合格する。中学時代は将来コンピューター産業で儲けてやろうと考えていたが、高1の時、祖父の病気の説明に担当医があやふやな説明をしたことから医者になることを決意。2浪して三重大学医学部に合格。化学が根っから好きで偏差値が100を超えたこともある。塾頭が5期生の菊山から「化学を教えてくれる人がほしい」というリクエストに、ローカル三重を眺めながら占い師よろしく2週間後に決める。電話で連絡を取り塾で会う段取りとなるが、橋本君が塾に姿を見せた時には塾頭はいない。「先生は?」と聞く橋本君に当時高2だった松本(静岡大学から豊田工機へ)が「先生は酒に酔っ払って2階から落ちて入院しました」とバカ正直に言う。この日から橋本君の「れいめい塾」で過ごす日々が始まった。パチンコが大好きで勝ち始めると授業そっちのけでのめりこむ。しかしフォローは寿司をおごるなどアフターフォローはキッチリしていた。5期生から10期生までの塾生への影響力はとてつもなく大きい。また橋本君を通して田丸・長谷川・中西・北野などという面々が塾に集うことになる。その意味では同級に対する影響力も大きかったといえよう。6回生の時交通事故を起こして国家試験は別室受験となる。この学年は医学部部長が「私は毎年のように今年は危ないと言うが、君達は本当に危ないんだ。冗談じゃないんだ」と発言するほどの学年。史上最悪との評判は上級生下級生を問わず鳴り響いていた。模試の成績でも全国の国立大学の最後尾あたりに位置し、前学年の合格率88%には到底届かない、80%すら切るんじゃないか?と不安視されていた。その元凶ともいえる面々が橋本君や中西君だった。その最悪な学年、どうしたことかフタを開ければ近来まれに見る94%という高倍率の合格率を叩き出す。合格発表の大学前ワニコ書店で俺は奥さんに「橋本君と中西君の名前を探せ!」と怒鳴った。「田丸君北野君はいいの?」と反論する奥さんに俺は叫ぶ。「橋本君と中西君が受かってたら全員合格に決まってる!北野君と田丸君が落ちるはずないやろ」 そして橋本君の入局先は「自衛隊以上軍隊以下」と噂される恐怖の第1外科。大学病院での某教授の厳しい指導の後、去年より山田日赤病院に転勤。医療技術でではなくコンピューターに関する造詣の深さから、先輩や教授から一目置かれ山田日赤にはなくてはならない存在となっている。5月中には山田日赤病院のホームページが作成される。無論製作責任者は橋本君とのこと。無類の酒好きで、部屋の汚さでは「1に橋本先輩、2に前田崇、3に塾先のベッド周辺」と奥田章貴に言わしめた。これに対する橋本君の反論は「部屋の掃除は彼女にさせる。今は彼女がいないから汚くてもかまわない」 しかし周辺にはいつだって女性の影があったことでも有名。それを指摘的すると「あれは彼女ではなく友達です」  この彼女と友達との間の橋本流解釈をめぐっては、以前より塾先の奥さんのヒンシュクを買っている。

田丸智巳

 高田中学から高校へと進学し、1浪して三重大学医学部に入学する。性格は温和。橋本君の紹介で「れいめい塾」で講師を務める。当初は生物を担当するもの、理科は生物から物理・化学まで、英語も数学も堪能とオールラウンドプレイヤーぶりを発揮。7期生の長野泰紀・田中千秋・高橋純一の3人を「田丸組」として指導する。医学部生には珍しくマージャン好き。それもハンパではなく暇があると名古屋のフリー雀荘にまで打ちにいくほど。塾先の友人が福井や大阪からやって来ると召集がかかる。その律儀さは例を見ない。一度なんぞ教授とともに北海道に学会に出席していた時に塾先から電話。「今日、友達が来るから。田丸君都合どう?」と聞かれて「すぐには行けませんが、なんとか夜の12時頃には」 そして千歳空港へ車を走らせ約束どおりに12時過ぎに塾に姿を見せたという過去を持つ。ウチの講師には珍しく北野君と並び学業優秀。入局先はこれまた北野君と同じく第二内科。去年、伊勢市民病院に配属。そのときの挨拶の席で、鬼より怖い?脳外科の古野教授から「君が25時に出ているマージャン好きな田丸君か?」と言われ唖然とする。古野教授の娘、文香がウチの生徒だったため教授は「25時」で頻繁に登場する田丸君の名前を知っていたわけだ。たまに塾先が古野教授を通して「25時」の配達を頼むとすかさず電話。「先生、頼みますから古野教授を通してではなく、直接僕に送ってください。古野教授に申し訳ない」と泣きが入る。ちなみに現在ウチの塾で講師をしている田丸裕巳は弟である。

Dr.K

 奈良県出身、奈良高から1浪して三重大学医学部へ。どぐされと噂される学年にあり、常にトップクラスに。ラブビー部に所属、体形はまさしくラグビ部なれど細やかな性格を持つ限りなく文系人間。得意な教科は国語と英語、橋本君の紹介で「れいめい塾」に密航。格闘技をこよなく愛し、プロレス・K1などの会場に頻繁に姿を見せる。場外乱闘の時には2階からでもリングサイドに突進。暴れるレスラーの近くで暴れまくるのが習性となっている。父親は小学5年の時に死別。今でも父親の大きかった背中を覚えているという。1998年度国家試験に合格、入局は第2内科。三重大学病院から鈴鹿中央病院へ。去年6月、結婚。今年4月21日に長女・真萌が生まれる。彼女もまた父親の大きな大きな背中を眺めることになる。

田中千秋

 努力型のタイプでコンスタントに450点を叩き出す。しかし数学や理科1分野に苦手意識を持つ。2群に落ちて高田高校に進学。高校もまたウチの塾を続ける。田丸・兄が結成した田丸組に長野・高橋とともに参加。この上なくかわいい性格も、ゆうに180cmを越える身長のためか、人に素直に伝わりにくい。三重短大に進学、講師に恵まれる。講師に連れられて津の大門に頻繁に繰り出す。酒は強く、千秋のまわりには男がバタバタ倒れている地獄絵が展開する。就職は百五銀行、酒の強さは相変わらず。社内でも怖がられている上司の受けが異常に良い。これに関する本人の分析、「れいめい塾で、ほんとにいろんな先輩に巡り会ったやん。あの経験が生きてるわ」 個人的には一番幸せになってほしい生徒、娘にしたい生徒である。

長野泰紀

 久居西中から2群合格、津高に進学する。スラリとした長身、高校時代からバンドを組みボーカルを担当する。国公立文系の田丸組に参加し、現役で滋賀大学に合格する。タバコの吸い方が汚いのが欠点。マージャンとバイトとバンドに明け暮れる大学生活を送る。バイト先で知り合った

甚野正和

 久居東中から久居高へ進学。大学進学希望者が少ないなかで三重大学を目指す。「僕は塾に行ってませんでしたから、やる気がなくなると『れいめい塾』の古い塾の前まで行くんです。いつだって明かりがついている。僕とは中学時代の同級の中山や松本や奥田(章貴)があの塾の中でまだ勉強してるんや・・・と思うとやる気が出てくるんです」 つまり甚野、通称甚ちゃんはウチの塾の生え抜きではない。しかし大学受験に失敗、一浪し翌年、念願の三重大学人文学部に合格。浪人時代に知り合った谷(ウチの6期生)の紹介でウチの塾に密航する。得意技は世界史、ゆえにウチの塾でも世界史を教える希望があったものの、すでに長谷川君が世界史を担当していたことから国語を教えるはめに。塾頭は人文ゆえに得意なんだろうと思ったわけだが、本人にとってはむしろ苦手な教科でったという。1年目のメンバーには中村祥宜・清水理恵などがいる。そして2年目になり斉藤太郎・紀平香介・村瀬佳代などウチの塾のなかで最もクセのある学年を教えたあたりからタフな性格へと変わっていく。早口でまくしたてる古典活用、馬鹿野郎呼ばわりをする現代文読解、いつしかウチの看板講師となっていく。就職は塾業界を志望。ウチの塾で過ごした4年間が多大なる影響を与えたそうな。鈴鹿英数学院には模範授業で内定が出たものの、永橋学長の人柄に惚れて開明学院に入社。現在、橋南校・久居校・津新町高をかけもちする。

アキラ

 本名、刀称輝。塾頭の大学時代のダチの息子。ちなみにオヤジはBBS上でダーティ珍と名乗り活躍中? アキラは現在、北陸高校の特別進学コース3年に在籍。塾頭は大阪での記者生活を終え、福井にすむアキラの親父の経営する中央市場の卸売商で2年間働いた。半分住み込みのような生活、3歳の頃までアキラとは共に暮らしていた。オヤジが覗くウチの塾のホームページをアキラが見たことから、アキラの古い塾で過ごす2000年の夏を迎えることに・・・。志望大学は立命館大学文学部。日本史では模擬試験で福井県1位を取った経歴を持つ。しかし英語に弱点があり、英語の仕上がりが入試の趨勢を決定する。

高林紘

 15期生。嬉野町の浄土真宗のお寺の長男坊。上に亜美香(11期生)・響子(12期生)というたっしゃな姉を持つ。ゆえにか品行方正が鼻につくタイプ。クラブはバレー部。1年からレギュラーとして活躍。キャプテンとなり春の県大会で優勝、しかし夏の大会では地区予選を勝ち抜いて県大会に出場するものの敗退。東海大会から全国へとの夢は散るものの秀逸なレシーブ能力を見込まれ三重選抜に抜擢される。志望高校は津高。12月に大阪で開催される「さわやか杯」まで毎日過酷な練習が続く。そして合間を縫うようにして津高を目指す勉強が続く。

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